冥界へ行った男(1)
林道から一歩樹海に足を踏み入れだ時、激しい恐怖に襲われた。確かにここは現世なのに、樹海の中は霊界の臭いが漂っている。歩を進めるにつれ、いよいよ湿気は増し、冷ややかな空気が全身を包み込んだ。朽木は青い苔に覆われ、泥濘状態の足元は滑り易く、何度も転びそうになった。
不意の闖入者に驚いた野鳥が、けたたましい鳴声を上げて飛び去った。静寂を切り裂く鳴声は、私を恐怖のどん底にまで叩き落とした。
恐怖に怯えながら、どうにか樹海の中ほどまで歩を進めた。セカンドバッグには750cc入りのウイスキーと大量の睡眠薬を忍ばせている。夏の太陽は翳り始め、上空では冷たい風がヒューヒューと吹いている。が、その風は地上には届かない。正しくここは霊界への入り口だった。
辺りの雰囲気に慣れてくると、
(そうか、人は死に勝る恐怖はないのだから、命を断うとしている者にとって怯えるもののあろう筈はない)
そう思うと、幾分恐怖は薄らいだ。
私は絶対に人目に付きそうもない窪地を選んで、上着を地面に敷いて座った。私にとっては高価なスーツだったが、二度と着ることのない代物だった。それでも、汚れが気になった。
高価な上着の上に胡座をかいて、セカンドバックからウイスキーを取り出し、一口 二口喉の奥に流し込んだ。喉が焼けるような感覚を覚える。普段滅多に口にすることのない高級なウイスキーである。が、これから金を必要としない世界へと旅立つ者にとって、スーツやウイスキーの価値なんてどうでもよかった。沢水を口に含むような気楽さでウイスキーを喉に流し込んだ。私は今までに経験のない開放感に浸っていた。
ウイスキーを半分ほど飲み干した時、強烈な眠気が襲って来た。私は慌てて、大量の睡眠薬を飲み干して横になった。スーツの上着に水が染みて、それが刺すような寒気となって、まるで爬虫類が肌の上を這いまわっているような不快感を覚えた。睡眠薬が効いてきたのか、それとも酔いが回ったのか、やがて、私は深い眠りに落ちたようである。
その日は木枯しが吹き荒ぶ寒い日だった。大通り公園のベンチには人影もない。頭上には矢鱈に眩いネオンが瞬いていた。ネオンのケバケバしさが虚ろな夜だった。
私は落ち込んでいた。ここ数年やる事なすこと総て上手く行かないのだ。どこか歯車が狂っている。少し軌道を修正すれば上手く行くはずなのだが、その方法が分らないのだ。
午後十時を少し回っていた。夕食前だったが酒を飲む気力も無く食欲もない、壊れたレコードが、耳朶の奥で繰り返し鳴り響いていた。
当に今日も恐怖の一日だった。ただただ、こま鼠のように這い廻っている自分の哀れな姿が、脳裏を掠めるばかりである。この日も完全に思考能力を失っていたのだった。
ここ数年来、この日のような有様が続き、仕事に充実感や達成感を感じる事がなかった。
ただ、私は今の仕事は決して嫌いではなかった。むしろ、どちらかといえば好きなほうだった。
私を目の仇にしてここまで追い込んだのは、たった一人の上司だった。私は誠実にそして忠実に職務を全うしてきた積もりである。それなのに、その上司は何故こうも私を毛嫌いするのか。その理由が分からなかった。どう考えても肌合いが悪かったとしか思えないのだ。
(このままではいけない。何とかしなければ)と、心では思うのだが、無能な私に為す術はなかった。
最近は特に職場の上司、同僚の蔑むように見る目つきが気になって仕方がなかった。無理はないと思う。上司に叱られてばかりいる私に近付こうなどと思うお人好などいよう筈も無いのだ。私と友達になる事自体が己の将来に傷を付けるようになるのだから。でも、独身の私にとって、若い女子職員の、侮蔑に満ちた視線を浴びる事は辛いことだった。
(会社を辞めたい。もう限界だ)と、何度も思った。だが踏みとどまっている。それは何故だろう。会社を辞めればどれ程すっきりし、これからの人生はバラ色に輝くかも知れないのに。だが私にはどうしても会社を辞める事が出来なかった。それには理由があった。
私が今の会社に就職が決まり、入社式の朝、母は、
「いいかい、よく聞くんだよ。働くっていう事はお金を貰うっていう事なんだよ。だからどんなに辛いことがあっても、それも仕事のうちだと思って辛抱するんだよ。世の中は良い事ばかりはないし楽しい事ことなんてないのだから。それに会社の人には嫌われないように」
と、言った一言が、私を呪縛していたのだ。
社会人となって、私にはどうしても解せないことがあった。それは同年代の人達の中には、定職にも付かずに親に寄宿し、高級車を乗り回し、毎日を楽しく過ごしている輩が一杯居るという現実である。彼らは例え両親を失っても、親の残した資産を食いつぶしながら、楽しい人生を全うできるレールが敷かれているのだ。でも、私には老いた母を養っていかなければならない責務が課せられている。人生のスタートから差がついている現実は、不公平というものではないか。だから、母の言った事は間違いだ。辛抱したからといって、将来が約束されるような世の中ではないのだ。人間の一生なんて短い。生活に余裕ができて、さてこれから人生を楽しもうとした時、病に倒れたり、死んでしまう事だってあり得るのだ。生きている時こそ華と考え、借金をしてでも楽しんだ方が余ほど充実した人生と言えるに違いない。
そう思うものの、母の一言は重く、トラウマとなって私を縛っていたのだった。
コートも無く、マフラーもなく、私は縁れたスーツの襟を立て、酔客で溢れる夜の街を彷徨っていた。その時、
「チョッと、兄さん。そうだアンタだよ」
背後から、虚ろな目付きで彷徨う私を呼び止める声がした。振り向くと、ビルの一角に易と大書した看板があり、白鬚の老人が、いかにもそれらしく、手には天眼鏡を持って私を呼び止めたのだ。私は何かに引き寄せられるようにその易者の元へ近寄った。
「何か?」
私は占には全く興味がなかった。だから呼び止められることに困惑したのだが、
「まま、そこに掛けなされ。もうそろそろ店じまいだによって、見料はいらんよ」
易者はニコニコと笑いながら椅子を指差した。易者は微笑ながらも、その眼光は鋭かった。ジッと私の目を覗き込み、舐めるように顔の隅々まで視線を這わすのだった。やがて、
「大分落ち込んでいるようじゃな。何をやっても上手く行かない、いっそのことこの世から消えてしまいたいと思っているのだろう。良くある話だ。だがな、安心せよ、兄さん、アンタには大器晩成の相がでておる。ワシがアンタを呼び止めたのは他でもない。アンタには稀に見る強運の持ち主と見たからだ」
「そんな馬鹿な。私に運なんて有りませんよ」
「今、アンタは仕事で大失敗をしたと思い込み、相当に落ち込んでいる」
「確かに、私は今日、ホテルからの注文品のケーキの数を間違って製造していまい、上司から激しく叱責されました」
「そのケーキの数じゃが、アンタは製造に取り掛かる前、間違いなく数の確認をしている。違うかな?」
「そのような気もしますが、上司に一喝された途端に自信がなくなってしまったのです」
「アンタのそんな弱気な態度が、折角ツキそうになった運を逃がしているんだよ。何故怒らぬ、何故、己を主張しないのだ。アンタが強くなれば運気は自ずとついて来るよ」
私には易者のいう事が俄かには信じる事はできなかった。私が強運の持ち主であるならば、今まで生きてきたなかで、何か一つでも良い事があってもよさそうなものだが、宝くじだって、懸賞はおろか、社内のビンゴでさえ当った験しがないのだ。
「俄かには信じられんだろう。じやがな、アンタには人生の後半に大成功を収める相がある。それは間違いない。今後、生きていく上で、まだまだ多くの困難と絶望に突き当たるだろう。耐える時は耐え、怒る時は怒りなされ。身に降りかかる困難を避けては運が逃げる。苦境を乗り切ればその困難の大きさに比例してアンタは大きく育つ。つまり若い時分の苦労は人生後半に大きな果実となって実を結ぶのだ。若い時分の苦労は肥料じゃよ」
易者はそう言いつつ店じまいを始めるのだった。
私は暫くの間呆然としていた。自分が自分を見る目と、易者が私を見る目には大きな乖離があったからだった。でも、私の暗く沈んだ胸中に一筋の光明が射したのは事実だった。易者は要領よく荷物を纏めると小さい荷車を引いて、飄然とネオンの街に消えていった。
私は悪い気がしなかったので見料を払おうとしたのだが、その易者は決して受け取ろうとはしなかった。
この一件があってからの私は変わった。困難に耐える事が以前より苦しくなくなったのである。それは、
「アンタは大器晩成型の人間だ」
と、易者に言われた一言が脳裏に焼きついて、それが大きな励みとなっていたからだった。困難が大きいほど、乗り切った時は大きく育つと、易者は言った。だから、絶対絶命のピンチに陥った時も、これも肥やしだと思えば、むしろ大きな励みとなって乗り越える事ができたのである。
しかし、社内における私への風当りは一向に変ることはなかった。
私を毛嫌いし、何とか退社に追い込もうとした上司は部長へと昇進していた。社長の眼鏡にかなった忠実な社員の出世は早い。私には社長と直接話しをする機会は与えられない。が、上司の部長は何時も社長の傍にいる。二人の間でどのような会話がなされているのか、私には知るよしもなかった。例え捏造話であっても、社長のお呼びがない限り、殆ど話す機会はなかったのである。いや、いや、これは駄目社員の僻事に違いない。それにしても、会社に部長さえいなければ私の人生がこんなにも狂うことは無かったと思う。
私が三十九歳になった時、母は死んだ。子宮癌だった。闘病生活は二年間に及んだ。母の死後は僅かな蓄えは費え、無一文になっていた。私には兄弟もなく、母方にも父方にも身寄りはなかった。天涯孤独の身となったのである。
母は死んだ。このことは私を縛っていた、(仕事というものはお金を貰う事だ、辛いことがあってもそれが仕事と思え、そして嫌われないように)
との教えから解放された時だった。
母の死を契機に、私は独立を決意した。(母さん分かって欲しい。俺は本当にもう限界なんだ。とにかく、部長が近寄ってくるだけで鳥肌が立つし、体は強張り、悪寒が走るんだ。まるで蛙が蛇に睨まれたようにパニックになってしまうんだよ)
と、私は母の位牌に向かって何度も訴えた末に、会社に辞表を出したのだった。
働いていた会社は、食品の製造販売会社だったので、ケーキ店をオープンしたのは自然な成り行きだった。私が独立を決意したのは、易者に
「アンタは大器晩成型の人間だ」
と言われた一言が背中を押したのは言うまでもない。
銀行から600万円を借り入れ、退職金110万の総てをつぎ込み、漸く二月に開店することが出来た。だが、計画では十二月にオープンする予定だったが、銀行からの融資が決まらず、二月にズレ込んでしまったのは誤算だった。
私は、私が退職したなら会社は困るに違いないと確信していた。私が会社にとってどれほど重要な存在だったか、貴重な人材を失って、慌てるに違いない。何しろケーキ作りに関して、総てのレシピを熟知しているのは私以外にはいないからだ、と、密かに自負していた。けれども、以前勤めていた会社は、何らの変化もなく、それどころか、私の店の近所に豪華な直営店をオープンしたのだった。会社にとって、一人の職人の存在なんて、所詮、歯車を取り替えるようなものだと思い知らされたものだった。
クリスマス前にオープンした元の会社の店は大成功だった。それでも、私は希望に燃えていた。品質では絶対に負けないという自負があったので、必ず消費者を呼び込むことが出来ると確信していたのだ。だが、資金が続かなかった。頼みの銀行は返済を迫るばかりだったし、それどころか、赤字続きで、資産も後ろ盾もないケーキ屋に追加の融資は土台無理だとはっきりと言われる始末だった。一度は融資をしてくれた友人や知人も、返済の見込みもないケーキ屋への援助は、さすがに二度目となると首を立てに振る者はなかった。