死を以て責に任ずるという事は、我が武士道の根本である。その考えが腹の底にあればこそ、人の長としても御勤めができる。そういう人が艦長に居ればこそ、日本海軍は大磐石なのだ。
人物:山本五十六(やまもといそろく)
1884-1943年。新潟県生まれ。出生時の父親の年齢から「五十六」と名付けられた。海軍大学校卒業後、駐米武官、海軍大学校教官、霞ヶ浦海軍航空隊副長兼教頭などを歴任。1936年に海軍次官、1939年には連合艦隊司令長官となり、太平洋戦争で真珠湾攻撃・ミッドウェー海戦などを指揮。1943年、ソロモン諸島上空で戦死。死後、元帥に列せられた。