俺だっておめい(4)

光男の家の方を覗くと珍しく、未だ終時間前なのに、常用している車が止まっていた。
(光男に何かあったのかも知れないな。でも、大事件なんて、滅多におこるとぁないしな)
胸に湧き上がる不吉な思いを打消しながら光雄の玄関のドァを開けた。居間に見知らぬ男がソファに踏ん反り帰っていた。
「おお、父さん一体どうしたんだよ」
「一寸な」
「あっ、この人はメーカー―の人でね。近藤部長だよ」
「そうか、始めまして。光男の父です」
近藤部長は軽く頭を下げた。歳の頃は四十五、六か。小太りである。商売にも、金にもなら無い年寄には興味が無いらしい。どちらかと言うと三郎の嫌いなタイプである。
「部長とさ、一寸話があるから、待ってて。家の奴も間もなく買い物から帰ってくるから」
そう言うと、光男と、部長とやらが何かを話始めた。三郎はキッチンの椅子でそれとなく二人の話を聞いていた。
やがて仕事の話は終わったのか近藤部長は光男と雑談を始めた。
「大体さ、俺はよく分んないけど、いつの間に大東亜戦争が太平洋戦争に名前が変わったのかね」
「そりゃ、太平洋戦争の方が、世界大戦に聞こえるからじゃないかね」
「なんでもいいけど、特攻隊なんか犬死にだったよね。戦争に勝ってりゃ見方も変わったろうけどね」
「全く馬鹿みたいな噺しだよ。優秀な若者が無駄死にしなければ、国家はもっと、もっと発展したのにね」
「犬死したあと、なんぼ可哀そうだなんて言っても、もう遅いよね」
これをそれとなく聞いていた三郎の燗に触った。
「おい、お前ら、犬死なんて言うな。お国の為、身を犠牲にして、敵艦に突っ込んでいった少年の気持ちが分るか。俺はお国の為に死んでいった、という少年兵の大半が、どうせ生き帰っても、粛清されるだけだ。だから、ここで、死んだ方がいいと思って死んでいったと思う。そりゃ、予科練に入った時は、国を守るという、星雲の気持ちだったかもしれん。だがな、死を約束させられた前途ある少年を無駄死にとか、犬死にとか言うのは許せん」
ここまで言う三郎の目には、涙が宿っていた。戦争を知らない、戦後生まれの青二歳に、戦争の噺はして貰いたくない。三郎の本心だった。近藤部長と光男は三郎の権幕にキョトンとしていた。
「親父どうしたんだよ。そんなに怒る話じゃ無いだろう」
かも、知れない。だけど戦争を知らない人間に、知ったかぶりで戦争の話をして欲しくない。一度も、空腹を知らない人間に戦争の話はして欲しくないのだ。
「光男、又来るよ。今日大根を抜いて天日干してるから、沢庵が出来たら持ってくるよ」
三郎はそれだけを言い残して、腰を上げた。
「分かったから、父さん待ちな、もう少しで家の奴が帰ってくるから」 
「いや、急に用事を思い出した。又来るよ。近藤さん、ゆっくりしてきな」
別に定年退職者に用事などない。感情が高ぶった自分が恥ずかしくて、いたたまれなかったのだ。
夜半の、霜や霙に備えて、ニンニクと干し大根を物置に始末し終えた頃は、もうすっかり暗くなっていた、このころは、夕方四時半をすぎると、すっかり暗くなる。夕方七時ころ、光男が血相を変えてやってきた。
「親父、何てことしてくれたんだ。俺の立場がないよ」
「なんだよ。俺が何かしたか?」
「今日うちに来ていたメーカーの近藤部長に失礼じゃないか」
「俺がか?」
「そうだよ」 
「どこがだよ」
「大体さ、俺の大事なメーカーの人だよ。今日の親父の言動は、不躾で失礼だよ」
「あのな、言っておくがな、俺はあの近藤部長の部下でも何でもない。奴から給料を貰っている訳でもないし、世話になってる訳でもない。人の家に来て、文句を言う奴がいるか」
「そりゃそうかも知れないけど、俺にしちゃ大事な人だ」
「いいか、世の中はな、長幼序ってのがあるんだ、あの近藤部長が、俺に敬意を払わなきゃいけないんだぞ」
「ふん、お言葉を返すようだが、世の中には常識ってもんがあるんだ。何時までも化石のような考えから抜けきらなけりゃ誰も相手にしてくれないぞ。全く」
そう捨て台詞を吐いて、光男は荒々しくドァを閉めて出ていった。
「アレ、光男は。今ご飯の支度をしたのに、帰ってしまったのかい。何か怒っていたみたいだけど」
「何、大したこたぁないさ。あいつは何時も癇癪玉だ」
けっしてそんなことは無い。長男で何時もボーとしているノンビリ家だ。そのくらい腹を痛めて育てた子だ。誰よりも、光雄の性格はしっている。光男の性格は誰よりも知っているものの、夫を問いただせば話は長くなる。どうせ親子の喧嘩だろう。放っておいてもだいじょうぶだ。妻の梅子はそう判断した。長男の光男と似た性格だから、梅子はのんびりしている。一方夫の三郎は、
「えっと、たくあんづけには、砂糖に、こめ酢、とだし昆布に白だし、鷹の爪もあったほうがいいな」
なんて、先ほどの喧嘩はすっかり忘れたようである。ただ光男と嫁の喜ぶ顔を思い浮かべている。単純な親子だった。
一週間ほどたったころ、光男は父三郎との喧嘩はすっかり忘れたようである。日曜日に、ひょっこり訊ねて来た。
「やあ、光雄か。直に沢庵ができそうだぞ」
「そうか、ソリャ楽しみだ」
なんて、喧嘩のことはすっかり忘れて、両親の顔色をみている。身体の変化を見ているのだ。親子である。やはり心配なのだ。
「いよいよ来年はオリンピックだな。でもな、大して面白くないぞな」
「どうしてだよ。あんなに陸上が好きだったのに」
「そうだけどよ。オリンピックの金メダルは全部土人がもっていくからな」
「土人て何だよ」
「土人は土人だよ」
「ひよっとして、黒人の事か?」
「そうだよ、決まってるじゃないか。あのな、親父よ、今は土人という言葉は禁句だよ。俺と話しているうちはいいけど、世間で土人なんて言ったらら、大騒ぎだ」
光雄は無神経な親父、三郎に呆れている。
「光男そったら事気にしてんのか。だから出世出来んのだ」
「余計なお世話だよ。ところでよ、愛用のオートバイはどうした」
「まだ庭だよ」
「もう直゛雪が降るってのに未だ庭に置いてあるのか」
「そうだょ。タイヤをスタッドレスに履き替えたら冬でも乗れるんじゃないか?」
「何言ってるんだよ、駄目だ。物置に仕舞わないでいたのは、冬でも乗るつもりでいたからか」
「だって冬は何もする事ないからな」
「駄目なものは駄目だ。運転技術もそうだけど、頭も可笑しくなってるのだから、いい加減諦めろよ」
「冬の間俺はなにをすればいいんだ。オートバイは俺の命なんだぞ」
「知るかそんな事。さてと、オートバイを仕舞うぞ」
光雄はそう言い残してオートバイを物置に仕舞にいった。だ
「あれ、光雄は?折角お茶を淹れたのに」
「あいつは無理矢理に俺の楽しみと奪う悪党だ.。何時の間にあんなに人が悪くなったんだ。前から気にはなっていたんだが、矢張り、お前の育て方が間違っていたんだ」
「関係ないわよ。アンタが我儘なだけで、光雄に悪いとこなんでないわ」
相変わらず妻は強かである。新婚の頃、あんなに従順で可愛いと思ったのに、いつの間にか強くなった。だが、妻の強気は、決して嬉しいものではない。最近は妙にこだわっていて、コーヒーははブラックだし、甘いものは絶対にだめで、草ばかりを食わせる。人をキリギリスか、馬に見えるらしい。俺は妻が時どき近所の婆ぁとでかけて、豪華な昼食を喰っている事を知っている。俺は、コーヒーでも砂糖を小匙三杯は入れて掻きまわしてのみたいのに、ブラックしかだめだと。何とも、面白くもない世の中になったもんだ。文句を言えば際限なく出てくる。だけど、俺はじ―っと我慢してるんだ。何故なら、口喧嘩では負けるからだ。
小さな家屋だ。あっという間に冬支度は出来た。もう、雪が何時降っても良い。ただ、大好きなオートバイが乗れないのは、手足をもがれた蓑虫みたいで情けない。街中ジングルベルが流れ、いや、それは小さくて古い雑貨店で、大型スーパーでは、山下達郎のCМだったかな、そうそう、きっと君は来ないってつだよ、その歌が流れている。そして、日を置かずに正月が来る。
お正月が来た。今年は三十センチ程積雪がある。春の雪消までオートバイはお預けである。なんとも面白くない季節である。
それはそうと、正月には、必ず長男の光雄夫婦と、弟夫婦が挨拶に来る。それはいいんだが、この両夫婦は人の家の酒を鱈腹のんでいく。かく言う俺は酒も煙草も全く嗜まない。考えてもみると、全くつまらない人生である。
それでも、三年程前の事になるが、俺は人が楽しそうに酒をのむのを見て、コリャ楽しそうだなと思って、養命酒を買ってきて鱈腹のんでしまい、宿酔いで二日程寝込んでしまった。勿論、風邪だと嘘を言ったのだが、どうもバレているらしい。
ああっ、今日も暇である。外は漸くネコヤナギが咲き始めたというのに、未だ三十センチ程の積雪である。大好きなスーパーカブに乗れるのはまだ先である。何とも退屈な日々である。
日がな一日テレビを見ている。なにをやっているのか殆ど頭には入っていないが、面倒な愚妻を相手にするよりはいい。
それにしても、何か落ち着かない毎日である。長椅子 に日がな寝そべりながら、正月の風景を思い出している。青空に舞う凧、安いいろはカルタ、そうそう、犬も歩けば棒にあたる、とか言うやつである。それから花札もあったな。昼食は黄な粉餅。宇宙独楽にパッチ、ベーゴマ、炬燵に有田ミカン。オッと、五円のガムがあったな。これが甘くてね一噛みで虫歯が出来そうだった。ガムの中に長嶋、王のプロマイドが入っていてね、あと、南海の葛城があれば、キャッチャーミットがもらえるのだが、これが中々出なくてね。でも、出てきた時は嬉しかった。キャッチャーミット、これが中々いいものだった。
だが、今は何もない。正月の原風景がどこを探してもないのである。代わりにゲームに夢中である。日本のアイデンテティがすっかり無くなり、若者は日本語の会話すら出来なくなった。嘆かわしい限りである。
オッと眠ってしまった。さてと、未だ半日あるぞ。何をやろうか。オートバイは無いし、不便な物だ。そう言えば、歳を取ると、一日が妙に早く、結果一年が早く過ぎ去る、何故だろうか色々しと考えて見たところ。若い自分にはパット出来たものが、今は倍も三倍も掛かってしまう。一日が早く終わる訳だ。結果、寿命が早く尽きるって事だろう。
現役の若い頃は、レジに並ぶ爺の余りの動作の鈍さにイライラしたもんだが、今、俺は財布の小銭が上手く掴めず、後ろに並ぶ若者をイライラさせる。だから、余り買い物はしたくないね。
と、思っている内にもう、暗くなったよ。

(完)