アリスの冒険(第5話)
アイスフレイム魔法学院を閉鎖する話をたまたま聞いてしまった私とベネット。私は最後の思い出作りに交流会を企画した。反対に、強力な魔法の力を得たベネットは、閉鎖の原因を作った三つの勢力をつぶそうと決める。
そしてベネットは私や友達を利用した挙句、力を使ったのだけれど、その力は邪悪で…。
「わしが呪文を唱えるが、眠くなったら寝てよいぞ」
魔法の力で暗黒の巨人になったベネット。真っ赤な一つ目の眼球と大きな牙をのぞかせる耳まで裂けた口。5階まである学院の屋根を超える巨体。おぞましくて凶暴な顔つきのどこにもベネットの面影はなかった。大木を束ねたような腕や足はまるで岩の塊だ。これなら夜の闇にまぎれて「教団 乙女の祈り」の本部を一瞬で破壊できると私はぞっとした。
突然の巨人の出現にグラウンドや校舎から別の悲鳴が上がった。地響きを立てて巨人はグラウンドへ侵入する。極度のパニックに陥った全員が恐怖とヒステリー状態でぶつかりあって逃げる。倒れた子が踏みつけられたり突き飛ばされたりで悲惨な有様だった。
屋根の上にいた私はなすすべもなく呆然としていた。
ベネットがグラウンドに出たのは失敗だった。相手は暗躍するはテロ集団だ。姿を現すはずがない。
毒煙が生き物のように動いて巨人を包む。次第に毒がまわって苦しくなったのかそのうち巨人は腕や足を振り回して暴れ始めた。そのせいで校舎が破壊されていく。敵を探すどころではない。校舎内の生徒たちは逃げ遅れてがれきの下敷きになった。学院は壊滅的な打撃を受けた。建物は半壊し、怪我人や毒煙の被害者は後を絶たず、まるで地獄絵図さながらだった。駆けつけた校長先生が他の先生たちに生徒保護の指示を出しつつ応戦する。
でも誰もが煙と巨人の攻撃を止められない。煙からの生徒の保護と、何より巨人から逃げるので精一杯で身動きが取れない。寮からサポート動物たちが助けにやってくるのが見えた。でも毒煙や巨人のせいで近づけない。
<どこにいるニャ!>
スノウだった。スノウの呼びかけが私に通じたのだ。
「スノウ! いま校舎の屋根の上。ベネットが…」
<話は後ニャ! 寮まで戻ってこられたら助けられるから早く来るニャ!>
「わかった。やってみる」
私は周りを見回す。するとベネットの乗ってきた二人乗り箒が転がっているのが目にとまった。すかさずまたがり、私は飛びあがった。
二人乗りを一人で乗るからバランスが悪くてヨタヨタ蛇行するように箒は飛ぶ。上空からグラウンドを見るとエミリーがカイル先輩にかばわれるようにして倒れていた。エミリーの片足は膝から下が変な方向へ曲っている。関節を骨折したんだ。先輩は全身火傷を負って背中が蒸気を上げていた。オリエは目を見開いたまま紫色の顔で倒れている。ジョンの姿がない。逃げ切れたのかな。だったらいい。じゃないと瓦礫の下で頭だけ見えているあれがジョンになる。グラウンドは生徒たちの悲痛な声、建物の崩れる音、巨人の叫び声がこだまする。
私のせいだ――。私が交流会をしようと言わなければみんな犠牲にならなかったのに。私は責任を感じてしまった。
スノウ、ごめん。
私は箒を寮からグラウンドへ方向転換し、ベネットの元へと飛んだ。いまだ校舎を壊して破壊の止まらないベネットに呼びかける。
「ベネット、元に戻って! こんなことしても勝てないよ!」
箒が下手だからまっすぐ飛ばない。でもそのおかげで怒りにまかせて振るうベネットの巨大な腕をそのたびに風圧や操縦ミスがうまくかわしてくれる。こ、怖すぎっ。偶然とはいえ、寿命が縮んだよ、絶対。
私は杖をとりだす。イチかバチか空き部屋で覚えたあの魔法を使ってみよう。
「いけっ、緊縛の輪!」
杖の先からいくつもの金色の輪が飛び出し、巨人の体を締め付ける。ついに巨人は動けなくなってしまった。
珍しく杖魔法が効いたよ。しかも巨体に。やったあ! 私、天才!
と思ったのもつかの間、箒が止まらずそのままフルスピードで巨人に激突!――しなかった。乗っていたのは二人乗りの練習用箒だ。「安全防御の魔法」がかかっていた。お約束で気が緩んで箒から落っこちたけど。
え。ちょっと待って。
落ちるっていってもそれは20m近い巨人の頭の高さからで…。
って、えええーーー! ウーソーでーしょーーーー!!!
私はバタバタ空をつかみながら悲鳴とともに地面へ落下する。家族や友達の顔が脳裏をよぎった。
もうダメだ――!! 私は地面に直撃した。
地面が柔らかく私を吸い込み、思いっきり跳ね上げる。
え? 何これ? このまま天国に行くの?
私の体は空高く上がってまた地面に着くとはずみで跳ね返った。地面がトランポリンになったみたいだ。うわっ、なんか楽しい。って、なんなの、これ?!
何度がバウンドしたあと私は静かに着地した。
地上は毒煙を先生たちが払ってくれたおかげで少し収まっている。周りを見回した。小さな白いフワフワしたものがうずくまっていた。スノウだった。スノウが魔法で助けてくれたのだ。寮に来ない私を心配して助けに来てくれたんだ。でも、来る途中で毒を吸って意識を失っていた。私は駆けよってぐったりするスノウを抱き上げる。
「スノウ! しっかりして!!」
急に影ができた。振り向いて見上げると、緊縛の輪でもがいていた巨人がよろけて私のいる方向に倒れてくる。
いやっ、つぶされる――!!!
と思ったところへ間一髪セーフ。巨人が糸でグルグル巻きになって倒れるところを支えられたのだ。男の人が叫ぶ。
「ハル、無茶するな。そんなもので支えて切れたら危なかっただろうが」
「切れないって。これは金龍の髭で作ったロープだから巨人の体重を支えるくらいわけないんだ。巨人が暴れなければこのロープだけで充分だ」
男の子の元気のいい声が聞こえる。何が起こっているのかまったくわからなかった。
シュルルルッと音を立てて何かが近づいてきた。空中を飛ぶ円盤の音だった。若い男の人たちが乗っている。彼らは全員黒いマントに銀色の縁取りをした黒い服、額には銀色のサークレット(あるいはバンダナ)をしている。彼らの乗る直径1mくらいの円盤には魔法陣が描かれていた。不思議な円盤で、彼らが近寄ると合体して二人分の大きさになったり、離れると元の一人分の大きさに戻ったりする。この人たちは何者だろう。
彼らに助けられ、巨人の下から退避した。
また別の円盤がやってくる。見るとその上に乗っていたのは
「おうおう、無事だったかの。おや、おまえさんはアリス・ウィンターフェル」
「おじいちゃん!」
私は驚いて叫んだ。おじいちゃんは私の元へゆっくりと円盤を降ろす。
「この人たちは誰なの?」
「皆わしの孫で弟子の、黒の魔導士たちじゃよ」
黒の魔導士? 聞いたことない。まだ騒然とする中、校長先生もやってきた。その姿を見て思い出し、私は頭を下げた。
「おじいちゃん、校長先生、ごめんなさい。私が交流会を企画したせいで学院がめちゃくちゃに…」
校長先生は私の肩に手をかける。
「いいや、君のせいではないよ。憎むべきは君の善意や良心につけ込んだ悪意のほうだ」
「そうじゃよ。むしろこの事態を防げなかったわしらのほうが重罪じゃ」
おじいちゃんも励ましてくれる。私はベネットの指輪と「緊縛の輪」の説明をした。「おまえさん、すごいの」とおじいちゃんは呪文を唱えた。すると指輪がはずれ、ベネットが元の姿に戻った。校長先生がロープをほどく。ベネットは毒がまわって気絶していた。おじいちゃんはまた円盤に乗り込んだ。
「校長、『愛の光』は頼んだぞ。わしらはここを回復させるからの。そうじゃ、この子もここにいたら危険じゃ。一緒に連れていくがいいかの」
おじいちゃんが私を示す。
「ええ、保護してください」
校長先生が答えた。
「どこにいくの? それに『愛の光』って?」
「ついてくればわかる」
「スノウも一緒にいいでしょう。私を助けようとしてこんなになって…」
「もちろんじゃとも。よしよし、小さな体でよく頑張ったのう」
おじいちゃんはぐったりしているスノウをなでた。
「じいちゃん、先行くよ」
元気のいい男の子の声がおじいちゃんをせかす。空中では早くも5人乗りになった円盤で5人の魔導士たちがおじいちゃんを待っていた。みんな年齢は20代くらいだ。その中に一人だけ私と同い歳くらいの男の子がいた。りりしい表情の黒髪の魔導士。その彼と目が合った。瞬間、私は心臓を鷲掴みにされたように胸が苦しくなった。――かっこいい人。円盤に乗る彼の顔が、姿が心に刻まれ焼きつけられてしまった。
彼らは弧を描いて寮の方向へ飛んで行く。
いまの、なんだったんだろう。円盤に乗って空高く飛ぶ彼らを目で追いながら、こんな状況なのに私は心が揺さぶられて戸惑っていた。
ついた先は食堂だった。入ると魔法で椅子が片付けられ、床には魔法陣が描かれていた。その円陣を取り囲むように5人の魔導士たちが立っている。私は食中毒を起こした「愛の光」を思い出した。部屋の隅で少年魔導士を横目に見ながら様子を見守る。おじいちゃんは魔法陣の中心に来てぐるりと床を見回した。
「あいつらほとんど陣形は完成させておったんだな」
「癒しの陣に書き換えたからもう大丈夫だよ」
「ああ、魔法陣の基礎が描かれている分、余計な手間が省けた」
魔導士たちは答える。おじいちゃんは私を見た。
「これから毒煙を払って怪我人を回復させ、倒壊した建物を直す。わしが呪文を唱えるが、おまえさんも眠くなったら寝てよいぞ。少し驚くかも知れんがの」
おじいちゃんが両手を合わせた。弟子たちも指を組んで口元で何やらぶつぶつと呪文を唱える。
おじいちゃんの呪文が始まった。
「ほれ、起きんか。学院は元通りになったぞ」
おじいちゃんの声に起こされた。気がつくと私は床に寝転がっていた。気持ちよくなってスノウと一緒に眠ってしまったらしい。
「おまえさんたち面白いな。同じ格好をして寝とったわ」
おじいちゃんが愉快そうに笑った。
「ここはどこニャ?」
気付いたスノウが周りを見回して警戒する。私も起き上がる。驚いたことに体が軽くなって元気いっぱいになっていた。
「うん? 体がすごく軽いニャ」
「スノウ、よかったー!」
抱き上げるとスノウに猫パンチされた。
「なにするの」
「ボクの言うことを聞かなかったニャ!」
「ごめんね。どうしてもベネットを止めたくて。でもスノウが回復してよかった」
そう、またありがとうがいえてよかった!
スノウを抱き上げたまま周りを見回す。魔導士たちはもういなかった。
「さて、わしらも戻ろうかの。おまえさんは何ともないか」
「はい、ありがとうございます。体がすごく楽」
「ご老人、助けてくれてありがとうだニャ」
「それはよかった。怪我人も全員治っておるよ。いまごろ校長が起きだす頃じゃろう」
「お孫さんたちは?」
「先に帰ったぞ。役目を終えたからの」
彼も帰っちゃったんだ。急に寂しさがこみ上げてきた。
「あの、魔導士の一番年下の子もおじいちゃんの孫なの?」
変なこと聞いたかなと少し恥ずかしくなった。スノウも「うん?」という顔で私を見上げる。でもおじいちゃんは何も気づかず
「おお、ハルか。聖名(ホーリーネーム)はラスト・ノートといっての。いっぱしの魔導士のくせにいつも無茶ばかりしておるわ。そこはおまえさんたちの歳相応なんじゃろうのう」
「ハル」っていうんだ。歳が変わらないのに魔導士だからきっと優秀なんだ。
外に出てみると半壊して瓦礫の山だった学院は何事もなかったかのように元通りになっていた。破壊の光景がただの悪い夢だったようだ。グラウンドへ向かう途中、おじいちゃんは説明してくれた。
「首謀者は『愛の光』じゃった。『乙女の祈り』をつぶし、『正義の裁き』とベネディクトの混乱を利用してその隙に宝を奪おうとしたようじゃの。
交流会前におまえさんの報告を受けて校長と考えたよ。ベネディクトは宝について探っとった。あの子に力を授けた者は宝を欲(ほっ)しておる。『第5のチカラ』と知るなら保管場所も知っとる可能性が高い。それならと宝の保管場所である食堂を孫たちに見張らせておったんじゃ。そこへあらわれたのが『愛の光』じゃった。すかさず捕えたところで巨人の出現じゃよ。遅くなってすまんかったのう」
だから以前、食堂が狙われたんだと私は悟った。
「『愛の光』の目的は『乙女の祈り』の壊滅だニャ。宝はいらないはずだニャ」
隣りを歩くスノウが意見する。
「おそらく『乙女の祈り』を壊滅した後を考えたのじゃろう。欲が出たわけじゃな。思ったよりも狡猾な奴らよ。以前より心に隙を持つ生徒を探しておったようじゃ。精神的に弱いベネディクト・チャーチは見事にやつらの条件があてはまったようだの」
あの日、ベネットが一人で森へ行かなかったら学校は危機に陥らなかったんだろうか。もし森へ行ったのが私だったらベネットと同じようになっていたんだろうか。運命ってわからない。私は一人になるよりみんなに会いたいと思った。私が学院閉鎖の話をしたのはスノウだった。その結果、巨人の被害やテロに遭ったりしたけれど学院は救えた。それに黒髪の魔導士ハルに出会えて…。おじいちゃんは続ける。
「ベネディクトは強力な野心を植えつけられたんじゃろうな。さきほどの呪文でそれも消えているはずじゃ。記憶を消してやろう。あの子は自分の行いに耐えられんじゃろうて。今回巨人になったのがベネディクトだとは誰も知らんからちょうどよかろう」
「そうですね。でも、この呪文はすごいね。何でも治せるなんて」
「おまえさんたちのおかげでもあるんじゃよ」
おじいちゃんはほほ笑む。
「この呪文には治癒や回復、浄化作用があるがここまでの力はない。だから学院が守る宝の蓄えとった力を半分以上使わせてもらったわ。その宝にいままで力を与えてきたのはおまえさんたちの笑い声なんじゃよ」
「おじいちゃん、宝って一体…」
「おっと、しゃべりすぎたかの。いまはまだ知らんほうがいいかもしれんな。まだ『正義の裁き』は捕まっとらんし『愛の光』も一部を捕まえただけで、根本は解決しとらん」
私たちはグラウンドに戻った。何もかもが元通りで全員すやすやと寝ている。私たちを見つけて校長先生がやってきた。気疲れした顔だけれど元気そうだ。校長先生は頭を下げる。
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
「例には及ばんよ。のう、校長。今回も学院を危険な目に遭わせてしまったのは認める。しかし、今日の生徒たちの力は宝の力を高めるのに充分な威力があるし、わしらも保護を強化するよ。もともと学院を閉鎖しないようにとの願いでベネディクトはこうした行為に出たのじゃ。もうしばらく学院閉鎖を見送ってくれんかの」
「お願いします! ここにいたいし、みんなと離れたくありません」
私も頭を下げた。でも校長先生は頑として首を縦に振らない。
「気持ちはわかります。しかし、これ以上の犠牲は出せません」
「おまえさんが学院を閉鎖するなら、国はここに遊園地を建設する気じゃよ」
「遊園地?!」
「子供の純粋な笑い声が必要だからの。おまえさんが遊園地の管理者にでもならん限り、次は誰も守れんぞ」
「では国はどうしても引かないと」
「あの宝だけでなく、あんなものやこんなものがここにある限りはのう。ここ以外に適した土地がないんじゃろ」
「わかりました。国には私が掛け合います。それまでは学院は閉鎖しません。少なくとも、アリス・ウィンターフェルが卒業するまで余裕でその時間がかかるでしょうが。それまで協力してもらいますよ」
「おお、喜んで請け負うわい」
おじいちゃんは高らかに笑った。
「ありがとうございます、校長先生」
「間接的とはいえ、今回もまた君に助けられたようだね、アリス・ウィンターフェル」
「ところで、おじいちゃんは何者なんですか」
「国立機関に所属する黒の魔導士の長(おさ)で、この学院の守護者にして創設者の一人だよ」
えええええー! 偉い人だったんだ。
しばらくしてみんなは気付き、何事もなかったかのように交流会が再開された。サッカーを始める私たちをおじいちゃんはニコニコ見守りながら満足そうに帰って行った。
この数日、いろんな出来事があった。学院封鎖と宝の話を聞いて、交流会を企画して、ドーナツあげて、巨人と対決して、学院を大惨事から再生、回復させて…。
ハルの顔が忘れられない。私に好きな人ができたのだった。