きもだめし
「いま、前でなんか揺れなかった?」
「やめろよ、脅かすの」
床を懐中電灯で照らしながら進むとなりのかっちゃんを小突いた。僕たちは“リアルお化け屋敷”に来ていた。
「三丁目の例の古い洋館知ってるだろ」
塾の帰り道、僕を呼びとめたのは小学校の大親友のかっちゃんだった。
「これから行こうぜ。もう夏休みにやることなくて退屈でさあ」
「確かにね。夏休みも中盤すぎてからイベント減ってきて、絵日記も小学生ブログもネタ枯れになってきたし」
「だろ。刺激がほしくね」
こうして僕たちは西が丘三丁目にある古い洋館の前にきていた。そびえ立つ鉄格子の門を前にして僕らゴクリと喉を鳴らす。
「いかにも出そうだよな」
「うん。お化け屋敷らしいよね」
薄闇を背にしてたたずむ古びた木造の屋敷は不気味そのものだった。一階と二階にはいくつも縦長の格子窓があるけれど、堅く閉ざされて中が窺(うかが)えない。
「おまえ、ここの話聞いてる?」
「子供が入ると帰れなくなる“帰らずの館”ってボリが言ってた。子供のいたずら防止に空き家管理会社がつくった怪談だってうちの兄ちゃんは言ってるけど」
「ボリ? 犬?」
「なんでうちのクラスいてボリ知らないんだよ。“事情通のボリ”ってあいつ自分で決めポーズまでつくって……、あれ、かっちゃんて」
キイ、と軋む音が響いた。かっちゃんが鉄格子の門を押したからだ。錆びていた割には鉄格子は簡単に開(ひら)いた。懐中電灯を手に、かっちゃんが先に中へ踏み出す。僕はその黒いボーダーのTシャツの背中を追った。
「草伸び放題の庭とか、蔦の絡まる木造の大きな屋敷って外国のホラー映画っぽいね」
「怖えのはこっからだぞ、おい。この家には気の狂った赤ん坊の幽霊がいて、会うと殺されんだ。でも、命乞いをすると助けてもらえる代わりに一生奴隷にされて……」
そういってかっちゃんは顔の下から懐中電灯を照らして怖い顔をつくってみせる。
「バーカ、怖くないって」
僕らは懐中電灯を奪い合い、ホラーごっこをしながら笑って館の中に入っていった。
玄関のドアを閉めると蝉の声が聞こえなくなった。板張りの壁はところどころ虫食いだ。踏み込むと中は思ったより暗かった。窓は内側から板が打ちつけられて光が入らない。踏み込んだ板張りの床の軋む音が静寂を引き裂く。この薄気味悪い空気の中で、ふいに懐中電灯の先に幽霊を捉えてもおかしくはない。
気持ちが揺れた。こんな気味悪いところ早く出ようか。それとも幽霊の目撃者になろうか。そんな僕の気持ちを押したのは好奇心じゃない。絵日記とブログネタだった。
うちの小学校は各学年ごとにブログの記事アップが課題になっている。全校に公開しているから誰でも閲覧可能だけれど、そのせいで肩身が狭い。なにせ僕ら4年生は全学年「いいね」ランキングの最下位だからだ。
1、2年生のガキどもはこぞって親のインスタ写真をフル活用してキラピカ記事を投稿しバズらせる。5、6年生は女子が結託して恋バナの連投で視聴率を稼ぐ。独自調査とオトナの視点で他の追随を許さないネタなだけに姑息だ。ここで大きく最下位2位の3年生を引き離すのに必要なのは特ダネだろう。ミステリースポットはいつの時代も小学生を惹きつけてやまない鉄板ネタだ。やつらに負けるか。
ヤバネタを文章に盛る気持ちの方が好奇心よりずっと大事な動機だった。
ついでにこれで絵日記も盛るだけ盛って何ページか埋めよう。お化け屋敷サイコー。
先を行くかっちゃんの後に続く。僕らは一階をめぐり、思い出したように出てくる部屋のドアノブを回して歩いた。錆びついてどれも硬く開かない。閉め切っているのに進むにつれてひんやりしてきた。
「かっちゃん、寒くない?」
「エアコン効いてんじゃね?」
「その鈍感力分けてよ」
「でもさ、つまんなくね、この家」
「そうかな。結構迫力あるよ」
「ドア開かないし廊下ばっかだし幽霊いないしつまんねえよ。二階に行こうぜ」
――ヤメロ。
突然頭の中に声が響いた。
なんだったんだ、いまの。去年死んだおじいちゃんの声に似ていたような……?
気のせいだと思ってかっちゃんに続く。
僕らは揃って階段を上った。吹き抜けになっているのは一階から懐中電灯を上へ向けて見たから知っていた。吹き抜けを取り巻くように四角く廊下が巡らされている。階段を上りきるとさらに肌寒くなった。閉め切っているのに鳥肌の立つ冷気を感じる。二階も窓は内側から板が打ちつけられて閉め切られている。一階より暗いせいで懐中電灯の光が届きにくい。僕らはまた部屋のドアノブに手をかけてまわった。
「ここあいてる」
かっちゃんが回したドアノブが鈍い音を立てて回転する。そっと押すと軋んだ音ともに内側に開いた。途端に中から声がはっきりと聞こえた。
「イヒヒ」
恐怖で背筋が凍った。体だけじゃなく顔にも鳥肌が立った。
部屋の中から猫のくぐもったような声がする。いや、これは赤ん坊の声だ。
次にグサグサと長い爪を床に立てながら這うような音が戸口に近づいてくる。赤ん坊の速さじゃない。闇の中からやってくる恐ろしい物。直感でわかった。それを見たら僕は恐怖のあまり気が狂うと。
「かっちゃん、逃げろ!!」
僕は叫んだ。声も出ないかっちゃんは逃げなかった。僕は彼の懐中電灯を奪うと、階段のある場所めざした。懐中電灯の細い光が激しく揺れる。闇が深すぎる中でそれだけが頼りだ。背後では這う音とともに何かがかっちゃんを無視して僕に近づいている。背後で大きくなる爪音と僕の足音だけが館に響く。何度か角を周った。息が切れてきた。階段はまだか。
僕は重大なことに気づいた。僕は同じところを周っていた。廊下から階段が消えていたのだ。背後ではさっきより気配が迫っている。邪悪に笑い、グサグサと音を立てながら。
そして僕はもっと重大なことに気づいた。
あの子は誰なんだ。僕は「かっちゃん」なんて友達を知らない。