大地に立つ(7)
勉強に関しては、唯一英語が嫌いだった。どんな科目だって集中力を持って臨めば、何とかなるものだとタカを括っていたが、英語だけはそうは行かなかった。兎に角、単語を暗記しなければちっとも前には進まないのだ。その事を古川は教えてくれた。そして今日、修二郎の英語恐怖症は解消したのだった。
秋撒き小麦の若葉が、六月の爽やかな風にそよぎ、夫婦山(東ヌプカウシヌプリと西ヌプカウシヌプリ)は中空にデンと鎮座している。長い冬の寒さからようやく開放され、縮まっていた五体の緊張が解けるようである。四季の中でも修二郎の一番好きな季節になった。種の蒔きつけも終わり、除草作業が始まるには未だ間があった。束の間のゆったりとした時間が流れている。昼食を終えた善治は老眼鏡を鼻先にのせ、新聞を読んでいた。善治は多分に修二郎を意識しての事だろうが、新聞に目を落としながら、
「こいつ等はアカなンだ。全く、何でも反対して自分たちの得になる事しか考えないとんでもねえ奴らだ」
と、呟いた。その新聞の記事は、日米安保条約締結の為、岸総理大臣の渡米を阻止するために組織された大規模なデモを伝えるものだった。
善治は幼い頃より、お上に楯突く事がどんな結果をもたらすかを知っていた。無学な者は、お上の言うまま素直に従っていれば何とか仲間外れにされずに生きていけると信じている。だから、息子の修二郎には、お上に楯突くようなデモに参加はして欲しくないと思っている。その事を善治は遠まわしに言っているのである。事実、高校生や大学生等が、デモに参加したら警察のブラックリストに氏名が載せられ、官公庁への就職は出来ないと話しているのを聞いた事がある。もちろん民間の大会社なんかはなお更、デモに参加をするような者は会社にとっても不利益にしかならないのだから、採用して呉れる筈はないとも言っていた。
修二郎は農家の後継ぎになるのだから、就職の心配はないものの、下手にデモに参加なんぞしたなら、村八分になってしまう。それを善治は心配しているに違いなかった。
修二郎は善治の婉曲な言い方が癇に障った。お前はデモに行ってはならん、とはっきりと言えばいいものを、アカだとか、碌なモンではないと言う、そんな遠回しな物言いに腹がたった。アカとは多分共産党の事をいっているのだろうが、共産党がなぜ悪いのだ。土台、デモに参加する事が何故いけないのだ。政治家と役人が日本を誤った方向に舵取りをしてしまった時、国民はどのような手段をもって対抗すればいいのだ。大東亜戦争で国民に塗炭の苦しみを与えながら、自ら犯した罪の責任も取れず、東京裁判で罰せられるような惨めな政治家や高級官僚。そんな無責任な三流政治家や官僚が持つ権力への対抗手段として、国民が取り得る手段はデモの他何があるというのだ。デモに参加したなら、警察のブラックリストに載せられ、まともな就職が出来ないなんて、全く姑息で情けない情報を撒き散らす三流政治家や、三流官僚の喧伝に惑わされる善治が嫌いだった。
修二郎は善治の呟きが聞こえなかった振りをして外に出た。
六月の風は爽やかである。庭の花壇には水仙が黄色い花をつけていた。夫婦山の裾野では山桜が霞のように咲き誇っている。そこは自衛隊の演習地であった。戦争は終わったのに、間断なく大砲を撃つ音が聞こえる。
修二郎は戦争が嫌いだ。駒沢の叔父は未だ意識の中で戦争をしている。微かな物音にも敏感に反応し、鋭い眼光を四辺に飛ばす。常に何時殺されるかも知れないという恐怖を引きずって生きている。それに音更で見た傷痍軍人の恵みを請う姿や、写真で見る罪なき人々が殺しあう姿はとても文明社会の出来事とは思えない。けれども、果たして戦争は否定しきれるものなのだろうかとも思う。
民主義とは多数決でもって物事が決められるという。多数決によって、少数民族がもつ誇りやポリシィー、営々として築き上げてきた文化や習慣を否定され、好みもしない文化や生活習慣を強要された時、一体どのような対抗手段があるのだろうか。イモンコのような少数民族は切り捨てられてしまうだろう。とするならば選挙で民意を問うとは言え、多数決で物事を決めるやり方が真の民主主義と言えるのだろうか。民主主義とは、少数民族や弱者にも平等に生きる権利を保障する事だ。それがなされない時、人はデモをするか、武器を持って戦うしかないではないか、とも思う。
善治の生き方をみると、国政の批判をしたものなら、忽ち非国民のレッテルを貼られて村八分になる、その恐怖が五体に染み付いているのだろう。だから盲目的にお上に従う、そういった生き方が平和に生きる道であり、お上の決定には従順に従う子羊になりきる事が処世の術と信じているのだ。戦争によって刻まれた傷跡が、今もって消えてはいないのだ。
静かな夜はゆっくりと時を刻んで行く。ようやくストーブに火がなくても過ごせる季節になった。
夜半近くになって突然、玄関のガラス戸が開けられ黒い塊が転げ込んで来た。
「父ちゃんが、ウチの父ちゃんが大変なことになった」
信二の妻、敏江が血相を変えて飛び込んで来た。激しく動揺していた。
「修、水だ、水を持ってきな」
敏江は水を飲み干すと幾分落ち着きを取り戻した。でもまだ肩で大きく息をしている。
「一体どうしたの?信二が暴れているのかい」
春江は信二が泥酔し暴れていると思った。信二は戦争に行く前は一滴も酒は飲まなかったが、戦争から戻ってからは大量の酒を飲むようになっていた。痛飲すると訳の分からない事を口走り、決まって暴力を振うようになっていたのだ。その度に春江は呼び出され、信二を諌めていたのだった。信二は不思議な事に春江を見ると少年のように大人しくなる。
敏江は大きく首を横に振った。
「父ちゃんが死んだ。父ちゃんが死んでしまったんだよ」
敏江は放心状態だった。
「信が死んだって?何で、信が一体どうしたって?」
善治も春江も驚愕した。何を聞いても敏江は首を横に振るばかりである。
「兎に角よ、兎に角、駒沢の家にいってみるべ」
駒沢の家は直線距離で二kmほど北にある。家の裏に厩舎があり、その厩舎の飼料倉で信二は首を吊って死んでいた。
「敏、仏間に布団を敷け。して、修、瀬戸商店に行って病院と警察に電話するんだ」
善治は梁からぶら下がっている信二の遺体を床に降ろしなが矢継ぎ早に指図した。修二郎は善治の指図に弾かれたように反応し、駒沢の自転車に飛び乗って、瀬戸商店へ急いだ。
(昨日まであんなに元気だった叔父さんが何で死んだんだろう)
修二郎の頭は混乱していた。力の限りぺダルを踏んで瀬戸商店へと急いだ。心臓が早鐘のように高鳴っている。
何とか病院と警察に連絡をする事が出来た。二0分程たって病院の院長と看護婦、それに警官が同時にオートバイに乗って来た。院長による検死は五分程で終わった。検死の結果は縊死による死亡という簡単なものだった。院長の検死に対して、警官の尋問は執拗だった。
「何故警察が来る前に遺体を動かしたんだ」
「一刻も早く仏さんを楽にしてやりたかったんです」
「遺体を動かしてしまっては現場検証が出来んだろうが。もし殺人だったらどうする積もりだ。一体」
「この部落で殺人なんて起こる筈はねえ」
「分からんだろう。田舎だからたって殺人事件が起らないとは限らんだろう。ところで仏さんには借金があったり、又誰かに金を貸していたなんて事はなかったかね」
「そんな事は聞いておりません。暮し向きもこの辺ではまあまあだった筈だし」
「じゃあ、自殺する理由は何もないじゃないか」
「その辺の所は自分も知りたいくらいだ」
「アンタじゃ話にならん。もっと事情が分かる者はいないのか。カミさんも腑抜けのようになって話にならんし。一体全体困ったもんだ」
警官は苛立っていた。自殺をしたという事は事実であろうが、その理由が分からないのだ。その時、
「信二は戦死だ。戦争が原因で死んだんだ」
と、春江は呻くようにいった。
「戦死だと、莫迦なこといえ。一体全体戦争が終わって何年経つと思っているんだ。ふざけた事言っちゃいかんよ。こっちは遊びでやってる訳じゃないんだから」
「信二は戦争から戻ってから何時も何かに怯えていた。小さな物音にでも、狐の影にでも。何時もビクビクとして暮らしていた。信二は戦争の事は何も喋らなかったけど、オレには分かるんだ。中国で何人の人を殺したもんだか、そして何度殺されかけたもんだか。戦争前の信二は一滴の酒も飲まんかったが、戦争から帰ってきたら大酒飲みになっていた。信二は未だ敵と戦っていたんだ。だから酒を飲まなけりゃ遣り切れなかったんだ。昔の事、忘れたかったんだ。でも忘れられなかったんだ」
「そったら事言ったって、自殺の原因は戦争だったなんて上に報告出きんだろう」
警官は春江の言っいることは理解した。自分にも短い期間だったが戦争を体験している。何時降り注ぐか分からない銃弾に怯え続けていた。そんな遠い記憶が鮮明に蘇って来る。
「判ったよ。今戦争論議をしてる暇はない。後日署に来て貰う事になると思うが、今日の所はもういいとしよう」
警官は首を捻りながら帰っていった。
修二郎は善治が取り調べられている間、身を固くして成り行きを見守っていた。善治の警官を恐れる態度が修二郎にも伝わってくる。善治がこれ以上追い詰められるようであるなら、助けなければならないと身構えていた。何時もは善治には反抗心を覚えていたが、不思議な事に今日は助けなければならないと身構えていた。それはいままでにはなかった善治に対する心の変化だった。
葬儀委員長は部落会長の鈴木重太郎が勤めた。参会者は委員長挨拶で、信二の死の原因が明かされるだろうと不安と期待をもって聞き耳を立てていた。が、重太郎は不慮の死を遂げたとしか言わなかった。重太郎が挨拶の中で、信二の死因についての最大の山場をサラリとやり過した事に参会者の誰もが安堵した。噂は津波のように部落を飲み込んでいたので、誰もが死因は自殺だった事は知っている。尋常ではない死に方だけに、誰もが公の場で暴くような酷い事は言って欲しくないと願っていたのだった。
質素ではあれ、葬儀は滞りなく終わり、参会者の総てが去った後、それまで駒沢家の長女として気丈に振舞っていた春江が、遺体の前で号泣した。気弱で酒乱で何の取り得もない弟信二ではあったが、かけがえのない弟だった。弟の存在が、春江の大きな心の支えであった。それが突然死んでしまったのだ。善治という伴侶があり、修二郎という息子がありながらも、春江にとってたった一人の弟、人生の大半を共に過して来た弟を失った悲しみは深かった。
叔父の信二は突然この世を去った。信二の死因についてどのような調書を作成したものなのか、その後、警察署への呼び出しはなかった。