俺だっておめい(2)

北海道の夏はすぐ終わる。お盆の十五日の夜にはもう冷たい風が吹く。この季節からは決して嫌いではない。第一果物は豊富にあり、腹が減る事はない。果物の収穫時期だし、金は入る。
今日も親父は五〇CC.の愛用のスーパーカブを駆ってどこかに出かけた。たが、どうやら連れ添いはどこに行ったのかし知ってるようである。何のことはない、連れ添いの、今晩は、新そばでも作ろうかねと言う言葉を訊いて、早速産地へそば粉を買いに行ったのだ、妻はどこに行ったのかしっているのに、三郎は秘密だと思っている。
良い天気だし、スーパ―カブのエンジンは快調である。口からは誰憚る事なく浪曲をひと捻だ。大好きな広沢虎造の石松と三十石船である。
♬ 旅往けば駿河の路に茶の香、流れも清き太田川~
今日もご機嫌でいい気分であった。と、突然動機が激しくなり、眩暈がしてふら付いた。
「こりゃ~急な病だ、心筋梗塞かも知れね~俺も一貫の終わりだな。カカア、後は頼むぞ」
そう言いながら三郎は道端にスーパーカブを止めて、排水溝の叢に横たわった。
「何か知らんけど南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・・。あれ変だな。まてよ、俺の家は浄土宗だな、これは浄土真宗じゃないか、たしか。まあいいか、どうせ俺は死ぬんだ」
そんなことをぶつぶつ言ってるうちに、動悸が治まってきた。
「あれ、俺は生き返ったのかな。生き返ったとなりゃオメイ、めっけもんだせ」
すっかり元気になった三郎は、それでも、新そばを買って家路についた。
「かかぁの奴、おれが死ぬ思いで買ってきたそば粉を見て魂消るに違いない。ああ、楽しみだ」
早速、
「おい、そば粉だ。オメイはよ、今晩は新そばを打ちたいと言ってたろ、だからよ、隣街まで行って買ってきたんだ」
「何も、こんな酷い地震の日にそば粉を買いに行かんでも良いのに」
「何だと、地震だと」
「あれま、知らなかったのかい」
「いや、知らない訳ないが、何とま、地震だったか。俺は又、すっかり死ぬかと思って」
「えぇっ、地震で死ぬ目にあったのかい」
「いや、それほどでもないが」
三郎は、如何に古女房の前とはいえ、とてもじやないが心筋梗塞になってしまったと思ったとは言えず、てきとうに胡麻化した。何しろこの古女房は疑う事を知らない、そこがいいとこであつた。今まで都合の悪い事をどれほど胡麻化して来たものか、だから案外夫婦生活が長続きしたのかも知れない。
という訳で一つも危機感の無い親父なのだ。その夜、三郎の買ってきた蕎麦を喰って大盛り上がりだった。だけど、地震を心筋梗塞になったと勘違いしていたことは言わなかった。
数日後、何か身体が変だ、腕が痛いぞ。まてよ、年寄だからな、癌かもしれねえ。それとも、身体に異常があるのを期待しているのかな。そんなことを思いながら、
「ひとっ走り病院にいくか。雪の降る前に身体をすっかり直しておかなければな」
と、独語して、例のスーパーカブを駆って病院へ向かった。その病院は寺田外科病院である。三郎の妹の長男、即ち三郎の甥の経営する病院である。
「おい、元気だったか」
「叔父さんどうしたんだよ。珍しいじゃないか」
「うむ、ここ最近腕がいたくてな。もしかすると癌かもしれんから診て欲しいんだ」
甥っ子は三郎の痛いという腕の状態を観察したが、べつに異常はみられない。
「叔父さん、別に悪いとこなんてないよ」
「悪くないなんてあるもんか、実際腕が痛いんだぞ。どうだ、入院して詳しく調べた方がいいんじゃないか」
「入院なんてする事ないよ、もしかすると、五十肩かも知れない。しっぷ薬でも出しておくから貼りな。それに叔父さんは歳も歳だからあっちこっちガタがきてんだよ」
何しろけんもホロロである。人を年寄扱いして、と、三郎は憤慨した。
「いいか、人を虚仮にしあがて。俺が死んだらどう責任をとるんだ」
三郎は悪態をついて病院をあとにした。家についても、どうも腹の虫が治まらない。
「そうだ、隣の家の爺は最近調子が悪いと言ってたな」
隣の塀越しに
「おい、爺ィ居たか」
「ああ。居たさ。三郎さんどうした」
「あのな、オメイさ、身体の調子が悪いと言ってたよな」
「ああ、ここんとこ、血圧が下がらんくてよ。そのせいか、身体がふらつくんだよ」
「そうか、難儀なことだな、ところでよ、オレは腕が痛くてな癌かも知れねぇって思って、寺田外科病院に行って来たんだけどよ、そんなもん、どこか痛くなるのは年寄だから仕方無いってぬかしあがってよ」
「それも分るような気もするが。寺田外科病院ってのはアンタの親戚が経営してるんじゃなかたか」
「そうなんだが、あいつがそんなにヤブだとは知らなかったんだよ。あいつの若い時分にはもっとデキがよかったと思ったが。今は並みのヤブ医者だ。なるべくあの病院には行かない方がいい一寸した病気ならいいがな」