日本が本当に無くなる

「かくまでも醜い国になりぬれば捧げし人のただ惜しまれる」

 この歌は、かつて故・石原慎太郎が靖国神社を訪れた時に知った、ある戦争未亡人の句だそうである。首都で女の尻しか見えず遊び呆けている若者に、新しい国造りが出来る筈はない。これは、憲法九条さえ守れば決して国土を侵略されることはないと信じている、おめでたい似非平和主義者がこの地上からいなくなるのを待たねばならないのか。嘆かわしいことである。

 慎太郎が国会でこの句を披歴した時、私は胸が張り裂けそうな深い悲しみに囚われ、同時にある事を思い出した。それは、故・淡谷のり子がリサイタルを開いた際の話だ。途中で退席する者がいるが気を悪くしないで欲しいと言われ、それは何故だと聞いたところ、予科練の兵隊だから何時招集が掛かるか分らないからだ、と教えられたという。見ると皆十五、六の少年だったそうである。

 招集がかかり、会場を出ていく時、皆妙に明るく手を振って出ていったという。もう少しで死ぬかも知れないのに、一体あの明るさは何だろうと思ったそうである。分かるような気がする。命が絶えようとする時、抑えきれない高揚感がそうさせるのだろう。淡谷のり子は、そう思うと涙が流れて仕方がなった。だから、リサイタルは感情が治まるまで延期したそうである。予科練、それは決して美しいものでは無い。いたいけな子供を騙し、戦地にかり出し美談に仕立てるとは、決して許される所業では無い。

 また、ある人(多分、北野武師匠)がルバング島で戦い続けた小野田寛郎少尉に、A級戦犯をのぞいた靖国神社を新しく移転した方がいいのではないか、と訊いたところ、彼は不思議そうな顔をして、靖国で会おうと言って、お国の為に死んでいった仲間は一体どこに行けば良いんだ、と答えたそうである。

 それにしても、こんな国にする為に前途有為な青年が命を失っていった。誰の所為であろう。それは皆分っている。分っているのに放置している。その責任は有権者であり、国民である。不幸にして、国民は経済の成長とともに自分さえよければ良いという風潮が出来てしまった。

 捨て身で敵艦に突入していった若者は、天国から今の日本を見てどう思っているだろうか。散った零戦のパイロットは憐れである。