不戦の王 14 交錯する策謀
<目次>
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そもそも源頼義と清原の交渉は、戦後の論功行賞に妥協点さえ見い出せれば、そうむずかしい点はないはずだった。
しかし、清原は頼義の足元を完全に見透かしていた。
(源氏のやつばら、安倍にかなわぬとなると、頼むは清原しかおらぬ。ふん。よほどの取引でないと、わしらは乗らぬぞ)
当主光頼、武則の兄弟は、最初からそういう腹だった。
しかも清原は、同族の雄、安倍の足元までも見透かそうとしていた。
安倍とは古くから縁戚関係を結び、一種の不可侵条約の代わりとしている。が、信義を重んじる気持など清原側にはない。あるのは利害得失だけ。
このたびの合戦、もつれれば十万を越す討伐軍を朝廷が差し向けるのは目に見えている。
(安倍はそれをいちばん恐れておるはずじゃ。そうなれば、戦の勝ち負けよりは、血脈の存続を思う安倍のこと…)
必ず清原に頼ってくる。清原はそこにつけ入ろうとしていた。
事実、そうだった。
安倍貞任はすでに何度も密議を持ちかけてきていた。
「源氏と安倍。まあ、ゆるりとあなたこなたして、我らの利になることは何か、それを見て動けばよいのでござるよ」
武則は絶えず遠くを見ているような、焦点をどこに結んでいるのかわからない視線を虚空に放って兄光頼に言った。
武則は下ぶくれの顔に長いひさしの眉。一見すると、背を丸めて縁側で日向ぼっこをするご隠居のようだが、その鈍い眼光の奥には、決して自分の利を見逃さない奸智が潜んでいる。
武則自身もすでに五十を超えているが、兄はさらに一回りも上の高齢である。いまでは名前だけの家長で、現場はすでに弟武則の主導で動いている。
が、奸智という点では、そこだけに生命力のすべてを集めているかのように、まだまだ衰えを知らなかった。光頼は唇をべろりと舐めてから言った。
「すべてはそちに任せるがのう、ひとことだけ申せば、長引かせることじゃ。そうすれば、それだけ我らへの条件はようなる」
「心得ており申す。源氏がせっぱ詰まるのを待っておるところにござりまする」武則は応えた。
「それがよい。返答は引き延ばせるだけ引き延ばすがよいぞ」
「お任せあれ。あなたこなたすることこそ、我が清原のお家芸でござるからして…」
その後の言葉を呑み、二匹の老狸は狡猾な視線をからませ合った。
そうこうしているうちに、1061年の十二月、とうとう頼義、二期目の任期が終わってしまった。
後釜の陸奥守は親子ほど年の違う高階経重(たかしなつねしげ)。
頼義はおおいに焦っていた。
が、それは内心だけのこと。表向きはしゃあしゃあとして、国府多賀城に入った若い後任者にねっとりと言ってのけた。
「新任の高階殿にはいきなり酷な話でござるがのう。この十年の任期で、安倍を除く国内の蝦夷はわれら源氏を敬い、慕っており申す。新任者の言うことに、さてどれほど耳を貸しましょうや。これはのう、高階殿、みすみす家名を汚すような御務めとなりますぞ。ご不審とあらば馬を出し、そこらの蝦夷をつかまえて言葉をかわしてみるがよろしかろう」
そう言って上座に腰をすえ、交替の挨拶などする素振りも見せない。
(こんな若僧をわしの後釜に据えるとは。やれるなら、やってみるがよい。陸奥のまつりごとは、都できざはしを昇るよりむずかしいのに、京のご仁はそれを知らぬとみえる)
頼義。八の字眉の下からじろじろと経重を眺めながら、そういう腹の底が見えるよう、わざと小馬鹿にした薄笑いを浮かべた。
頼義としては、戦果なく京へ帰れば、嘲笑されるだけである。関白頼通と交わした密約、蝦夷の黄金を手中にする話も、とっくに空手形に終わっている。だから、
(なんとかこやつを追い出して、陸奥での失地回復の手立てを講じたいものじゃ)
心中はその思いをぎりぎりと絞っている。
「さあ、馬を出されよ。陸奥守は一家繁栄をもたらす垂涎のお役目と勇んでおいでたのであろうが、なんのなんの。安倍のおるかぎり、そのようなことは昔語りでござる。それとも何かな、この源氏でさえ手を焼いておる安倍を、そこもとの力で征伐できるとでもお思いかな」
高階経重、功名心だけは盛んだが、もとより武士の間で源氏ほどの声望はなく、安倍を真っ向勝負で撃破できる自信など、はなからなかった。
しかし、そのかわり経重には朝廷の後ろ盾がある、という自負があった。
(関白殿も、いつまで待っても戦功をあげぬ源氏にあきれ果て、いまではこの経重に次代の陸奥を託しておいでだ。なのに頼義め、そのことがわかっておるのか、おらぬのか、大口を叩きおって。京の風の吹きようは変わったのじゃぞ)
表向きは先輩国守に敬意をはらう風情を見せながらも、経重は経重で腹の底を煮えくり返らせていた。
さっそく経重、近隣の郡司を呼んで、現状把握に努め始めた。
やってみると、しかし頼義の言、まんざら大口ではないことがわかってきた。
国守としては今後とも源氏を戴きたい、その態度が郡司たちの言葉の端々に見えて、誰ひとり新国守にまともな敬意をはらおうともしないのである。
『陸奥話記』によると、
「人民が頼義の指揮なら従うが、経重などに…とそっぽを向いた」
という意味の記録が残っている。が、この記述、もともと源氏礼賛の記録文書だから、事実はどうだったのだろうか。
もし記録どおりなら、寝業師の頼義、手なずけた一部の蝦夷に一芝居打たせたことは容易に想像できる。
そのことは経重も真っ先に考えた。そして翌日。
経重は頼義の館に足音高く踏み込み、怒りを生でぶつけた。
「蝦夷どもに一芝居させるような姑息な策謀で、わしを京に帰せると思うておいでかっ」
細い鼻に向かって目、口、頬が集まった尖り顔をなお尖らせ、経重、源氏への対抗心をぶすぶすと燻らせた。
「ほう。たいそうなご立腹じゃが、姑息な策謀とは聞き捨てならぬ。のう、義家。源氏がこのような雑言を浴びせられて黙っておってよいものかな」
衝立のむこうに控える息子義家に、頼義はにやにやと声をかけた。義家も応じた。
「まさか、新国守の言葉とも思えませぬな。野卑な蝦夷でさえ、そのようなことは言えますまいて」
「だ、だ、黙れいっ。ならば、こうしてくれるっ、源氏が十年かかってもできなんだことを高階がひと月でやってみしょうぞっ。腰抜け源氏と京でののしられておることも知らず、よっくもっ」
経重、からだを突き上げる怒りに震えながら、その場で配下の者に命じた。
「衣川の安倍貞任のもとに走れっ。多賀城にすぐ挨拶に来いっ。話があるっ。貞任にそう言えっ」
すべてに直線的。跳ね回る感情の荒馬に跨って、しかもそれに蹴りをいれているような性惰。
(貞任め、なぜ国守に言われるまで知らん顔をしておるのだ、無礼者めっ)
その思いもある。
しかしこれは、安倍一族の気位の高さを熟知する源頼義からすると、ハッとするほどの仕業だった。ハッとはしたが、頼義、同時にほくそえみもした。
経重の怒りにそびやかした背中が居館から消えると、頼義は上機嫌で言った。
「義家、聞いたか。経重のあの言葉。愚かな男よ。安倍は郡司をしておっても、国守の下僚になったつもりなどないからのう。安倍は陸奥の実権を手放さぬために六郡の郡司をやっておるだけじゃ。そこをわからず、蝦夷は倭人に膝を屈しておると思うと、大転びに転ぶぞ。経重、おのれの器量が何ほどのものか曝け出してしもうたわい」
頼義にすれば、ろくに相手も見ず、しゃにむに突きを入れる未熟な若武者を見る思いだった。なんという底の浅さよ。
「誇り高き安倍との談合を始めようというのに、これでは熊を怒らせてから首に縄をかけに行くようなものじゃ。のう、義家」
「さよう。うまくいくはずがござりませぬ」
「いまに強靭な爪で一撃をくらうぞ」
案の定。
安倍貞任はあからさまな居留守をつかって、使者に会おうともしなかったらしい。
その報を後日耳にすると、頼義はかび臭い微笑を片頬に浮かべ、妙に安心したように嫡男義家に言った。
「さすが貞任。ようやってくれた。あのような若僧にはそれでよいのじゃ。そうとわかれば、やれ、安堵安堵。ここはのう、義家、わしはひとつ考えを変えようかと思う。どうであろう、ひとまず鎌倉に下がろうかい。鎌倉から経重の転びようを見物するのじゃ。やつは間違いのうひっくり返る。そうすれば、再び源氏の出番がくる。それを待とうぞ」
「もとより父上のお考えに異存はござりませぬ」
かくして、源氏は陸奥を高階に明け渡した。陸奥への復活を期して、いちどは陸奥から去ることにしたのだった。
ただし。
去るに際しても頼義、ふつうには去らなかった。経重に挨拶をしないどころか、あてつけがましく、多賀城に手なづけた南の蝦夷たちを大勢集め、経重の目の前で盛大に見送らせた。そして、
「必ずまた帰ってきてくだされよ」
そう口々に叫ばせたのだった。
一方、京の関白頼通は、新しい自分の手先、高階経重のために第二の矢を用意していた。
それは、公卿による最高会議「陣定め」、要は閣僚会議のようなものだが、そこにおける総理大臣格、藤原頼通の発言であっさりと決まったことだった。
関白頼通は言った。
「もし高階が安倍との和睦に失敗した折には、力づくで皇化を達成する。もはやその時機でありましょう。源氏を送ったにもかかわらず十年もの長きにわたり皇化に手こずった。さらに此度、安倍から和議を持つことさえ拒絶され、しかも拒絶された朝廷には何も打つ手がないとなれば、すでに皇化しておる蝦夷どもまで含めてどう出るか。朝権恐るるにたらずと、堂々と反旗を翻しましょう。その反旗の裾は遠からず出羽にまで及ぶはず。そうなれば、もはや坂東から先に黄金の街道はないも同然。おのおの方、それでもよろしいのか」
よろしいはずがない。公卿たち、うち揃って首を横に振った。
では…と頼通は続けた。
「和睦不成立に備え、相模、武蔵、下総、上総、上野、下野、常陸など坂東各国の兵を結集させる。そして時機来たれば、桓武帝以来最大の征夷軍を陸奥へ向けて挙げる。それにより、未だ皇化になじまぬ蝦夷、安倍一族の息の根を完全に止める。よろいしいかな」
話を再び高階経重に転ずると…。
経重は、安倍貞任からその後も無視され続けていた。
経重は「安倍は我が下僚である」、倭人の川下にいる蛮族、という思いが未だにぬぐえない。もちろん、蝦夷の中でも安倍は、倭人と対等だという尊厳を未だに保持している部族、ということは聞き知っている。知ってはいても、自分の意識としては、そんな尊厳、チャンチャラおかしいのである。だから、怒りがのしかかるように覆いかぶさってくる。
しかし。
戦に持ち込めば、源氏でさえ十年にわたって勝てなかった相手。関白が十万の兵を用意してくれていると聞いても、勝てる自信などいっこうに芽生えなかった。
だから、ともかく和睦を成立させる。どんなに安倍が無礼でも、和睦こそ我が上策。
(貞任とて、いずれは和議に応ずるはずじゃ)
必ず応ずる。そうであろう、貞任?
経重は自問自答をくり返した。
安倍というのは強いには強いが、その性、専守防衛。決して好戦的ではないというではないか。しかも貞任にとって、源頼義は父頼時が討たれる因をつくった男。頼義との和議に応じにくかったのはそのせいであろう。が、新国守となら喜んで和議に応ずる…。
(そうであろう、貞任?)
経重、祈るようにその観測にしがみついた。
その貞任。
安倍貞任としては、和睦の話し合いを持つことに、ノーと言ったわけではなかった。使者が来るたびに、
「安倍は一族の合意を旨といたします。それゆえご返事を差し上げるのには時がかかり申す。いましばらくお待ちいただけますように」
やんわりと回答を保留してきただけなのである。
ただし、使者が来るたびに返答はまったく同じ文言。しかも、貞任からは使者をたてることもしない。
経重は、待たされているうちに、しだいに自分の方が蝦夷に膝を屈しているような気分になってきた。
考えてみれば、国守の側のとるべき態度ではなかった。なぜ国守が、領民の(と経重は独断している)蝦夷ごときに、こんなあしらいをされねばならないのか。
着任早々から頼義のせいで立っていた腹が、いまでは火の山の地獄のように沸き立っている。
雪が降り、雪が解け、なお待たされた。その雪は、高階経重の怒りの炎で融けたのかもしれないほどに怒りながら待った。
催促に催促、そのうえに催促を重ねた。ところが、貞任はいつまでたっても姿を見せなかった。
とうとう桜が咲いた。その桜が散った。そして、若葉の季節になった。若葉が濃い緑に変わった。
が、まだ貞任は黙していた。
貞任は、なぜ経清を待たせていたのか。
もちろん、一族で和睦の是非を諮っていたのではない。
和睦に対して「否」と言えば、戦端を開くことになる。が、まだ戦端は開けない。なぜなら、清原との約定が充分に定まっていなかったから。だから、回答保留を続けていたのである。
「末法思想に浮かされて、京の倭人ども、ますます黄金に狂うておるようじゃな」
ある日、貞任は静かに宗任に言った。
「この世を黄金に輝く極楽浄土に変えようとする愚挙、こんどこそ最後の一粒まで我らの黄金を奪うつもりでありましょう」宗任は応えた。「倭人が和睦などするはずがございませぬ。現に八身のお方の探索によると、相模の秦野に続々と坂東の兵が集結しておるとか。その数は、坂上田村麻呂がアテルイを討ったときの数、十万を下るまいとのお話でございました。真に和睦を望むなら、何ゆえに大兵を集めます」
「いちど和睦がなったあとで、その兵を差し向け、おそらくは安倍の主だった首をすべて要求するであろうな」
「しかり」
「衣の下から鎧がのぞいておるよのう」
「そのうえに、源頼義は京へは帰らず、かつて相模の国守であった縁で鎌倉に足を止め、いまでも陸奥の成り行きを窺っておるとの様子。その頼義のもとにも、源氏を慕う弓馬の士が続々と参集しておるとのことでありました。兄者はこの話、どうお聞きなされました」
「ふふ。高階経重は頼義にまんまと骨抜きにされた、そう見たな。経重のもとに集まるのは、鍬を刀に持ち替えただけの、にわかじたての兵士ばかりじゃ。そのような者が十万集まろうと、何ほどのものか。坂東の国守たちは、朝廷の威光にそうて兵を集めておるふりをしておるが、形だけのことじゃ。精鋭は頼義のもとに集まっておる。高階が前に出ると、源氏もその影のように動く腹であろうな」
「さよう。源氏が必ず参ります。関白も、それが勝ちを呼ぶなら、あえて止めはしますまい。我らの決戦は源氏とでござりまする」
「うむ。源氏もその覚悟であろう。それしか身の立てようはないからのう。となれば…」
「頼義、清原との合力を図ること必定。我らもいよいよ清原との約定を決する最後の時がまいりました」
貞任はうなずき、おっとりとしたお公家顔を別段険しくさせるでもなく、一族の安危を握る一言をこともなげに言った。
「源氏に戦をさせぬための策、いよいよ清原武則に呑み込ませてみしょうぞ」
二人は静かな視線を交わした。宗任は兄の思いを合点し、それから祈りを込めて言った。
「どうか、安倍として最後の戦になりますように」
「そう願っておる。やれやれ。倭人というのは、まるで獣じゃな。世の中を愚かにも力で統べようとしおって」
「獣も獣、ただまっすぐに駆けることしか知らぬ獣にござりまする。ほれ、食膳を賑わす、あの口に二本の牙をはやした」
貞任は宗任に目配せしてほほ笑んだ。
「そのような言、猪に聞かれたらどうする。猪に無礼であろう」
とうとう梅雨の前ぶれの、ぐずったような雨が樹間を埋める季節となった。
安倍はもはや国守の使者を門の内に入れることさえしない。
塀越しに、この半年聞かされ続けてきた言葉が返ってくる。まったく馬鹿にした話だった。そして今回はさらにもう一言、貞任の命でいつもと違う言葉がつけ加えられた。
「…しかしのう、使者のお方。他人事ながら、辛抱強いことでござるよのう。こうまでされて、高階殿には我らを叱る度胸さえないとみえまするな。いやはや、とんだ国守を戴いたものじゃ」
ストレートに挑発した。
それは安倍側としては、いつ戦端が開かれてもよい、清原との約定はすでに定まった、という意味でもあった。
怒りを抑えに抑えてきた経重だったが、その報告を受けると、ついに激情の暴れ馬の腹を蹴った。
「おのれ、蝦夷ごときがっ」
経重、すぐさま討伐の勅許をいただくべく、都に急使を走らせた。
「もはや、この身がどうなろうとかまわぬっ。安倍のやつばら、一人残らず八つ裂きにしてくれるわっ」
ついに征夷大将軍、高階経重の誕生するときがきた。
「いずれはそうなる」
そのことは鎌倉で様子を窺う頼義にもわかっていた。あの青々とした怒りを人形(ひとがた)にしたような経重が、半年も和議を持つことにこだわって兵を挙げなかったのが不思議なくらいだった。
六月。
長雨のなか、高階経重は相模の秦野に集結した坂東の朝廷軍の先頭に立ち、北へ向けて行軍を開始した。
経重は、しかし、鎧の中でがたがたと震えがおさまらなかった。
梅雨寒のせいではない。怒りのあまり跳び下りた崖だったが、いざ着地する前に我に帰ってみると、眼下に覗く谷底のなんという深さか。
経重は愕然とし、それ以来、無意識に震えが身中を走るのだった。
(短慮だったか。さらに和議の糸口を探るべきであったのか…)
後悔しても、もう遅い。経重は尖り顔に血管をひくつかせ、虫のように背筋を這う恐怖に睾丸を縮ませた。
そんなさなか。
聞きたくもない一報が経重に届いた。
鎌倉の頼義のもとに集まっていた坂東武者たちも、なんとひそかに動き始めたという。その数、ほんとうかどうか、七万騎。
「断りもなく同時に動いたじゃと? それも七万騎…七万騎もじゃと? 七万騎の真偽は別にしても…ということは…同じ坂東から募った兵、いま北へ向っておるこの十万の兵は何じゃ。貧農貧民で数合わせした腰抜けばかりということかっ」
高階経重、ほとんどおのれを失いかけた。
それから突然かん高い声を発して軍馬を停め、尖った鼻の先を凝視しながら一昼夜の長考をした。
その結果発した言葉がふるっている。
「全軍、馬首を廻らせ秦野に帰り、次の下命を待て」
それは、荒々しい感情の芯を持つ経重としては、渾身の力で理性を発揮した、いや臆病さを発揮したひとことであるとも言えた。
高階経重の結論。
(頼義のもとに坂東武者が馳せ参じたといえど、この十年もの間、安倍に一泡も吹かせられなんだ源氏じゃ。そう簡単に手柄があげられるとは思えぬ。が、坂東武者をけしかければ、さしもの安倍も相応の痛手は負おう。そのときに出るっ。弱った安倍をわしが叩くっ。この本隊十万は、そのときのためにとっておく方が上策であること、関白殿にもわかっていただけるはずじゃ。頼義めには、この経重の露払いをつとめさせてやればよいのじゃっ)
そして経重、再び急使を走らせ、白々と関白に奏上させた。
「源頼義殿がそれほどまでに陸奥に念をお残しなら、ここは経重、我欲を捨て、先陣は源氏に譲りたく存じます。我が本隊は先陣の疲弊を見て安倍に止めを刺す。この策、如何」
頼通以下公卿も、あの源氏に未だに七万騎もの兵が集まったと聞けば、その事実は高く評価せざるをえなかった。
源頼義、すでにお役ご免の身ではあったが、頼通としては、勝利の手柄を高階がたてようと源氏がたてようと、勝つことが肝要。勝たねば陸奥の黄金は自由にできないのだった。
頼通は言った。
「坂東における源氏の声望、未だ衰えず。経重は陸奥守にとどめ、征夷大将軍はあらためて源頼義をもって任ずべし」
陣定めの結論は大きく転回した。
『国の安危は此の一挙にあり。将軍よろしく之を勉むべし』
後冷泉天皇の勅がついに源頼義に届いた。
頼義は八の字眉の下の暗い、世を捨てたような目を異様に輝かせ、ねっとりとした笑いを呑み込んだ。天の助けじゃ、天佑じゃ、そうくり返しながら、何度も拳でおのれの頭を打った。
頼義ほどの策謀家、もちろん新陸奥守の腹の内ぐらい読めないわけではない。が、とにかく、戦果なくすごすご帰京する恥は免れた。あとは懸案の清原一族の抱き込みを実現し、この天佑を生かすのみ。
ゲリラには、ゲリラ戦を熟知する同族のゲリラで対抗するしかないのである。
「こんどはわしが行く。自ら武則と話をつけようぞ」
清原という蝦夷。
その一族はもともと秋田県の横手盆地が本拠地で、そこは南から湯沢、横手、大曲と続いている。南北60キロ、東西15キロ。古代は山北(せんぼく)地方と呼ばれ、雄勝、平鹿、山本の三郡があり、山北三郡とも言われた。安倍一族の支配する地域、北上川にそって展開する奥六郡と比べると、広さも農鉱産品もずっと規模が小さい。
そこで頼義は、これまでの話し合いで、戦に勝てば安倍の持つ奥六郡の郡司権をそっくり清原に贈ろうと申し出ていた。
さらに。
「従五位下の位階を奏上いたそう」
とまで言っていた。蝦夷としては破格の、貴族に列せられる位である。太政官の位では少納言に相当する。なんたる名誉。とくに清原一族のような実利で動く者には、涎の出る話のはずだった。
にもかかわらず、清原武則は首を縦に振ってこなかった。
頼義は、いつも伏目がちにして相手を窺うその両眼に、内心の焦りの翳が宿らないよう気をつけながら言った。
「武則殿。ここまでの源氏の誠意、充分におわかりいただいておることと存ずる。このうえ何をお望みか。いまわしは源氏の頭領というだけではござらぬ。天下の征夷大将軍という立場で話しておる。率直にお聞かせいただきたい。いったい、どのようにすれば源氏に、いや朝廷に合力くださる」
清原武則は例のとおり、焦点をはるか遠くに結んだ視線を頼義の彼方に放っていた。が、それをやっとこの座に戻すと、下膨れの頬をもごもごと動かして言った。
「大将軍からそこまでの言をいただくは、恐縮しごく。さよう、それでは遠慮のう申しあげる。我らの望みなぞ簡単なことでござるよ。わしに源氏の名簿を差し出していただけませぬかな」
そう言うと珍しく視線を据えて、ぎょろりと頼義の目の中心を見据えた。驚いたのは頼義。
「な、な、なんとっ。なんと仰せられたっ」
名簿を差し出せ…それは何を意味しているか。
我々にはこんなメンバーがうち揃っておりますので、どうぞよしなにご差配ください、という意味にほかならなかった。
「源氏を清原の風下につける、そういうことでござるかっ。言うてみれば、清原の配下に入れと? わしを誰と思うてそのような…せ、せ、征夷、征夷大将軍なるぞっ」
頼義、八の字眉を忙しく上げ下げし、珍しく内心の動揺を面に表した。それが天下の征夷大将軍に対する言葉かと。
「何もそのような大それたことなど申しておりませぬよ。なあに、それが京の朝廷に通る話でないことぐらい、もとより承知しており申す。何も表向きの話にしようというのではござらぬよ。ここだけの話、我らだけの話でよいのでござるよ」
しれっとして、武則はまた茫漠とした視線を彼方に放った。頼義は躍り出ようとする感情を渾身の自制力で抑え込みながら、どうにか言葉を継いだ。
「我らだけの話であるとしても…し、し、しかし、であるとしても…しかし、やはり名簿を差し出せとは、す、すなわち…」
「どのようにおとりになろうと、かまいませぬが、それが否なら、きょうはこれにてお引き取りを。残念でござりまするな」
武則、すべての脂肪が垂れ下がってような体躯でありながら、意外な身軽さをみせて手も着かずに立ち上がった。そして、さっさと背を向ける。
「くっ…」
さすがの政治巧者も、ここまでハンディキャップを背負った話し合いでは、武則に完全に首根っこを抑え込まれてしまった。色が変わるほどに握りしめていた拳をようやく解くと、頼義は気の毒なほどに頭を垂れた。
「ま、待たれよ。た、武則殿…」
短期決戦、つまり高階経重に出る幕を与えず勝つために他に選択肢のない頼義は、けっきょく清原に名簿を差し出すしかなかった。それは八身と貞任が、源氏に戦をさせないために考えた秘策の、まさしく臍にあたるものだった。
前九年の役は、表向きはもちろん征夷大将軍源頼義の戦いとして歴史に残っている。が、現実には清原真人武則を頭に戴いた戦役だった、ということなのである。
ただし、源氏びいきとしてはこの言語道断の不名誉、記録されるはずもなかったが。