自分で偉大だとうぬぼれているものが実はちっぽけなものにすぎないことがわからない者は、ちっぽけと軽んじている他人のものが実は偉大なものであることを見過ごしがちである。

人物:岡倉天心(おかくらてんしん)

1863-1913年。横浜の生まれ。本名は岡倉覚三(かくぞう)。東大在学中からフェノロサの通訳として頭角を現す。1890年、東京美術学校長に就任。1898年に美術学校内部の排斥運動で辞職した後、日本美術院を創設。明治日本画家の指導者として活躍した。著書に『東洋の理想』『日本の覚醒』『茶の本』などがある。