礼儀を忘れない雀

 人口九万の街から六千弱の田舎に移住した。当初の予定では一つの街に三年程居住し、気に入った街があればそこを終の棲家としようと心に決めていた。

 一番最初に選んだ移住先は、四戸つづきの平屋で、全部で二十四戸の団地である。平屋だから二階からの生活音が全くない。静かなものである。しかも、三十坪ほどの菜園付きである。収穫間近のトウモロコシを狐に狙われることはあるけれど、それも愛嬌である。涙を流しながら、後片付けをしたものである。でも、老妻の本心はいざ知らず、私は大変に満足をしている。

 小さな菜園ではあるが、大玉のスイカか六個穫れた。とてもではないが、大玉六個は我が家の冷蔵庫には入りきれない。やむなく、半分に切って近所にお裾分け。

 妻が炎天下にご近所に配って歩く。そのお返しが「貴方の旦那は天才だ」とか「天賦の才だ」とか、さんざんに褒められ、手ぶらで帰ってくる。その時の短い会話を老妻から聞くのは、また楽しいものである。これで満足しているのだから、私も老いたものものだなと、つくづく思うこの頃である。

 さて、その日は曇りの夜だった。我が家には大きな集合煙突があるのだが、バタバタと煩い音がする。多分、アホな鳥が集合煙突の中に落ちたのだろう。何しろここは、野鳥の会のメンバーが態々移住して来る程の野鳥の宝庫であるらしい。
 
 兎も角、煩くて堪らないので、煙突を外して、あの恐怖の小泉買い物袋(今や貴重品)をガムテープで貼り付けた。すると数秒後、真っ黒に煤けた雀が飛び込んできたのである。

 私は早速、雀を抜けるような青空に向けて解放した。真っ黒な小カラスのような雀が、雲一つ無い青空に飛び出して行った。私はこの時、自由とは何かを、あの子雀と共有したと思う。それと、あの雀はシャワーを浴びさせなければならんのだが、と気を揉んだりしていた。
 
 次の日の早朝、快晴の五時である。ベランダを激しく打ち鳴らす音がした。何事が起きたかと慌ててカーテンを披くと、そこには一羽の、真っ黒に煤けた雀が必死に窓を叩いていたのである。

 ふと上空に目を遣ると、電線に二十羽ほどの雀がいて、我が部屋に向かって一斉にさえずっているではないか。私は思わず我が身が恥ずかしくなった。雀でさえ、一族を上げてお礼に来た。それに比べ、私は六十にもなって、これほどのお礼をしたことがあるだろうか。

 私は右手を上げ、深々と頭を下げた。たかが雀と思っていた。だが、雀は受けた恩を忘れずお礼に来たのである。雀が人間と何年も共生してきた理由が分かったような気がした。

 雀は私の返礼を受けると、一斉にどこかに飛び立った。義理堅い雀だと思った。だからこそ、雀は有史以来人類と共にあるのだろう。決して人間と離れず、人間と折り合いを付けて。

 小柄な体躯の雀には、人と共存する道を選ぶしかなかったのかもしれないが。