何よりも貴とき宝もつ身には、富も誉れも願わざりけり。
人物:牧野富太郎(まきのとみたろう)
1862-1957年。土佐国佐川村(現在の高知県高岡郡佐川町)出身。旧制小学校を中途退学し、独学で植物学を学ぶ。上京後は東大植物学教室に出入りして研究し、1887年の『植物学雑誌』発刊に関わる。日本各地の植物を採集して歩き、多数の新種を発見・命名。「日本の植物学の父」と呼ばれる。1951年、最初の文化功労者となり、死後に文化勲章受章。
人物:牧野富太郎(まきのとみたろう)
1862-1957年。土佐国佐川村(現在の高知県高岡郡佐川町)出身。旧制小学校を中途退学し、独学で植物学を学ぶ。上京後は東大植物学教室に出入りして研究し、1887年の『植物学雑誌』発刊に関わる。日本各地の植物を採集して歩き、多数の新種を発見・命名。「日本の植物学の父」と呼ばれる。1951年、最初の文化功労者となり、死後に文化勲章受章。