学問とは、人として踏み行うべき正しい筋道を修行することであって、技能に習熟するだけのものでは、決してない。
人物:橋本左内(はしもとさない)
1834-1859年。福井藩士。緒方洪庵の蘭学塾に入門して蘭学・医学を学び、父業を継いで藩医となる。1855年に藩医から御書院番に起用され、1857年には藩校明道館学監となる。藩主・松平慶永の知遇を得て藩政に参画し、将軍継嗣問題では一橋慶喜の擁立に尽力。しかし、井伊直弼ら南紀派と対立して失敗。1859年、安政の大獄で斬罪に処された。
人物:橋本左内(はしもとさない)
1834-1859年。福井藩士。緒方洪庵の蘭学塾に入門して蘭学・医学を学び、父業を継いで藩医となる。1855年に藩医から御書院番に起用され、1857年には藩校明道館学監となる。藩主・松平慶永の知遇を得て藩政に参画し、将軍継嗣問題では一橋慶喜の擁立に尽力。しかし、井伊直弼ら南紀派と対立して失敗。1859年、安政の大獄で斬罪に処された。