私のために死ぬ子分など一人もおらぬ。だが、子分のためなら私は死ねる。

人物:清水次郎長(しみずのじろちょう)

1820-1893年。幕末から明治初期の侠客。本名は山本長五郎。駿州清水港の海運業者の子に生まれ、米問屋・山本次郎八の養子となる。養家没落後は博徒となり、東海地方を縄張りとした。1868年、東海道総督判事・伏谷又左衛門によって名字帯刀を許され、東海道探索方の任にあたる。また、富士山麓の開墾などの社会事業を行なった。