不戦の王 1 謎の男
<目次>
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その出自を訊かれると、
「この身は異類婚で生まれたがゆえに…」
と、あとの言葉を濁す男がいた。
イルイコン、とは聞きなれない。どういう意味か。
しかし男は、それ以上の説明をいっさいしない。何度問われても、名前さえ名乗らない。掌に掬い取った清水を想わせる涼やかな視線を返すだけだった。
このあたり、北上川の源流のひとつ、七時雨山(ななしぐれやま・現在の岩手県北部)の一帯で見かけるような人間ではない。斜めに切れ上がった眉と目。よく才知はその眼光に顕れるというが、この男の場合、眉間にも頬にも口元にもそれが漂っている。二か月前、半死半生の高熱に浮かされて、「毛無(けむ)」と呼ばれる蝦夷(えみし)の一部族の村にたどり着いた。
ただ、村といっても定住型の集落ではない。
森の恵みや鳥獣を一か所だけからとらないため、そしてまた彼ら自慢のマイカー、一日で千里を走るという中国の汗血馬の血をひく駿馬の食糧確保のため、七時雨山塊に展開する五つの高原地帯を季節によって棲み分けている。
蝦夷は、古くは近畿地方にまで進出していたとの記録も残っているが、奈良時代には東北地方で部族連邦を形成し、「まつろはぬ民」、すなわち服従しない人々として、朝廷から畏怖されていた。
初めは「毛人」と書いてエミシと読んだ。
ハイブリッド民族である。
縄文人の末裔、モンゴル系、黄河流域人、南方系、さらには交易ではるばる大陸を横断してやって来た紅毛碧眼人種などの血が混ざり合い、日本列島を支配しようとする倭人、大和民族とは、明らかに異なる民族となっていた。
その蝦夷も平安初期、征夷大将軍坂上田村麻呂の東征を大きな転換点として、ようやく律令国家の体制に組み入れられるようになるのだが、すべての蝦夷がそれに従ったわけではなかった。
たとえば毛無一族がそうであったように、秋田県や岩手県の北部から青森県に住む蝦夷は、「朝貢」という朝廷に貢物を差し出す礼は尽くすようになったものの、その後も強い独立性を保持し、皇化することを頑なに拒み続けているのだった。
さて、話を戻せば…。
その男、病が癒えるまでに半月。癒えると去るかと思いきや、そのまま住み着いた。そして、最初から蝦夷言葉をネイティブのように操り、皆と何の不自由もなくコミュニケーションをとることができた。
蝦夷言葉、つまり倭人に言わせると「夷語」ということになるのだが、倭人が蝦夷と会話をする場合、その蝦夷に和漢の素養がなければ、夷語を解する訳語人(おさびと)を間にたてなければならない。それほどに倭人と蝦夷は文化が違うのだった。
村人は首をかしげた。
「元々どこぞの蝦夷だったのであろうか」
「いや、他国に俘囚として送られた蝦夷から習い覚えたのではないか」
そう噂し合った。が、ほんとうのことはわからない。その件に関しても黙している。
年齢はおそらく三十歳前後か。
僧形である。
僧形ではあるが、念仏を唱えるところを誰も見た者はいない。しかも剃り上げた頭には、都びとのように、たいてい立烏帽子をかぶっている。
「坊さまではあるまいぞ。ひょっとして滝口か何かのなれの果てではあるまいか、そう思うのじゃが」
この地よりずっと南、現在の平泉近くの蝦夷だった者で、朝廷の支配が及んだとき村ごと京に移配されたが、その後逃亡してここに流れ着いた老人がそう言った。
唯一、京を知る者の言葉。
「そう言われてみれば、そういうことか」
毛無一同、妙に納得しないではいられなかった。
滝口とは天皇の私的護衛武官のことなのだが、この物語の舞台、十一世紀半ばの平安中期では、むしろ用心棒、殺し屋に近い感覚で人々には受け取られていた。要は、命令とあらば情け容赦なく人の命を奪うおぞましい連中。為政者である天皇や貴族からすれば、ドーベルマンやシェパードを何百、何千頭も飼っているに似た、血の臭いのする職業なのだった。
あらためて観察してみると、この男、なるほど、僧にしては身ごなしに油断がないし無駄もない。また、その目は澄んで見えるとはいえ、底を覗き込むと、ただの真水ではないことが見てとれる気もする。時折見せる「生き血をその目で舐めたばかり…」のような翳りは、そういえば、かつて凶刃を振るった部族の男の目にもあったような…。
以来、遠巻きに男を囲み始めた。
さらに。
毎日必ず村にいるわけではなかった。
「しばし乞食(こつじき)に行ってまいります」
そう言って丁寧に頭を下げ、三日、四日、長いと十日以上も姿を消すことがあった。そして、こんどこそもう帰って来ないのではないか、そう思っていると、ある日、村の広場でのんきに子どもと遊んでいたりする。
なぜこの毛無を選び、離れようとしないのか。皆にはよくわからなかった。
「そろそろ身を落ち着ける場所がほしいのじゃろう」
「そうかもしれぬ。長の姫が二人がかりで世話をしておるからのう。誰でも去りとうはなかろうわい。朱鳥(あけどり)さまも二尾(にお)さまも、どこまで男にゆるしたのやら」
「これ。姫たちのことを、そのように言うでないぞ。そんなお方でないことは知っておろうが。長に聞かれたら、首がとぶぞい」
朱鳥。
二尾。
毛無一族の首長、酋刈乙比古(おさかりのおとひこ)の娘である。男児はいない。男児の代わりは姉の朱鳥がやっている。父が育てたと言ってもよい。幼児の頃から男の子の仲間に入れられ、武芸、筋力を鍛え、馬を操れるよう仕込まれた。
妹の二尾は姉とは真反対に母が育てた。
「この子は、朱鳥のようにはさせませぬ」
二尾が生まれると、すぐ母の曾々波(そそは)は夫をわが子から遠ざけんばかりにして守った。
二つ違いの姉と妹。二十と十八。その二人が、競い合うように見知らぬ男の世話をしている。それには、毛無の娘たちが同族以外の男性との婚姻を義務づけられているせいもあった。
「それにしても、何ゆえにここに?」
疑問は去らない。
食い詰めた板東からの流人の一団が、陸奥国の北限の砦、厨川柵(くりやがわのさく・現在の岩手県盛岡市)の近くで捕まった、という噂は聞いたことがある。
しかし、ここはその厨川柵から道なき山野に踏み入り、たとえ何日かけようともたどり着けるとはかぎらない化外(けがい)の地、外国人の地、朝廷支配の外にある地である。
「なんであれ、よほどの事情あってのことじゃろう。ここまでやって来るとは」
いつも噂話は、そういう漠とした結末に至る。
だが、そのあたりの事情についても、いまのところ、当人は口を閉ざして語ろうとはしない。朱鳥と二尾は、それでなおいっそう男への興味を募らせていた。