平和の国、日本

 今日も良い天気である。初秋になり空気が澄んでる所為だろう、夫婦山(東ヌプカウリヌプリ、西ヌプカウシヌプリ)の稜線がハッキリと空中に浮かび上がっている。

 昭和三十年頃だったか、夫婦山の裾野から、間断なく大砲の音が響いていた。戦後十年になろうと言うのに、時折上空に落下傘の降下訓練が見てえたりしたのである。ちなみに、今は何もない。勿論その時は戦争の何かは知らなかった。ただ、戦争で活躍した空母などやゼロ戦の玩具に夢中になっていた。

 さて、それから七十~八十年、日本人の矜持やアイデンティティがすっかり変わってしまったような気がする。私は右でも左でもにない。だけど、世の中は何か違うような気がする。経済だけが先行し正義が全く影を潜め、声高に正義を叫ぶのが変人とみられるのではないかと、恥ずかしいので黙っている。この世で正義を叫ぶ人は、大抵貧乏なのである。

 だが、今の政治家や企業のトップは、私が言うのも何ですが、酷く人相が貧弱である。常にオドオドして、軽い。前向きな何もしない企業は30年で消滅する。これは、昔から言われた事である。中には百年も二百年も続いている企業もあるが、そういった企業は創業者の遺訓を忠実に守っている。今の新興大企業と言われているところの二代目、三代目社長は、失礼ながら大抵貧弱で貫禄がない。政治家も然りである。箸の使い方、茶碗の持ち方にしても小学生以下である。日本のトップがこれだから、大企業の社長は品が無くても平気なのだろう。海外に出すのが恥ずかしい。

 亡くなった経団連の土光さん、京セラの稲盛さん、トヨタの豊田社長、ホンダの本田宋一郎社長云々。数えればキリがない立派な人たちだった。それに比べ例えば日産のように、外人ハゲタカ社長に頼った会社はことごとく駄目になった。身近なところでは、米菓の亀谷製菓。あれには裏切られた気持ちで一杯である。米どころ新潟の会社が、中国の米、しかも中国で製造していたは。日本人としての矜持も何もない、もうけ主義の唾棄すべき会社になり下がっていたとはガッカリである。

 こんな日本にしたのは、相撲かな。何れにしろ国技を外国に売る国になり下がってきたのは、日本人としての正義感と矜持を金のため、グローバという言葉に酔った、魂を外国に売った人々の成れの果てが日本なのだろう。