2019年3月18日 / 最終更新日時 : 2020年4月10日 picohouse 岡倉天心 教育とは、強固な幻想を維持するために一種の無知を奨励するものにほかならない。人は真に徳のある人間として教育されるのではなく、ただ、きまりに外れないよう振る舞うことを教えられるだけなのである。 人物:岡倉天心(おかくらてんしん)
2019年3月18日 / 最終更新日時 : 2020年4月10日 picohouse 岡倉天心 永遠とは、物質ではなく、精神にしか見出すことのできないものであって、こうした簡素な建物(茶室、数寄屋)はその精神のあらわれなのであり、そうであればこそ、洗練をきわめたほのかな輝きを帯びて、かくも美しいのだ。 人物:岡倉天心(おかくらてんしん)
2019年3月18日 / 最終更新日時 : 2020年4月10日 picohouse 岡倉天心 芸術は、その時代の暮らしにぴったりとしたものであって初めて本当に理解されるものなのだ。けっして後世の評価を無視してよいというわけではないが、それよりまず現在を十分に楽しまねばならない。 人物:岡倉天心(おかくらてんしん)
2019年3月18日 / 最終更新日時 : 2020年4月10日 picohouse 岡倉天心 伝統や定式につき従っているだけでは、建築における個人性の表現に足かせをはめてしまうことになる。ギリシャ人が偉大であったのは、けっして昔に頼ろうとしなかったからだと言われているではないか。 人物:岡倉天心(おかくらてんしん)
2019年3月18日 / 最終更新日時 : 2020年4月10日 picohouse 岡倉天心 いくつもの音楽を同時にきくことができないように、美というものは、なんらかの中心となる要素に集中して初めて本当に理解することができるのだ。 人物:岡倉天心(おかくらてんしん)
2019年3月18日 / 最終更新日時 : 2020年4月10日 picohouse 岡倉天心 私たちの心は、芸術家によって彩られるカンバスであり、その絵の具となるのが私たちの感情で、明暗となるのが私たちの喜びの光であったり、悲しみの影であったりするのだ。傑作は私たち自身であり、私たち自身は傑作であるのだ。 人物:岡倉天心(おかくらてんしん)
2019年3月18日 / 最終更新日時 : 2020年4月10日 picohouse 岡倉天心 芸術鑑賞に必要なのは心と心が共感し、通い合うことだが、そのためには、たがいに謙譲の気持ちを持ち合わねばならない。鑑賞者は作者の言わんとするところを受け止めるのにふさわしい態度を養わねばならないし、作者の方は自分のメッセージをどう伝えるのか心得ていなければならない。 人物:岡倉天心(おかくらてんしん)
2019年3月18日 / 最終更新日時 : 2020年4月10日 picohouse 岡倉天心 洋の東西を問わず、巨匠たちは、観客を自分の秘密にひきずりこむ手段として暗示の価値を忘れることはなかった。それに比べ、今日あふれている凡作のよそよそしいことはどうだ。傑作には、人の心の温かな流れが感じられるのに対して、凡作には、ただ、形ばかりの表現しか見当たらない。 人物:岡倉天心(おかくらてんしん)
2019年3月18日 / 最終更新日時 : 2020年4月10日 picohouse 岡倉天心 現代の芸術家は、技術に溺れるあまり、滅多に自身を超えるということがない。 人物:岡倉天心(おかくらてんしん)
2019年3月18日 / 最終更新日時 : 2020年4月10日 picohouse 岡倉天心 自己中心的な虚栄というものは、芸術家、鑑賞者いずれの側であっても、共感を育むうえで致命的な障害となるのである。 人物:岡倉天心(おかくらてんしん)