旅人(4)
磯崎は親友を失い、そして、実は自身も不治の病魔に侵されていた。胃がんを発症していて、早期の手術を勧められていた。胃の中に鉛があるようで、常に鈍痛に悩まされていた。間断なく襲う痛みに耐えている間は全く思考力を失っている。まるで苦行に満ちた地獄の世界にいるようである。
病と闘い続ける人生に意味はない。生か死か、その結論を得るための寺回りは、善光寺で最後にしようと決心していた。
磯崎はもう現世に未練は無かった。現世は虚構の世界であり、元の居場所に戻る、つまり長い旅路を終えて故郷に帰る時が来たのだと悟ったのである。
大学を卒業し、農業試験場の職員として研究、実験を重ねて来たのだが、主には作物の成長を注意深く観察し、病気や害虫の発生状況など、少しの瑕疵もなく育てるのが篤農家だと、先輩に教えられ、その通りに実践して来た。雑草を抜き、病気にかかった苗を焼却処分し、とにかく完璧な圃場管理が篤農家への道であると教えられ、その通りに仕事をして来た。こうして叱られながら身につけたキャリァは誇れるものだと信じていた。だが、大学院を終えて就職して来た職場の後輩は、細心の注意を払って作物を育てる従来の栽培方法を嘲笑った。
「近代の農業は、篤農家といわれる人はいらないんですよ。環境は自動制御で作り出し、作物の成長や収穫量、抗病性については種の遺伝子が、農家が希望する作物を作ってくれるようになるんです。だから、不作になった場合の責任はすべて種苗会社が負うことになるんです。将来はね」
新人職員は続けて、
「まあ、早晩、大学では、農学部は消えると思いますよ。農学部が無くなり、遺伝子工学が農業分野に進出して来るんだろうな」
と、真顔で持論を披瀝するのだった。
磯崎はこの若い職員に反論する知恵も気力もなかった。それどころか、時代の変化とは、こういうことなのだと納得したものである。
若い職員は、旧来型の農業技術を否定したのだが、磯崎にしてみると、即ち自身が培ってきたキャリアを、全否定されたと感じていた。
(つまり、時代が、我々のような旧人類を必要としなくなったのだ。それどころか、今後はこれから将来を担っていく若者のお荷物になる存在でしかなくなったのだ)
社会から必要とされず、今後は無為徒食を重ねる老人は、早晩この世から消え去るべきだ。なぜなら、将来の希望もなく、生産性もなく、生きるためのコストばかりかかる老人は早くこの世から去って欲しい。それが毎日汗を流して年金の掛け金を払い、奨学金の返済を続ける若者の本音だろう。その通りだ、生きる価値を失った者はさっさとこの世から消え去るべきだ。
「現世に生きる人々は総て旅人であり、旅の終わりに天上に戻り、再び旅に出る。これの繰り返しですよ。つまり輪廻転生、人生はその一部分です。愚僧はそう思ってます」
善光寺の住職はそのようなことを言っていた。その言葉で磯崎は救われた。
(生まれ変わった時、この世はどんな風になってるかな)
磯崎の一人娘は、アメリカの青年と結婚して、カルフォルニアに住んでいる。日本に戻ることはないだろう。娘に訊いたことはないけど、時々掛かってくる電話から、日本に戻る積りは全くないようである。それはそれで、アメリカの生活に満足して、毎日が楽しければそれでいいと思っている。
振り返って見ると、娘を育てている時代が一番楽しかった。野望を捨て、夢を趣味として育めば家計費に負担を強いることも無い。この年になって考えると、幸せな人生だったのだろう。
何といっても、磯埼の人生は戦争も内乱もなく、平和で、経済も順調で将来の不安は全く無かった時代だった。世界規模で見ても稀有の国だといえる。
だが、経済的な不安がなく、日本全体が平和の世の中にありながら、人々の心は何となく荒んで来たように感じていた。特に定年後は、好きでもないことをやって、例えば、パークゴルフとかゲートボール、ウオーキングにカラオケ、に興じているようだが、貴方達は本当にこれらの遊びが好きなのですかと訊けば大抵は複雑な表情を見せる。
何も無理しなくても良いと思うのだが、よく調べてみると、そんな人達には積み上げられたキャリァが無いことに気がつくはずである。つまり、仕事一筋に生きてきた故に、趣味という余裕を知らないのだ。
それでも、何かをしなければ、という焦りが、好きでもない行動をとらせるのだろう。暫く疎遠になっている友人から、今何してる?と聞かれたら、悠悠自適の生活さ、と答えるのは憚れる。なぜなら悠々と生活できるほど、年金は多くない。そんなこと位、友人は百も承知である。だから、自嘲気味に、
「ああ、今は暇だからね。もっぱらパークゴルフ三昧だよ。健康のためにね」
って答える。本当はゴルフ三昧といいたいところだが、勿論しょっちゅうゴルフが出来るほど余裕はない。最後に、健康のためにね、って付け加えるところが物悲しい。
礒崎は妻を失い、娘は異国に嫁いでいて、いつ会えるかも知れない。アメリカのカルフォルニアなんて、全く想像もつかないところに何故好き好んで行ってしまったのか、磯崎には娘の考えが理解の外である。
いずれにしろ、天涯孤独の身の上の磯崎がどこで野垂死しようと、悲しむ者はこの地上には居ない。ただ娘がどう思っているかは分からないが、父が入院し、余命いくばくもない身をベットに横たえていると知った時、娘は看護の為に帰国するだろう。娘が看護の為に帰国するとなると、精神的にも肉体的にも金銭的にもその負担は計り知れない。親の心情とすれば、絶対に避けたいと思っている。
磯崎が人知れず逝っても、天国で父や母、兄に姉が快く迎えてくれるはずだし、金銭の負担もない。再び、昭和の時の家族のように、一つ屋根の下で暮らせるに違いない。
礒崎は天涯孤独の身になっても寿命が尽きるまで生きて行こうと思っていた。だが、終日、季節ごとに変わる草木の変化と、空の色の移り変わりを眺めているばかりの生活は、体に良いはずはない。案の定、検査で胃の他に前立腺にも癌が見つかり、その他、顔面には酒さが発症し、親指がばね指となったり、信じられない病気が次々を身体を襲って来たのである。
礒崎は胃の他に、前立腺にも癌があると診断された時、さほど驚かなかった。来るべき時がきたな、と、そんな感想だった。もう、生きていても仕方のない老体である。自分が生に執着し、生きようと努力すればするほど、コストがかかるのである。芸術等、多少なりとも社会に貢献できるものでもあれば、延命する価値があるのだが、今の磯崎には生産性のある技術もなければ知識を後世に伝える博学もない。ただの、病魔の餌にしかならない身体を持て余している老人でしかないのである。