Y(妖怪)系カノジョ(第3話)

胸板と弦走(つるばしり)が重い。大袖(おおそで)、草摺(くさずり)が邪魔――そう思いながらも翔は鏡に映った姿を見て一回転してみる。
昨日、あれから翔は頼み込んだ。
「私でできることがあれば先輩を助けたいんです。一週間以内に仕上げますから」
何度も断られたが、頑として引かなかった。最後は鏡華が折れた。そして、しぶしぶといったかたちで烏天狗たちを師匠につけてくれると約束した。
翌日から鏡華は学校を休んだ。表面上は両親の演奏旅行の同行としているが、全国の妖怪たちに発信するのと、学校へ悪魔たちの矛先が向かないようにするためだった。
放課後、翔は鏡華の屋敷を訪ねた。鏡華は不在だったが、出迎えたキミコさんに「お嬢様にお話は伺っておりますよ」と庭に通された。すると烏天狗たちが待ちかまえていた。地なのか怒っているのかわかりにくい面相なので少し怖い。
「これを着なされ」
烏天狗の一人に廿楽(つづら)を渡される。開けてみると白く光沢のある鎧が入っていた。
「人間を相手にするのとは訳が違う。攻撃を受ければ骨は砕け、内臓は破裂する。妖力のこもった鎧がそなたの身を守る。小手(こて)、臑(すね)当(あて)、貫(つらぬき)をつければ異形の者に力が届く」
そこで烏天狗に手伝ってもらって装着してみた。
胸板と弦走(つるばしり)は胸元、大袖(おおそで)は両腕、草摺(くさずり)は両腿の側面を防御する鎧の各名称だ。貫(つらぬき)はサンダルのような靴で、履くと翔の足にぴったりとおさまった。
<聖闘士(セイント)の聖衣(クロス)みたい>
動きづらくはあったが、コスプレをしているようで気に入ったらしい。
「あの、写真撮ってもらっていいですか?」
と烏天狗に頼む始末だ。
庭へ戻る。松の木は剪定され、その下には置き石が並び、池には鯉が泳ぐ風情な和風庭園だった。そして広い。ちょっとした公園ほどの大きさである。
残月(ざんげつ)と名乗るリーダー格の烏天狗が翔に一振りの日本刀を与える。
「娘御、武器を使ったことは」
「ありません。いつもは素手なので」
翔は見上げながら答えた。高足(たかあし)下駄をはいているので烏天狗たちは全身2メートル近い。気まずい空気が流れた。烏天狗たちが顔を見合わせる。残月は渋い声になる。
「まずそこからか。やめるならいまのうちだ」
「頑張ります。覚えますから教えてください」
まず、剣の使い方を教えられ、いきなり実戦となった。
残月たちの見守る中、一対一で構えさせられる。「開始」の合図で錫(しゃく)杖(じょう)で飛びかかってきた烏天狗の攻撃を剣で防いだ。最初の攻撃を受け、翔はギクリとした。一撃が重い。堪(こら)えるので手いっぱいだ。思えば、いままで悪魔の攻撃を受けていない。知らずに戦ったら簡単に倒されていたところだ。立て続けに打ち込んでくる烏天狗。歯を食いしばって防戦する翔。烏天狗の動きは早いが翔も負けていない。剣で攻撃をすべて受け止める。しかし防戦一方だ。残月に「反撃しろ」と命じられても隙がなくてできない。
「辞め」と言われるまで続いたが、翔はまったく反撃できないまま終わった。気づけば、体に何箇所か打ち身ができていた。これは武器を持ったストリートファイトだ。翔の知る一対一の格闘技とは戦い方が違いすぎる。
負けのこむのは何年ぶりか。両手両膝をついて肩で息をする翔に烏天狗たちは無言の冷たい空気を発している。
悔しかった。格闘家としてのプライドが傷ついた。でも、負けたくなかった。
クスクスと笑う子供の声が聞こえた。
翔が声のした方を見ると、松の木から少年と少女の二人が顔をのぞかせていた。烏天狗が手招きをすると二人は恥ずかしそうだが楽しそうに翔の傍まで寄ってきた。
二人とも5歳くらいであろうか。女の子は頭のてっぺんに大きなピンクのリボンをつけ、長い黒髪を巻き髪にしている。ヒラヒラしたフリルの大きいピンクのロリータワンピースがまるで西洋人形のようだ。反対に、少年はキャップにストリート系ファッションだった。生意気にも片目にスカルの眼帯をしていた。二人のはにかんだ顔が可愛い。
翔は肩で息をしたまま立ちあがって残月に尋ねる。
「水明先輩の親戚の子ですか」
「いいや、この者たちは座敷童子(わらし)と一つ目小僧だ」
「え、でもイメージが……。古風な着物姿だったんじゃ……」
「時代に合わせて進化したいそうだ」
少年は眼帯をめくって見せる。確かにその下にはあるべきはずの目がなかった。
驚いたが、翔はすぐに目を細めて微笑む。二人が可愛かったのだ。
「こんにちは。仲良くしてね」
二人は楽しそうに、翔の前に後ろ手に隠していたものを取りだした。それはマシンガンと手榴弾だった。若い烏天狗が手を振ってしまわせる。
「おぬしら、今日使うのはそれじゃないぞ」
「えー、そうなのー?!」
明らかに不満そうな子供たちに、驚いて言葉の出ない翔はかたまる。
残月がうなずく。
「この二人は優秀な戦闘員。そうだな、彼らとまともに闘えたら我らが稽古をつける」
「でも子供ですよ?!」
「とても強い妖力と戦闘技術を持っておる。まずは二対一だ」
視線を移すと、すでに座敷童子が両手に戦(せん)斧(ぷ)を、一つ目小僧が鎖鎌(くさりがま)を手にしていた。「狩る者」の目でじりじりと翔に迫る。
<しまった。この子たち、相当強い>
本能が危機を感じ取り、避けるように後ろへ後退する。その翔の目の前に戦斧が振り下ろされた。地面に刺さった深さから考えるに真剣だ。間髪置かず、一つ目小僧が攻撃を仕掛ける。翔は力まかせに跳ね返す。鈍い音を立てて辛くも防いだ。攻撃が重い。剣の刃が折れるかと思った。座敷童子もすぐに体勢を整えて跳び上がり、頭上から戦斧をふりかぶる。子供は手加減を知らない。素早い動きと攻撃力の高さは烏天狗をもしのぐようだ。
<殺(や)、殺やれる――!!>
攻撃どころか防戦一方になる。庭を駆けまわり大乱闘となった。見ていた烏天狗たちもやいのやいのと応援する。
初日にして、翔は打ち身と傷だらけになり、翌日は全身筋肉痛になっていた。

何日かたったが、鏡華は相変わらず屋敷に戻らなかった。翔は心配したが、烏天狗たちによると、無事らしい。キミコさんは、鏡華の不在にもかかわらず、翔が訪ねれば、風呂も夕食の支度もと良くしてくれた。鏡華が言い含んでおいたてくれたおかげだろう。
翔は、学校で仮眠をとっては教師の攻撃を無意識で交わし、部活の助っ人を短時間で切り上げ、挑戦者たちを秒殺したあと、鏡華の屋敷に通う毎日だった。石化した子泣きジジイを重りにタイヤ引きをしたり、ぬりかべにサンドバックになってもらったりと筋トレまで充実していた。
この数日のうちに、翔はチビッ子スパルタ妖怪たちの攻撃を防ぐだけでなく、自らも攻撃できるようにもなってきた。とはいえ、二人には手応えのあるダメージは与えられない。
今日も翔が庭に行くとリーダー残月に呼ばれた。
「あと数日しかないとみて今日から我らも一人ずつ加わって特訓をする。きつくなるぞ」
「はい!」
翔だけではなく、子供たちと烏天狗、ぬりかべたちまで返事をした。統制がとれている。
そこへ庭に来たキミコさんが嬉しそうに声をかけた。
「お嬢様が戻られましたよ」
全員の顔に緊張が走る。キミコさんの後ろに制服姿の鏡華が立っていた。何日か振りの鏡華は相変わらず美しいが、少し疲れているように見えた。座敷童子と一つ目小僧が嬉しそうに嬌声をあげて飛び出していく。
両腕を広げ、鏡華は胸に飛び込んできた二人を抱きとめた。嬉しそうに目を細める。
「おぬしらか。息災でなによりじゃ」
「お久し振りですぅ、ぬらりひょん様ぁ!」
首に腕をからめる二人をひょいと両腕に乗せて持ちあげ、翔たちに歩み寄る。
「おまえたちも変わりなかったか」
「はいっ!」
大人の妖怪たちは全員膝をついて控えた。疲れを見せてもなお美しさを纏う鏡華に一瞬見とれ、はっと気づいて翔は頭を勢い良く下げた。
「おかえりなさい、先輩」
「うむ、がんばったようじゃの」
翔が顔を上げると、子供たちを降ろした鏡華が緊張の面持ちになっていた。
「今夜じゃ」
その意味がわかり、庭の空気が張り詰める。
「扉が開く。月が膨れあがり、匂いが充満しておるわ」
「なんの匂いですか、先輩」
「縄張り荒らしの匂いじゃ」
珍しく鏡華の声に怒りがこもっていた。

「試験勉強」の言い訳はいつの時代も天下御免の高校生のお泊りの理由だ。
しかも、母親へ電話対応した相手がキミコさんだ。良家お抱えの家政婦直々に丁寧な挨拶、翔をほめちぎりつつの日ごろのお礼、懇切丁寧な宿泊の事情の説明ときて、「大事なお嬢様をお預かりいたしますので粗相のないようにお世話いたします」とまで言われたら、一般家庭の主婦である翔ママはかしこまるより他はない。ふつつかな娘を熨斗にくるんで献上する勢いで許可してくれた。
電話を終えた翔は、襖を片付けて大広間にした座敷に戻る。簡素だが上品なしつらえで三十畳はあろうか。そこではすでに妖怪たちが休んでいた。横になる者、瞑想する者、静かに談笑する者と様々だ。傍目にはやはり妖怪屋敷のように映るのかもしれない。
<どうしよう。私はまだ特訓の途中なのに。一緒に行ったら足手まといになる。せっかく時間を取ってもらったけど、辞退したほうがいいのでは>
クイクイと鎧の裾になる草摺(くさずり)が引っ張られる。見ると座敷童子が握っていた。
「どうしたの」
「翔、これを食え」
隣にいた一つ目小僧が勢いよくボーリング玉の半分くらいあるまん丸の黒いものを差し出した。海苔でぐるぐる巻きになったおにぎりだった。よく見ると、二人とも同じようなおにぎりをそれぞれ片手に持っている。
「ありがとう。あの、これは……」
「二人がそなたのために握ったのだ」
歩み寄ってきた残月が答えてくれた。高下駄を脱いでいるのでいつものようには見上げないが、それでも彼は体格がよく背が高かった。やはり圧倒される。
「そなたが気にいったのであろう。特訓によくついてきた」
「私は未熟です。今も参加してはいけないかと思っていたところです」
「翔殿はご自身が思うより力をつけている。一つ目たちも我らも翔殿には一緒に戦ってほしいのだ」
「いまの私では戦力になりません」
「いや、一人でも多いほうが良い。我らと同じ組で戦ってもらうが、自分の身は自分で守ってくれ」
「わかりました。頑張ります」
覚悟を決めた翔の目を見て彼は力強くうなずく。またも草摺(くさずり)を引っ張られ、見ると一つ目小僧にお茶の入った湯呑を渡された。
三人で並んで座り、おにぎりを食べた。疲れが出たのか、いつしか三人とも壁に背中をつけ、肩を寄せ合って眠っていた。
その様子を鏡華は心持ち口角をあげて見守っていた。微笑みらしい。彼女は三人に視線を置いたまま残月に尋ねる。
「翔の仕上がりはどうじゃ」
「はい。武器が不慣れとはいえ、良いほうかと。一つ目たちが指導したのでかなりきつい特訓でしたが、よくついてきました。武術の勘どころは良いですね」
「そうじゃろう。なにせ総合格闘技アジア1位の実力じゃ。日本空手と合気道もかなりの腕前らしい」
「そうでしたか! いやはや、謙虚な方です。それだけ強ければ自尊心もあるでしょうが、武器が不得手の言い訳もせず、強さを驕ったりもしない。そのうえで自分の実力を未熟と謙虚な気持ちで受け止められる。我らが翔殿に一目置く理由はここにもありましたか」
「他にもあるのか」
「可愛いです」
ふはは、と天井を仰ぎながら鏡華は愉快そうに笑った。

小豆洗いに起こされ、翔たちは目を覚ました。
「庭に出ろ。国へ行くぞ」
なんのことかわからない翔だったが、ひとまず庭へ出てみた。
すると空間に縦2メートルほどの黒い裂け目ができていた。暗くてどこへ通じているのかわからない。その裂け目へ妖怪たちが順番に足を踏み入れて行く。
屋敷の影からもうひとつの影が離れて、暗い臙脂の着物を身にまとった少女になった。鏡華だった。右手に煙管(きせる)を持っている。暗色の着物が鏡華の透き通った肌を強調し、色気すら醸し出している。
「どうもこれがないと落ち着かのうて」
煙管を指で一回転させる。手をわきわきさせていたのは手持ち無沙汰のせいだったのか。かといって吸う気はないらしく、手元でクルクルと煙管を回して弄んでいる。
草履の鏡華は音もなく翔へ歩み寄った。
「心配事はないか」
「はい、大丈夫です。気がかりだった妹の体調も良いと母が言っていましたので」
「具合が悪いのか」
「生まれつき体が弱くて。入院となるとここにはいられませんでした」
すっと翔の肩に鏡華が手を乗せた。正面から鏡華の美しい瞳に捉えられ翔は動けなくなる。
「家族が大変なのにすまない。おまえにも苦労かけるな。いざとなれば儂(わし)がおまえを守る」
鏡華の真剣な表情に、翔は視線を反らして照れた顔を隠す。
「わ、私はトレーニングしたので大丈夫です。それに――」
私が先輩を守りたいんです。
なぜか恥ずかしくて最後まで言い切れなかった。いつも茉莉香たちクラスメイトや妹の雛(ひな)には言っているのに。
鏡華は他の妖怪たちに声をかけに去った。翔は落ち着かず、夜空を見上げた。月は見えない。しかし、どこかで赤々と淀んで膿み膨らんでいるかと思うと心はざわついた。
「翔、行くぞ」
右手を一つ目小僧に、左手を座敷童子に取られる。翔は促されるまま空間にできた黒い裂け目へと足を踏み入れた。