明日の背中【脚本】
凪紗
左目の端に何かが写った。
私は自転車を止めて寂れた廃屋の入り口に近づく。
夜の闇から白く浮き上がり、禍々しくも見過ごしできない小さな塊。
正体を知って、恐怖の悲鳴が口をついて出た。
廃屋の入り口から突き出た白い塊は、うつ伏せに倒れたブヨブヨとふとった子供の片手だった――無残にも頭を割られ、血まみれになった男の子の。
Opning
凪紗
(タイトル紹介)明日の背中
(目覚まし、雀の声、朝のニュースの音声、陶器が割れる音)
弟
姉ちゃん、先行くぞ!
凪紗
毎回待ってなくていいよ、先に行って!
母
ここは拭くから。ほら、あんた着替えてきなさい。
凪紗
あー、もう、今日は朝からツイてないよ。お気に入りのペンギン・ペン助のカップは割るし、コーヒーで制服は汚すし、「おはおは占い」まで最下位。何あれ、「ラッキーアイテムは信楽焼の狸」って。あるわけないじゃん、普通に。
母
ブツブツ言ってないで早く着替えなさい!
凪紗
そう、この日は朝からツイていなかった。バタバタしているうちにバスに乗り遅れて学校には遅刻した。遅刻が累積3回になったせいで原稿用紙3枚分の反省文も書かされた。なんて高校なんだか。数学はやたらと先生に当てられて全然答えられなかったし、英語は抜き打ちテストがあって、30点以下だった私は放課後に補修を受ける羽目に。
そんなつまらなくサイアクな日だった。
思えば、調子のいい日なんて1年とおしても五本の指に数えるほどもない。せめて普通に過ごせる日が多ければいいのに。私のは調子悪い日が基本だ。昨日だって、ゲームの特別アイテムの配信を知ったのが遅くてダウンロードに失敗したし、LINEは変なスタンプ送って友達に顰蹙買った。なんでこうなんだろう。
茜
凪紗、机に突っ伏してどうした。寝てんのか。
奏江
ナギ、お昼休みだよ。お弁当食べないの。
凪紗
茜ちゃん、カナちゃん……。なんか食欲ない。
茜
ヤバいぞ? いつも食べるのに命かけてるオンナが。いまは食欲の夏だろ。
奏江
7月なのにまだ梅雨明けしてないから夏って感じもしないけどねー。でも、ナギが食欲ないのはヤバいよ。明日、巨大台風か大地震でも発生するんじゃないの。
茜
いや、宝くじ買ったら一億円当たるほうだな。
凪紗
私にだって食欲ない日もあるよ!
茜
お、やっと元気になった。
凪紗
茜ちゃんがニヤリと歯を見せ、カナちゃんはクスクス笑う。
言葉づかいが男子な古田茜ちゃんと、毒舌美少女新藤奏江ちゃん。
二人とは2年生で同じクラスになってすぐに仲良くなった。
私たちは近くの机をくっつけてお弁当を広げる。
茜
にしても、凪紗は数学の原田によく当てられるなあ。そのたびに凪紗が間違えるから原田が面白がってるんだろうけど。
奏江
ナギ、今日の補修の後カラオケいく? 待ってよっか。
凪紗
いいよ、大丈夫。私、放課後は用事があるし――あ、いけない!
茜
どうした。
凪紗
あー、うん……。なんでも、ない……。
凪紗
答えて私はまた落ち込んだ。
あわてて出たから先輩に渡す誕生日プレゼントを忘れてきたんだった。
前から計画してたのに、そのプレゼントを忘れてくるなんて、今日の中でもこれが一番サイアクだ。
奏江
どうしたの、急に黙り込んで。また食欲なくなった?
凪紗
カナちゃんが私の顔を覗き込む。誰にも私が先輩を好きだと教えていない。いえば告白しろだの手伝うだの言われてしまう。私の気持ちとは別で周りが盛り上がっても困るだけだ。私は自分のペースで先輩との距離を縮めたいのに。
茜
おーい、凪紗、大丈夫か。うちの母特製のミニハンバーグ1個やろうか。
凪紗
これ以上ふたりに何も聞かれないように、私は大きくうなずいて、茜ちゃんのお弁当からハンバーグ3個を素早く奪い取った。
(放課後)
(BGMは放課後のチャイム、グラウンドでの部活、吹奏楽の練習曲など)
凪紗
日が長くなったなあと思う。放課後の補修が終わっても外はまだ明るかった。学校は終わっても、“今日”がまだ終わっていないみたいに。それなのに、校庭を見回しても帰宅部の先輩はもういない。私はまた一つ肩を落とす。
先輩を好きになってから1年がたつ。初めて先輩を見たとき、背が高くて優しそうで、柔らかな品の良さが王子様みたいで、一瞬で好きになってしまった。
碓氷志信/一つ上の学年/図書委員/帰宅部
ひっそりと想いを温めるように調べてわかったのはそこまで。
先輩が当番の日は図書館に行って本を借りたり、移動教室や下校で先輩とすれ違うのを期待したり。そうやってずっと先輩を目で追い続けてきた。
気がつけば毎日碓氷先輩のことを考えている。でも、声のかけ方がわからない。共通の話題がないし、接点もない。先輩は私の顔も名前も知らないはずだ。きっかけもなく、突然挨拶したり話しかけたら絶対変だ。嫌われる。
距離を縮めたいのに方法がわからないもどかしい気持ちと、反対に、嫌われるくらいなら見ているだけでいいと思う消極的な気持ち。それが交互に顔を出して私を苦しめる。
人を好きになるのって辛くてせつなくて、なのにやめられなくて、嫌だなあ。
茜
なーぎさっ。
凪紗
茜ちゃん! びっくりした。急に後ろから声かけるから。帰ったかと思ってた。
茜
凪紗が気になって残ってたんだ。カナもさっきまでいたけど、塾があるから帰ったよ。
凪紗
そうだったんだ。ありがと。心配してくれたんだね。
茜
言いたくないなら言わなくてもいいけど、大丈夫か。今日も本当は放課後に用事があったんだろ。
凪紗
え。あ、その……。
茜
ひょっとして弟くんか?
凪紗
え、陽日のこと?!
茜
あんたたち姉弟仲いいから、弟ひとり家に残しておくのが心配だったんじゃないか。この前も隣町で変な事件が起きただろ。
凪紗
小学生の男の子が連続で絞殺された事件だよね。心配だけど、陽日はうちに帰る前に学童保育の「こぐまクラブ」に通ってるから一人じゃないし大丈夫だよ。
帰り道は一人になるけど、あいつしっかりしてるから変な人にはついていかないはず。
茜
「変な人」、ねえ。それ、よく知ってる人とか怪しくない人だったらついていくんじゃないのか。たとえばこぐまクラブの先生とか、ボクらみたいな高校生とか。
凪紗
もー、変なこと言わないでよ。急に心配になったじゃん、あんな弟だけど。
茜
あはは(笑)、冗談だって。よし、アイス食って帰るか。落ち込んだときはアイスだ。
「13(サーティーン)」の割引クーポンあるからチョコミント食べよう。
凪紗
私、ストロベリー・チョコチップがいい。あ、待ってよ。急に走らないで。
茜
(走る音。遠くから)遅れたら凪紗もチョコミントな。
凪紗
チョコミントにされたくなくて、碓氷先輩も陽日のことも忘れて、私は茜ちゃんの背中に追いつこうと駈け出した。
茜ちゃんなりの励まし方だったのかもしれない。まんまと引っ掛かった。
けれど、あとになってから、このとき茜ちゃんの言っていたセリフがボディブローのようにじわじわと効いてこようとは、予想すらしていなかった。
(場面転換)
凪紗
結局、茜ちゃんと話しこんで遅くなってしまった。
家に帰るとお母さんの好きな21時からのドラマが始まっていた。陽日は宿題をしながらテレビを見ていた。なんとなくほっとする。
階段を上って自分の部屋に入る。机の上にある袋が真っ先に目に飛び込んできた。今日持っていくはずだったプレゼントだ。嫌になって私はため息をつき、そのままベッドに突っ伏す。
しばらくしたら部屋のドアがノックされ、お母さんが顔をのぞかせた。
母
凪紗、さっきからごはんだって呼んでるでしょう。早く下りてきなさい。
凪紗
いらない。頭痛いしおなかも痛い。あとで食べるから残しといて。
母
あんた、大丈夫? 具合悪いなら制服脱いで、ちゃんと着替えて寝なさいよ。
凪紗
んー。(ガサゴソと布がすれる音。布団にもぐりこむ)
凪紗
お母さんが行ってしまうと、私はますます大きなため息をついて制服のまま布団にもぐりこんだ。
本当は頭もおなかも悪くない。悪いのは機嫌だ。
私はベッドの中から袋を覗き見る。ラッピングされた箱が透けた袋から私を覗き返す。
中身は夏限定ペン助スマホカバー。もしも先輩に拒否されたら私が使おうと思って、自分の好きなのを選んでおいた。
あー、なんかなあ。この時点で気持ちが負けてる。
よく考えたら、先輩は知りもしない子からいきなり誕生日プレゼント渡された時点で告白られたって思うよね。それだと、「いらない」は「ごめんなさい」になるのか。
結果、渡さなくてよかったかも。だって、きっと断られる。それだけは自信がある。
明日はもう特別な日じゃない。来年の今日は先輩も卒業してもういない。
本当は渡したかった。先輩になんて言おうか苦しいほど頭の中で繰り返し考えていた。もういちど、今日をやり直せたら、今度は絶対うまくやるのに……――。
(少年の声)
――助けて!
凪紗
あれ? なにいまの? 物凄く生々しい感じの声だったような……? 夢かな。
気にはなったものの、私は寂しい気持ちのまま眠りの世界に堕ちて行った。
翌朝(BGM)
(目覚まし、雀の声、朝のニュースの音声、陶器が割れる音)
弟
姉ちゃん、先行くぞ!
凪紗
毎回待ってなくていいよ、先に行って!
あー、もう、今日も朝からツイてないよ。お母さんがいつの間にか直してくれたペン助のカップはまた割るし、コーヒーで制服汚すし、「おはおは占い」はまた最下位だし。何あれ、「ラッキーアイテムは信楽焼の狸」って。いいかげん、しつこいっての。
母
ブツブツ言ってないで早く着替えなさい!
凪紗
どっかできいたようなこというなあ。それに私、制服着たまま寝たはずなのに起きたらパジャマ着てたし……?
母
いいから着替えなさい!
凪紗
バタバタして今日も遅刻して学校に着くと何かが変だった。
奏江
ナギ、おはよー。あれ、なんで現国の教科書出してんの? 一限目は生物だよ。
凪紗
火曜だから現国でしょう。
奏江
もー、今日は月曜だって(笑)。なに休みボケ?(笑)
凪紗
この時点では日直が黒板の日付と曜日を昨日のままにしているのをカナちゃんが気づいていないだけかと思った。
本格的に変だと気付いたのは、本当に生物の授業が始まって、しかも昨日と全く同じ授業の内容が繰り返されているとわかってからだった。
お昼休み、カナちゃんと茜ちゃんと教室の机でお弁当を囲む。
茜
凪紗、調子いいじゃん。数学の原田が首かしげてたのはウケたね。凪紗が全問正解出したのにはボクらも驚いたけど。
奏江
私、英語の抜き打ちテスト、ヤバかったあ。ギリギリ合格だったけど、ナギも茜も補修なかったし、放課後、カラオケ行く?
茜
いいねー。行こうか。あれ、凪紗、食欲ないのか? お弁当減ってないよ。いつも食べるのに命かけてるオンナが。いまは食欲の夏だぞ。
奏江
7月なのにまだ梅雨明けしてないから夏って感じもしないけどねー。でも、ナギが食欲ないのはヤバいよ。明日、巨大台風か大地震でも発生するんじゃないの。
茜
いや、宝くじ買ったら一億円当たるほうだな。
凪紗
二人は笑ったけれど、私はかたまっていた。
どう考えてもこれは夢だ。“今日”をやり直したいと思っていたせいで見ているんだ。
それにしてはリアルの感覚が気持ち悪いほど半端ない。いままで夢の中で何を食べても味がしなかったし、暑かったり寒かったりの皮膚感覚はない。
なのに、お弁当のチーズカツの味もすれば、肌には梅雨のじっとり湿った汗ばむ不快感がある。夢が深いのかな。ちゃんと起きられるか怖くなってきた。このまま永遠に目覚めなかったらどうなるんだろ……。
茜
おーい、凪紗、大丈夫か。うちの母特製のミニハンバーグ1個やろうか。
凪紗
今日はいいや。昨日3個もらったし。
茜、奏江
(同時に)え?
凪紗
あ、なんでもない。私にも食欲のない日はあるよ。
――そういいながら、「言い方、これでよかったっけ」と“昨日”をなぞるように“今日”を演じてみた。
場面転換
凪紗
結局、放課後は三人でカラオケに行った。私が補修を受けなかったらこういう未来になるんだったのかな? と思いながらマイクを握っていた。
いつ夢から覚めるんじゃないかと落ち着かなかったから、いつもより楽しめなかった。
でも、茜ちゃんもカナちゃんもそんな私に気づいていないようだった。
二人と別れて家に帰ったのは20時前だった。
弟
おかえりー。姉ちゃん、遅ーぞ。
凪紗
昨日より早いよ。まだ「お笑いビッグ二十時」の前に帰って来たもん。そういえば、あんた、テレビ見ながらよく宿題できるよね。
弟
あ、いけね。宿題あった。って、そうじゃなくて、昨日は日曜だろ。あと「お笑いビッグ二十時」は今日これからやるやつだろうが。なにボケてんだよ。
凪紗
細かいこといってると女の子にモテないよ。
それより、ママ、お腹すいた。今日はごはん食べるから。
母
制服も脱がないでテーブルについて。用意するから着替えてらっしゃい。
あと、今日って何よ?
凪紗
それから急いで着替えて夕ごはんを食べて、お風呂に入った。
何事もなく一日が終わろうとしている。何かすごくしっくりこないものを感じながら。
部屋に戻ると机の上にある袋が目にとまった。
そうだ。私、もう一度今日が繰り返せるなら先輩にプレゼントを渡そうと思ってたんだ。
時計を見ると22時を過ぎていた。今から行けば22時半には先輩の家に行ける。
どうしよう、遅いよね。でも、最後のチャンスだし、どうせ夢だし何したって……。
そうだ、どうせ夢だ。先輩にどう思われても目がさめれば全部なかったことになる。
私はTシャツとデニムに着替えた。袋をつかみ、誰にも見つからないようにこっそり家を出る。玄関わきに置いてある自分の自転車にまたがると、先輩の家めざして坂を下って行った。
凪紗
先輩の家は知っている。教務室でたまたま3年生の住所録入り名簿を見てしまったから。
それで一度だけこっそり見に行ったことがある。そんな自分がストーカーっぽくて気持ち悪くなってそれ以来していない。でも、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
碓氷先輩の家は隣町でうちからは自転車で30分くらいの距離だ。大通りを走り、住宅街に入った。まだわりと電気がついている家が多い。
途中、空き地があって、隣に寂れた壊れかけの家があった。ここを過ぎて角を曲れば先輩の住んでいる家がある。
私は次第に緊張してくる心を抑えながら、ペダルを踏む足に力を込める。
頭の中で何度も練習したセリフが言えるかな。
(かわいく)「突然ですみません、私は2年生の春日部 凪紗です。今日は先輩の誕生日なので、プレゼントを……」
(自転車のブレーキの音)
壊れかけの廃屋を過ぎようとして、左目の端に何かが写った。廃屋の入り口に気になるモノが置かれていた。
私は自転車を止める。直感で見てはいけないとは思った。なのにどうしても見過ごしできない。自転車を降りて廃屋の入り口に近づく。
(怖いBGM)
闇に小さな塊が白く浮き上がっていた。
もっとよく見ようと私は恐る恐る身を乗り出す。
全身が総毛立った。恐怖の悲鳴が口をついて出てる。
廃屋の入り口から突き出た白い塊は、うつ伏せに倒れたブヨブヨとふとった子供の片手だった――無残にも頭を割られて血まみれになった男の子の。
(場面転換 警察署)
凪紗
そのあとは怒涛の展開だった。
私の悲鳴を聞いてたまたま通りかかった近所のおじさんが駆けつけてくれた。そして、死んでいる男の子を見てすぐに警察に通報してくれた。気がついたらパトカーに乗せられ、私は小さな取調室で刑事さんを前に事情聴取をされていた。
山口刑事
それで、君が第一発見者なんだね。名前と年齢、それから連絡先をここに書いて。
凪紗
刑事さんにいわれ、私は思うように動かない手で出された書類にボールペンで名前を書きつける。
部屋は思ったよりも明るくて人の出入りが多い。部屋の外は騒然としていた。「こんなときに殺人事件かよ」という声まで聞こえる。お父さんと同じ歳くらいの目の前の刑事さんは私の書く文字を目で追いながら読んでいく。
山口刑事
これ何て読むの。文字が震えてて読めないよ。えーと、“カスカスなギサ”さん、10歳? ああ、16歳か。これだと電話番号もあやしいな。電話番号を言える? ――あー、ダメか。相当ショックだったんだね。おい、谷岡、水持ってきてくれ。
凪紗
お父さん刑事の背後で記録を取っていた若い刑事さんが気づいたように部屋を出て、すぐに紙コップを持って戻ってきた。
受け取っても私は口につけられなかった。男の子の死体の残像が網膜に張り付いて全身の震えが止まらなかった。
やっと自分の住所と連絡先を伝えられるようになれたけれど、それで手いっぱいだった。
山口刑事
君が住んでいるのは隣町か。夜中の22時半にあんなところで何してたんだ。
凪紗
私はやってません!
山口刑事
落ち着きなさい。誰も君がやったとは言ってないから。それで、殺された二人の男の子とは知り合いなのかな。
凪紗
え? 二人?
山口刑事
建物の中にも殺された男の子がもう一人いたんだか。
凪紗
私は大きく頭をふった。
あんなむごいことをされた子供がまだいたなんて考えただけでまた震えが襲ってきた。
そのせいで私は何一つまともに話せなくなってしまった。
お父さん刑事の山口さんは私の記憶が新しいうちになんとか話を聞き出そうと、若い刑事の谷岡さんと交替しながら事情聴取を進めた。谷岡さんは慣れないせいか、山口さんにたまに口止めされながらも事件の状況を漏らしていた。
事件の被害者は小学生4年生の男子二人。入口にいた子は鈍器による撲殺。屋内の子は絞殺され、全裸で激しい性的暴行の跡あり。死亡推定時刻は二人とも死後二、三時間。つまり19時30分から発見された22時30分まで。
谷岡刑事
このところ起こっている連続男子児童殺害事件と同一犯かもしれないんだ。廃屋の近くで不審な男を見かけなかった? ――そうか、ないか。
山口刑事
おい、谷岡、内情はそのへんにしとけ。春日部さんには明日落ち着いた頃に署に来てもらおう。親御さんもお見えになったからな。
凪紗
疲れた顔のパパが迎えに来てくれた。動揺している私に気遣ってか、刑事さんにお詫びして家まで何も訊かずに連れて帰ってくれた。
でも、ママはそうもいかなかった。
母
どれだけ心配したと思ってるの! 遅い時間に親に黙ってうちを抜け出して何してたのよ!
凪紗
大激怒だった。友達の家に日付が変わらないうちに誕生日プレゼントを届けようとしたといったら「そんなことで!!!(ママの声)」と余計怒られた。
弟
姉ちゃん、死んだ二人って吉野 孤流昇聖くんとブー太郎だろ。
凪紗
陽日しってる子? ていうか、それ名前なの?
陽日
吉野くんはお父さんが書道家でかなり凝った名前をつけられたんだ。ブー太郎は高木伸夫っていうけど、デブすぎてブー太郎って言われてる。二人とも違う学校だけど学童で一緒になるんだ。今日もあいつらと一緒に遊んでたのに。
オレ、犯人絶対に許さない。なあ、姉ちゃん、あいつらどんな殺され方したんだ。警察はなんて言ってた。
凪紗
パパやママのお説教や陽日の悲しそうな声も聞こえてはいるけれど、入ってこなくてうまく答えられない。
その様子を見てパパが「今夜はそっとしておこう(パパの声)」と言ってくれた。
部屋に戻ると夜中の1時近くになっていた。
連続殺人事件。19時30分から22時30分の死亡推定時刻。変態の小児性愛者。廃屋の男子二名の遺体……。
私の頭の中を犯罪がらみの言葉がぐるぐるめぐる。
物凄く疲れて深い闇に引きずられるように私は眠りの世界に堕ちて行った。
(目覚まし、雀の声、朝のニュースの音声、陶器が割れる音)
弟
姉ちゃん、先行くぞ!
母
ここは拭くから。ほら、あんた着替えてきなさい。
ちょっと、なにボーっとしてるの。
凪紗
どういうこと。また同じ日?
母
何が同じよ。
凪紗
ママ、今日は何月何日何曜日?
母
7月5日月曜日でしょ。それがどうしたの。
凪紗
どういうこと。また私、“昨日の今日”を繰り返している。ううん、これで3回目だから“一昨日の今日”になるのかな。あー、わかんなくなってきた。とにかく、今日は7月5日月曜日なんだ。
母
いい加減に早くしなさい! 遅刻するでしょ!
凪紗
ママの声に急き立てられるようにして着替えてバス停へ向かった。
昨日までだったらバス停まで全力ダッシュだったけれど、それどころじゃなかった。それに反省文はもう2回書いている。書くこと決まってるからある意味楽勝。
それより、どうなっているんだろう。この3日間、7月5日月曜日が繰り返されている。
意識がはっきりしたこの感覚はどう考えても夢じゃない。昨日もそうだった。あ、“昨日”って言わない。“昨日”だって“今日”だから。ややこしいなあ。とりあえず、初回に対して2回目だから“リプレイ2回目”って呼ぼう。今回は“リプレイ3回目”。
もし夢だったら少しは変わってもいいと思う。でも起こる出来事に全然誤差がない。
ペン助のカップが割れたり、「おはおは占い」は最下位だったり、ママや陽日のセリフは言葉もタイミングもほぼ一緒だったり。
(バスの通過する音)
私の隣を初回とリプレイ2回目で乗って遅刻したバスが通過していく。
どうせ遅刻するんだからのんびり次のバスでこう。でも、それに乗ったらバスジャックされました、なんてフラグ立ってたら嫌だな。
初回かリプレイ2回目で夜のニュースを見ておけば――あ、ニュースで思い出した。今日の19時30分から22時30分の間に男の子が2人殺されるんだ。
それ、止めることができるんじゃない?
私はスマホを非通知設定にして警察に電話をかけた。
警察署電話交換手
はい、警察署です。どうしました。
凪紗
今夜19時30分から22時30分に男の子2人が廃屋で殺されます。場所は……。
警察署電話交換手
え、殺される?! どういう意味ですか。
凪紗
私は場所と男の子たちの名前を伝えて電話を切った。
よし、これでOKだ。いいことしたあとは気持ちがいいな。
私は鼻歌交じりで次に来たバスに乗った。直後、渋滞にはまった。それで大遅刻して先生からめちゃくちゃ叱られたあげく反省文10枚提出させられた。
いいことしたのに、おかしくない?!
(ドアを開ける音)
凪紗
ただいまー。
弟
おかえりー。姉ちゃん、遅ーぞ。
凪紗
「お笑いビッグ二十時」の前に帰って来たから昨日と同じじゃん。あんた、宿題は?
弟
あ、いけね、忘れてた。って、そうじゃなくて、昨日は日曜だろ。あと「お笑いビッグ二十時」は今日これからやるやつ……。
凪紗
昨日も言ったけど、細かいこと言ってると女の子にモテないよ。
それより、ママ、お腹すいた。今日もごはん食べるから。
母
制服も脱がないでテーブルについて。用意するから着替えてらっしゃい。
あと、今日もって何よ? いつも食べてるでしょう。
凪紗
いつものようにごはんを食べてテレビ見て、お風呂に入って部屋に戻った。机の上にある先輩の誕生日プレゼントが目に留まる。
いけない。先輩に渡さないと。
私はリプレイ2回目と同じように家を抜け出して自転車で先輩の元へ急いだ。
今度こそ渡すんだ。それで、先輩と少しでも距離を縮められて、一緒に下校したり、遊びに行ったりできるようになったら……。
私の心臓がひとつ嫌な音を立てて高鳴った。あの事件のあった廃屋の前まで来ていた。
もう大丈夫だよね。だって通報したもん。誰も死んでないよね。
見たくなかった。それでも私の目は廃屋の入り口に吸い寄せられる。
(怖いBGM)
昨日と同じだった。白い子供の手が廃屋の入り口から覗いている。
22時30分、私は悲鳴を上げていた。それは死体に対する驚きと恐怖感ではなく、逃れられない迷路に入り込んで同じ恐怖がまた襲ってきたときの絶望感だった。
(場面転換 警察署内)
山口刑事
それで、君が第一発見者なんだね。名前と年齢、それから連絡先をここに書いて。こ両親に迎えに来てもらうから。字が綺麗だね。春日部凪紗さん、16歳か。怖かっただろ、顔が引きつっているよ。
凪紗
変なんです。私、殺人事件が起こるって電話したのに、また殺されてるなんて。
山口刑事
君か、イタズラ電話をしたのは!
凪紗
イタズラじゃないです。本当に殺されてたんだから怒らないでください。
刑事
確かにそうだが、報告した巡査によると巡回した19時にも22時にも誰もいなかったそうだ。
凪紗
そんなはずない。どういうことです。
刑事
こっちが聞きたい。
凪紗
あ、ということは……。
刑事
それより君は何なんだ。どうして殺害がわかった。
凪紗
え、あ、えーと、夢を見ました! お告げです!
刑事
は? 気味悪いなあ。ついでに犯人の夢も見てくれよ。
凪紗
ふう、ごまかせた。
そのあと私はリプレイ2回目よりもうまく事情聴取に答えられた。
パパが迎えに来て、帰ったらママにどやされて、泣きそうな陽日に迫られて、あとは同じだった。
(目覚まし、雀の声、朝のニュースの音声)
凪紗
ママ、ペン助のカップ取っ手が壊れてる。このままにしておくね。
いってきます。
陽日
姉ちゃん、待てよ。オレまだ終わってない。
凪紗
いっつも一緒に出なくていいんだから一人で行きなよ。(ドアを閉める音。速足で歩く音)
私はバス停に急ぎながら考えた。
基本、リプレイで起こる事実は変わらない。つまり、19時から22時の間には死体がなかった。それなら二人の殺害は22時から22時半の30分間になる。
でも、それだと「死亡推定時刻が二、三時間前」に矛盾が出る。子供二人を連れて廃屋に入って虐待、殺害して出て行くのが30分以内にできるものなんだろうか。
それに、一人には激しい性的暴行を加えている。どうして一人だけなのかの疑問も残る。
そんなことを考えているうちに校門を越えていた。
奏江
おはよー、ナギ。
凪紗
カナちゃん。遅刻ばっかだったから朝の挨拶されるのってなんか新鮮。
奏江
遅刻? そうだっけ?
凪紗
あのさあ、カナちゃんミステリー好きだったよね。昨日推理ゲームアプリにあったクイズなんだけど……。
(生徒たちの声)
私は昨日の事件のあらましを話した。
奏江
それ、殺害現場が違うんじゃないの。
同じ場所で犯行全部は無理にしても、殺して運び込むだけだったら30分以内でできそうじゃない? なんで死体を別々に置いたかわからないけれど。男の子二人なら2往復くらいしたんじゃないの。近所に住んでる人が怪しいとか。
凪紗
あ、そうか! だから死後二、三時間経過してるんだ。一人は肥満の子だから重くて中まで運びこめなくて入り口で捨てて逃げたんだ。
ありがとう、カナちゃん。
奏江
それで犯人がわかったことにはならないけど、いいの?
凪紗
うん、もうわかったも同然だから!
茜
おはよー、カナ、凪紗。
凪紗
カナちゃんと茜ちゃんが話している最中、私は上の空で靴を履き換え、教室に急いでいた。
今夜は22時前に廃屋の近くで張り込もう。入口に死体を捨ててるから入口から入ったってことだよね。
殺害は防げないけれど、2往復してるから1回目に死体を運びこんだあとで犯人の後をつける。その間に通報して2回目で犯人が現場に死体を運びこむところを取り押さえてもらえれば現行犯逮捕できる。
翌日、リプレイが起きたら、学校に行かないで犯人の後をつける。それで子供たちをさらったところで警察に通報。あとは子供を誘拐した時間に合わせて毎回警察に通報すればいいだけ。これで毎回完全に犯行が防げる。
よし、今日は廃屋で張り込みだ。完璧な作戦でニヤニヤしちゃうよ、ふへへ。
(場面転換 警察署内)
刑事
それで、君が第一発見者なんだね。名前と年齢、それから連絡先をここに書いて。ご両親に迎えに来てもらうから。春日部凪紗さん、16歳か。相当動揺したらしいね。発見したときに、「なんで?! どうしてここにあるの?!」と取り乱していたそうだから。
凪紗
そうですよ! それに、なんで私またここにいるの?!
刑事
それは君が死体の第一発見者だから。
凪紗
それはわかってるけど、なんで犯人が出入りしてないのに死体だけが置かれているの?!
22時30分をすぎても犯人が来ないから変だと思ったんです。私の張り込みに気づかれたのかと思って廃屋を覗きに行ったらいつもと同じ場所に死体が置いてあるなんて。まさか時間になると死体がテレポートされるとかじゃないよね?!
刑事
いいから落ち着きなさい。君は犯行が起こるのを知ってたのか。
凪紗
夢のお告げです!
刑事
気味悪いなあ。それで犯人も夢に出てきたのか。
凪紗
出てこなかったからこうやって張り込んでたんです! もー、なんでなのぉ!!
刑事
(あきれた感じで)谷岡、水持ってきてくれ。
凪紗
私の怒りと混乱で事情聴取どころではなくなり、パパが迎えに来たから帰された。
帰ったらママにどやされて、泣きそうな陽日に迫られて、あとは同じでうんざりした。
(目覚まし、雀の声)間(目覚まし、雀の声)間(目覚まし フェードアウト)
凪紗
あれから何回も“リプレイ”を繰り返した。今回で7回目になる。場所を変えて22時前から毎日張り込んでいるのに殺人は起こる。そして決まって警察署で事情聴取されて、パパが迎えに来て、ママに怒られて、陽日に泣きつかれて眠る。
何度も繰り返すうちに情報が増えてきた。
この3カ月で連続男子児童殺人事件が起きている。全員が小学生低学年から中学年。一人目はうちの町内。自宅で暴行のうえ、絞殺。二人目は隣町。家から遠くない空き家で暴行され、絞殺。三人目も隣町。自宅で暴行され絞殺。これはいままでのネットのニュースや新聞で調べてわかったこと。
他に警察で事情聴取されるたびに知った断片的な情報をつなぎ合わせるとそれ以外の事実もわかってきた。
入口に倒れていた高木伸夫くん10歳は即死じゃなかった。死因は頭部の損傷による失血死。順番で言えば殺された吉野くん10歳の後に死んでいる。吉野くんは猿轡を噛まされ、手首を縛られて長時間拘束状態にあったと谷岡さんが漏らした。
そして事件の状況。3件目以降、警察がパトロールを強化したから沈静化していたそうだ。今回の4件目は久し振りの犯行になる。犯行を我慢していた分ストレスがたまっていたから暴行が激しかったのではないかと谷岡さんがまた漏らした。
犯行現場は廃屋なのか別の場所なのか当日の検証ではわからないらしい。それでも私は巡査のパトロールの証言から犯行は別の場所だと知っている。
そしてもう一つ意外なことがわかった。
じつはこの少年たちの死亡推定時刻19時30分から22時30分の間に別の事件が発生していた。
19時から21時、うちの地区とはかなり外れた郊外で刃物を持った男が人質を盾に民家に立てこもるという騒ぎが起きていた。夜のニュースを見ていなくて全然知らなかった。
警察の人員は大半がそれに駆り出されていた。パトカーや報道陣の車が大通りで引きも切らず、物々しい雰囲気を醸し出していたそうだ。管轄外の事件ではあっても区を統括する警察署は人員をかき集める必要があった。それで署内がバタついていたと谷岡さんが言っていた。それで事情聴取中に「こんなときに殺人事件」と言ってたのか。
これだけいろいろわかっても、犯行を防げる方法が思いつかない。
母
凪紗、いつまで寝てるの。起きなさい!
凪紗
私寝てた? もしかしたら寝なかったら明日になるかと思ってずっと起きてたんだけど、途中でどうしても眠くなって寝落ちしたんだ。また失敗。なんかもう全部嫌だ。
母
何ブツブツ言ってるの。遅刻するわよ。
凪紗
ママ、今日は学校休む。頭痛い。寒気がする。
母
え、風邪引いたの。待ってなさい。体温計持ってくるから。
凪紗
ママが部屋を出て行った。本当は具合なんて悪くなかった。ひたすら眠くて何一つやる気が起きなかった。
何度張り込んでも結果は同じ。必ず惨劇を目にする。一度22時少し前に入口を見に行ってみた。確かにそのときは死体がなかった。それなのに、22時30分になると嘲笑うかのように、同じ場所に同じ格好をした死体が置かれている。
もう嫌になってきた。私が何をしたって無駄な努力なんだ。あの子たちは死ぬ運命なんだ。もう関わりたくない。他の人に見つけてもらおう。何も私が第一発見者になることはないんだし。
ママに渡された体温計を握りながら私は疲れた不愉快な気分で寝入ってしまった。
(間 チャイム)
玄関のチャイムで起こされた。スマホの時計を見ると16時。曝睡したなあ。誰か来たけど、布団から出たくない。下の階まで下りてインターフォンに出る気力がない。体が、気持ちが思うように動かない。
陽日
はーい。
凪紗
陽日が出てくれたんだ。ふーん、帰ってるんだ。いつもなら学童にいるのに。そうか、病気の私を心配して今日は家にいるんだ。じゃあいいや。寝なおそう。
(何かが倒れる大きな音)
凪紗
うるさい。あいつ、遊びに来た友達と暴れてるな。(格闘するような音)
ちょっと、静かにしてよ!
ムカついてベッドから跳ね起きてドアを開け怒鳴った。気味が悪いほど静まり返る。ベッドに戻って寝がえりを打つ。
そういえば、先輩の誕生日、すっかり忘れてた。でも、なんかもう、どうでもいい…。
(物を殴る音)
激痛が頭に響いた。固くて重いもので殴られたとわかったあと、続けざまに二発目、三発目が後頭部に続く。
痛い。物凄く痛い。自分が頭から血を流しているのがわかる。ドロリとした液体が頭から流れ出し背中を濡らしていく。血の臭い、ベッドを汚すドス黒い血飛沫。
どうやって逃げたかわからない。霞む無意識の中でみた最後の光景は、ふりあげられる棍棒と、目を見開いて服を裂かれて転がっていた陽日の死体だった。
(目覚まし、雀の声)
凪紗
(息を飲む)朝?! えっとスマホ……、日付は……、7月5日。
夢だったんだ。よ、よかったあ、死んだかと思った。今度こそ7回目のリプレイだ。
(窓を開ける音)んー、空気がすがすがしい。まるで生き返ったみたいなさわやかさ――じゃない。本当に生き返ったんだ。あの痛みやリアルな感覚は夢じゃない。リプレイだ。あのとき、私は本当に死んだんだ。だからこれは8回目のリプレイだ。
私は跳ね起きて制服に着替え、ダイニングへ降りた。
母
おはよう。
陽日
おはよう、姉ちゃん。
凪紗
陽日~、よかったあ~!! 無事だーーー!!!
陽日
わ、バカ! 抱きつくな! きめえぞ! なに泣いてんだよ!
凪紗
私、今日学校行くから! 一緒に行こうね! あんた今日は絶対に早く家に帰らないで。人が来ても入れないでよ。
陽日
バーカ、誰もいない家なんて帰んねーよ。オレ今日は学童行くし。
凪紗
“初回”にもし私が病気になってたら、殺されてるとこだった。きっとあの男の子たちだってこうやって殺されてきたんだ。犯人は私が絶対に見つける!
陽日
朝っぱらから訳わかんね。頭に虫わくほど疲れてんなら学校休めば。
凪紗
私が休むとあんたが狙われて私たち殺されちゃうんだよ!
母
凪紗、スマホでマンガの見すぎじゃないの。夜はスマホ取り上げるわよ。
凪紗
ママ、そのペン助のカップこれから壊れる。危ないからさわらないで。
陽日
やっぱ姉ちゃんキモイよ。オレ今日は一人で学校行くわ。
凪紗
こうして私は何事もなく登校した。
それにしても、どうやって犯人を見つけよう。コナンか金田一くんでもいればいいのに。
(ぶつかる音)
痛っ。すみません、ボーっとして歩いてました。え、碓氷先輩?!
碓氷
……いいよ。(暗い)
凪紗
先輩は肩越しに私を振り向いただけで足早に去ってしまった。
どうしよう、嫌われた。
男子高校生1
碓氷のやつ、暗くなったよな。
凪紗
声のする方を向くと先輩とよく一緒にいる同級生の人たちだった。
男子高校生2
最近つきあい悪いし帰るのも早いし。学童保育で子どもと遊んでるんだって。
男子高校生1
子供と遊んでる?(笑) マジ? キモくね?(笑)
前にも夜中にあいつんちの近所をひとりでフラフラ歩いてるの見かけたし。挙動不審すぎだろ。
男子高校生2
二、三か月前からちょっとおかしかったよな。最近特にひどいけど。誰とも口きかなくなったし。
凪紗
先輩の同級生の背中を見送るように私は立ち止まった。嫌な考えに取りつかれる。
二、三か月前といえば男子児童殺害事件の起こり始めた頃だ。しかも殺人事件は先輩の住んでいる隣町で頻発している。廃屋は先輩の家の近く。先輩なら近所の勝手も知っている。殺されるのは先輩が遊んでいる年齢の子供たち。遺体をうまく捨てる手段も思い付いているのかもしれない。否定するには共通点がありすぎる。
考えれば考えるほど、茜ちゃんの言っていた「不審感を与えない人」に一番当てはまる。
まさか、先輩が犯人? 私は先輩に殺されたの?
(場面転換 放課後)
碓氷
え? 放課後これから僕と一緒に帰りたい? 君、誰だっけ?
凪紗
2年生の春日部です。先輩とお話しがしたくて。
碓氷
大丈夫? 顔が真っ赤だよ。
凪紗
無理もない。恥ずかしくて心臓がバクバクいっていた。
いつもなら勇気がなくて先輩に声をかけるなんてできない。けれど今日はぬるいこと言っていられない。私と陽日と男の子たちの命がかかっている。
碓氷
悪いけど君のこと全然知らない。突然言われても迷惑だし。じゃあ。
凪紗
待ってください! 先輩と今日ぶつかったときすごく暗かったから心配だったんです。悩みがあるんじゃないですか。私でよかったら言ってください。何時間でも聞きます。どんなネタでも。変態プレイ願望だってサイコパスのカミングアウトだって平気です。
碓氷
ごめん、正直、引いた。話すことはないから。
凪紗
ごめんなさい。言い方が悪かったなら言ってください。何度でも修正します。何度失敗したってやり直しができるなら何度だってするって決めたんです。やることを全部やらないで同じ毎日を繰り返しては後悔するなんてもう嫌なんです。それに――。
碓氷
それに、なに?
凪紗
――言えなかった。先輩が凶行に走る前に食い止めたい。思いとどまってほしいと。
碓氷
わかったから。制服の裾引っ張らないでくれる。皆見てるし。
凪紗
すみません! あの、それじゃあ先輩……。
碓氷
うん、熱意に負けた。とりあえず帰ろう。
凪紗
私たちは並んで校門を出た。
(場面転換 川面を流れる水の音など)
凪紗
先輩、ここは?
碓氷
ここの河川敷は好きでよく来るんだ。ランニングをする他の学校の運動部とか犬の散歩をする人たちを眺めているだけでほっとするというか、落ち着く。
誰も僕のことを知らない。声をかけようともしない。干渉も要求もされない。敵意をも関心も示されない。すごく解放された気持ちになる。
凪紗
先輩、思いつめてないですか。内側にこもりすぎです。
碓氷
さっき、君が僕を暗いって言ってたよね。自分でも三カ月くらい笑ってない気がする。
うちの両親、正式に離婚するんだ。
凪紗
え?! 離婚?!
碓氷
うん。うちの祖父が認知症になって体も悪くて介護も必要なのに老人ホームの入居が全然決まらないんだ。それで母さんに介護の負担が全部いって、母さんが介護疲れで鬱病になった。自殺未遂までしたんだ。三か月前に実家に戻ってそれっきり音信不通、というか母方の両親の祖父たちが怒ってうちに連絡を取らせないようにしているんだ。父さんだけじゃなく、僕も一緒になって母さんを追い詰めたって。
僕が父さんと交替で祖父の面倒を見ているけど、ちゃんとした介護もわからないし、祖父も僕をおぼえていない。疑り深くなって、世話をしている最中に「出て行け」「死ね、クソガキ」なんていうし、殴ったり噛みついたりしてくることもある。母さんじゃないけれど僕も父さんも限界なんだ。こんな調子だと受験勉強どころじゃない。どうしていいかわからなくて、一晩中家の近所を歩いたこともあったよ。
凪紗
そんなことがあったんですね。
碓氷
ストレスがたまってどうしようもなくなると学童保育の「ごぐまクラブ」へ行って子供たちと遊ぶのがいまは唯一の慰めなんだ。僕、子供が好きで、将来は保育士になろうと考えてる。だから学童の先生に事情を説明して、「こぐま」で子供たちと遊んだり児童心理の本を読ませてもらったりしてる。
凪紗
「こぐま」ならうちの弟もたまに遊びに行ってますよ。春日部 陽日 っていうんです。
碓氷
春日部さんは陽日くんのお姉さんだったのか。そういえば名字が同じだね。彼はしっかりしててかっこいいからモテるよ。
凪紗
知ってます。バレンタインデーになるとチョコ何個も持って帰ってきて「そんなわけで、姉ちゃんからのはいらないから」とかいうんですよ。あんな生意気なクソガキのどこがいいんだか。
碓氷
(笑)
凪紗
先輩が初めて笑顔を見せた。
もし先輩が一流のサイコパスで、同情を引いて私を味方に取り入れようとしているならド天才級の演技だと思う。
けれど、一年前から見てきた先輩は今も変わらず優しくて穏やかな人柄だ。ましてや子供に乱暴な真似をしたり殺したりするなんて、根拠としては弱いけれど、どうしても先輩が犯人だとは思えない。
碓氷
陽日くんと春日部さんはあまり似てないんだね。言われなければ僕はてっきり……。
凪紗
あの、先輩、女子って嫌い? 子供といる方が楽しいの?
碓氷
それはカノジョつくったほうがいいってことかな。でも、いま誰か好きになるとバランスが取れなくなると思う。つらい気持ちを全部相手にぶちまけて、弱いところ見せて、結局嫌われる気がする。だから意識的にみんなに心を閉ざしていて……。あれ? 僕、なんでこんなに自分の気持ちを語ってるんだろう。疲れてるのかな。
凪紗
疲れてても、もっと先輩のこときかせてほしいです。
わっ、変な意味じゃなくて、そのあの……。
碓氷
僕のことより今度は君のこと聞かせてよ。僕は君が陽日くんのお姉さんでうちの学校の2年生ってことしか知らないから。
凪紗
私は自分のことを話し始めた。不思議なほど、私も先輩には自分のことが話せた。
夕日が沈み暗くなっても話は尽きなかった。
碓氷
腹減ったなあ。ラーメン食べて帰ろうか。気に入ってるところがあるから。
凪紗
いいんですか。
碓氷
今日の介護は父さんの番だから少し遅くなってもいいんだ。塩とんこつ好き?
凪紗
食べたことがなかった。好きかどうかもわからない。それでも、先輩と一緒にいたかったしおなかがすいていたから、私はうなずいた。
碓氷先輩がつれていってくれたのは小さなラーメン屋さんだった。カウンターに並んですわる。好きな人の隣でごはんを食べるのって緊張した。でも、食べ始めたらおいしくて夢中になって先輩と一緒に替え玉まで食べた。
そしたらなぜか先輩に頭をポンポンされた。
話が尽きないまま先輩に家まで送ってもらった。先輩といると楽しい。ずっとこうしていたい。でも、もう家の前に着いてしまった。
碓氷
今日はありがとう。話聞いてもらって楽になったよ。
凪紗
私の方こそ一緒に話せてよかったです。あ、そうだ、先輩、ちょっと待ってて。(駆け足)
私は家に入り、机の上から紙袋を持って家の前に戻ってきた。
碓氷
これを僕に?
凪紗
先輩、お誕生日おめでとうございます。前に先輩がお友達と自分の誕生日を言い合ってるのをきいたことがあって、それをおぼえてて。
碓氷
ありがとう。開けていい? あー、さっき君が好きだって言ってたペン助だ。スマホケース大事に使わせてもらうよ。
凪紗
ずっと渡しそびれていた誕生日プレゼントが渡せた。
何度でも見たい、喜んでるその笑顔も、これから先の私のまだ知らない表情も。
碓氷
どうした、暗い顔になって。
凪紗
明日にならなきゃいいのに。
碓氷
明日も会えるから。
凪紗
先輩は何も知らずに微笑む。私に明日が来ないなんて想像もできないだろう。もう一度やり直しなんてしたくない。今日の先輩の笑顔と距離が、目が覚めたら遠ざかって元に戻っているなんて嫌だ。
碓氷
じゃあ、おやすみ。
凪紗
――私、先輩が好きです。
碓氷
うん、さっき気づいた。
凪紗
照れくさそうにはにかんで、先輩は私の頭にポンと手を乗せる。
碓氷
また明日、な。
凪紗
照れた顔を隠すように先輩は背を向けて帰って行った。
涙があふれてきた。ずっと見ていたいのに先輩の姿がにじんでぼやける。
明日はこない。私が会うのは私を知らないリセットされた先輩だ。きっと会えばつらくなる。もう一度ゼロの距離からなんて始められない。でも、私は“今日”という日で大好きな人と終わってまったんだ。
家に入ってダイニングを通るとママと陽日が「お笑いビッグ二十時」を見ながらごはんを食べていた。
母
凪紗、出たり入ったり何してるの。あと遅くなるなら言いなさいよね。心配するでしょう。
陽日
姉ちゃん、オトコだろ、オトコ。
おっ、ギクッとした。いいねえ、アオハルかよ。ヒューヒュー。
凪紗
バカ、そんなんじゃない!
私は自分の部屋に駆け上がった。鞄を放り出すと制服のままベッドにもぐりこんで寝てしまった。何も手に着かないし、何も考えたくなかった。
(目覚ましの音、雀の声)
凪紗
起きるとパジャマを着ていた。今日もまたリプレイが始まるのがわかった。
でも同じじゃない。私が変わってしまった。同じ顔で先輩に会えない。
朝のトラブルを自動で回避して登校する。
8回目の朝と同じく先輩が私の前を歩いている。声が聞きたくて言葉が勝手に口から出ていた。
――おはようございます。
碓氷
え? おはよう?
凪紗
誰だっけ? と首をかしげる先輩。それも迷惑そうな顔で。
また挨拶を交わしたこともない関係に戻っていた。胸が苦しくなってその場から駈け出して教室へ向かった。
(場面転換 昼休み)
奏江
放課後、カラオケ行く?
茜
いいねー。行こうか。あれ、凪紗、食欲ないの? いつも食べるのに命かけてるオンナが。ん? どうした、凪紗。
凪紗
ごめん、なんでもない。
奏江
あ、どこの行くの。
凪紗
お弁当を片付け、席を立った。教室を出て当てもなく校内をさまよう。
授業は決められたセリフで答えるだけ。カナちゃんや茜ちゃんからは決まったセリフを同じ時間、同じ場所で聴くだけ。
自動再生を繰り返す毎日を、私は昨日見た自分の姿をただなぞっている。一番いい選択肢、失敗しない選択肢を選んで、明日もまた“今日”の自分の背中を追いかけて一日が終わるんだ。
私は“今日”という明日の背中を追い越すことができるんだろうか。
歩いているうちに校舎裏に来ていた。心臓がひとつ大きく高鳴る。
ベンチで碓氷先輩がひとり購買で買ったパンを食べていた。暗い目をしてスマホを見つめている。
私の気配に気づいたのか、先輩は顔をあげ、こちらを見た。そして気まずそうにベンチを立ち去ろうとする。
こらえきれなくなって私は声をかけた。
碓氷
何? 僕に用?(暗い)
凪紗
はい。これから息抜きに一緒に河川敷へ行きませんか。
(場面展開 BGM的に目覚まし、雀の声、ニュースを繰り返し流す)
凪紗
こうして私は何度も何度も先輩に「初めて声をかける日」を繰り返した。
そのたびにいろんな先輩を知った。触れちゃいけないネタを学習して失敗の回収をする。先輩が喜ぶ話題や情報を入手する。繰り返すうち、会うたびに距離の縮んだ時間が長くなった。先輩からは「初めて話したとは思えない。一緒にいると前からの知り合いみたいだ」とよく言われた。
先輩が奥手過ぎて手も握ってくれないけれど、私は満足していた。
(場面転換)
凪紗
それでもついには満足できない日はやってくる。十数回も繰り返した先輩とのリプレイのある日、気持ちが抑えきれなくなった。
あれは「初めて会話したにもかかわらず学校をさぼってデートする」までした日。
いつものように送ってもらって家に入る。先輩はおじいさんの介護でお父さんを手伝うからいつも一緒にいるのは20時半までだ。でも、最近は私がうまい方法を見つけて22時限界まで引きのばすことができるようになった。
でも、もっと先輩と一緒にいたい。今日が終わる時間の許す限り一分でも一秒でも。
母
おかえり。連絡した時間ぴったりね。お友達のおうちでごはんだったんでしょ。早くお風呂入っちゃいなさい。
凪紗
学習してママへの言い訳もうまくなった。自分の部屋に入ると机の上にある先輩の誕生日プレゼントが目に飛び込んできた。
いつもは持って行って渡してきたのに今日に限って忘れてた。
いつもなら次のリプレイで渡せばいいやとか思っていたはずだ。でも届けに行けばまた先輩と一緒にいられる。そ、それで手とかつなげたら。いっそ強引にハグとかしちゃう?!
私は紙袋をつかんで、そっと家を抜け出すと自転車で先輩の後を追った。
しばらく走ると先輩の家の近くでその後ろ姿を見つけた。声をかけて呼び止める。
碓氷
春日部さん? どうした?
凪紗
(息切れ)あの、私、先輩に渡したいものがあって、それにもう一度会って、その――。
(男の悲鳴)
凪紗
もー、いいところで。
私たちは声のした方へ目を向ける。
すぐさま、先輩の肩越しに思い出したくもないある光景を見て私は凍りついた。
碓氷
え、村田のおじいちゃん?! 腰が抜けてる。
凪紗
あれはかつての私。私が体験した恐怖であり戦慄。
おじいちゃんが倒れているのは廃屋の前だった。先輩は尻もちをついてわなわなとふるえるおじいちゃんに走り寄る。おじいちゃんはなおも鶏が絞め殺されるような悲鳴を上げて廃屋の入り口から目が離せないままだ。
碓氷
おじいちゃん、大丈夫ですか。え、中になにか? そんな、嘘だろ……!
凪紗
先輩。
碓氷
来るな! 見るんじゃない!
凪紗
時刻は22時40分。反射的に、私はスマホを取り出し警察に通報していた。
人の良さそうなおじいちゃんが私の代わりにむごたらしい惨劇の第一発見者となった。先輩と私が過ごした日々の中で、2件の殺人事件は変わりなく起きていたのだった。
(場面転換)
碓氷
それじゃあ僕は村田のおじいちゃんに付き添って行くよ。君は早く帰るんだ。
人も集まってきてるしパトカーや救急車も来ている。巻き込まれない方がいい。
凪紗
先輩、私も行きます。私も事情聴取された方がいいと思う。
碓氷
何言ってるんだ。君は通報しただけなんだから。
でも、教えてくれないか。僕は死体を見せたくなくて来るなと言った。君も動かなかった。なのに君はすぐ警察に通報した。それも「男の子が二人殺されている」と。見てもいないのになぜ男の子が殺されているとわかったんだ。それに倒れていたのは一人だ。「二人」というのはどういう意味なんだ。思えば君は最初から僕のことをよく知っていて……。
警察1
おい、奥にもう一人いるぞ。担架を頼む。
警察2
はい(ざわめき)
凪紗
廃屋からの声に信じられない物を見る目つきで先輩が私を見る。担架に乗せられた小さな遺体と先輩の顔が見られず、自転車で走ってその場を逃げ去った。
家に着いて、誰にも気づかれないように忍びこみ、自分の部屋へ入る。
明日になればゼロになるとはいえ、いまのは危なかった。先輩どう思ったんだろう。
10分違いだと私ではなく、おじいちゃんが発見することになってたんだ。
被害者の人数・犯行現場は同じだった。きっと犯行時刻も被害者の子たちも同じだろう。何十回と繰り返されるリプレイのなかでこれだけは絶対に変化しない。不動の法則だ。
(ドアをノックする音)
母
凪紗、お風呂入ったの? あらまだ着替えてないじゃないの。
凪紗
う、うん。疲れてちょっと寝てた。お風呂入るから行っていいよ。
母
そう? 顔が青いわよ。大丈夫?
凪紗
ママが出て行ったあと、私は部屋着に着替えてお風呂場へ向かった。
思い出さないようにしていた。むしろなかったことにしていた。関わりさえしなければ事実さえ消えると思い込んでいた。
(水のあふれる音)
湯船につかると死体の小さな手を発見したときの光景がありありと浮かんでくる。
毎回いい気はしないけれど、見慣れた私とは違って、おじいちゃんのショック状態は度を越えていた。心臓麻痺でも起こすんじゃないかと思うくらいパニックだった。
担架に乗せられて救急車で運ばれる男の子の遺体から責められているような空気さえ伝わってきた。
(水のあふれる音)
やっぱり事件を止めなくちゃ。あの子たちは何十回も殺害されるのを体験したわけじゃない。でもリプレイ7回目の私や陽日のように一度でも恐ろしい思いには耐えられないはずだ。
きっと見落としがある。根本から事件防止をやり直そう。
前に先輩を疑ったけれど、先輩はずっと私と一緒にいた。それでも事件は起きたからやっぱり先輩は犯人じゃない。というか、先輩、変態の殺人鬼だと疑ってごめんなさい。
お風呂を上がると午前0時を過ぎていた。先輩はまだ事情聴取されてる時間だ。私は遅くまで眠れない夜を過ごした。
(目覚まし、雀の声)
凪紗
ありがたいことに今日もリプレイの朝だった。私は朝食のテーブルに着く。
(食器を並べる音)
ねえ、ママ。最近物騒だけど鍵かけ忘れたりしたことない。それで変な人に狙われそうになったとか。
母
ないわよ。むしろあんたたちの方がズボラだから心配。
凪紗
私、ちゃんとかけてるもん。こいつはあやしいけど。
陽日
オレだってかけてるぞ。新聞の勧誘だってドア開けないし。
凪紗
嘘。あんた知らない大人が来ても開けたくせに。
陽日
してねーよ、宅配便とかは別だけど。あ、このまえガスの点検のおっちゃんが来たときも開けたか。
凪紗
何やってんの! 絶対出ちゃダメ!
陽日
なにムキになってんだよ。大げさブス!
母
二人とも朝からケンカしないの。でも、凪紗の言うとおりよね。ガス点検の人は先に来る日にちと時間帯を教えてくれるから本人だってわかるけれど、宅配便とかピザの出前なんていわれたら頼んでいなくても確かめにドアを開けるかもしれないわ。やだ、言われなかったら私もやってるところだった。パパにも言って防犯のサイン決めた方がいいわね。
凪紗
私はうなずく。
子供は簡単に騙される。知っている人ならなおさら入れてしまうのかもしれない。
だから陽日は7回目のリプレイでドアを開けた? そういえば、陽日も殺害された子たちと同じ学童に通っている。事件の共通点は「こぐまクラブ」に通う子たち?
陽日
「おはおは占い」のオレの「ラッキーアイテムはルビーの指輪」ってなんだよ。持ってねーっての、普通に。
凪紗
ねえ、陽日。連続殺人事件で殺された子に「こぐま」に通ってた子っている?
陽日
いねーよ。でも、ブー太郎ってやつの友達は犠牲者だって先生たちがコソコソ言ってるのは聞いたけど。
凪紗
いつのリプレイも犯行現場、死亡推定時刻、被害者の「不動の法則」は変わらない。それなら事件が起こる前に彼らに会って、事件を防ぐ手がかりがつかめるかもしれない。
今日の放課後に「こぐまクラブ」へ行ってみよう。
(場面転換 放課後)
茜
なあ、凪紗。子供好きのカナはいいとして、なんでボクまで弟くんのいる学童に行かなきゃいけないんだ。ボク、子供は苦手なのに。
凪紗
それをいうなら隣のクラスの上田くんがここにいるのだって謎だよ。放課後にカラオケじゃなくて弟のいる学童に行くって言ったらカナちゃんが「(モジモジぶりっこ調)じゃあ、上田くんも誘っていいかなぁ。子供好きだしぃ。(強気で)皆、そうと決まったらとっとと行くよ! カモーン!」って唐突だったし。ていうか、私は茜ちゃんもカナちゃんも誘ってないんだけど。
奏江
そ、それをいうならなんでフワッとした感じの3年生の先輩がいるのよ。そっちのほうが意味フなんだけど。
碓氷
あの、聞こえてるよ、思いっきり。
凪紗
先輩は「こぐま」の“大きいお友達”だから必要なの。
碓氷
いや、それ使い方間違ってるからね。マニアとかオタクのことだから。
あと、強引に連れてこられたけれど、どうして君が、僕が祖父の介護当番じゃないから今日は遅くなっても平気とか知ってるんだ。初対面だよね?!
凪紗
こうして、なんだかわけのわからない一行で陽日が通う学童に向かうことになった。
(子供たちの遊ぶ声)
学童の先生(おばあちゃん)
あら、いらっしゃい。みなさん志信くんのお友達?
凪紗、奏江、茜
いーえ、初対面でーす。
学童の先生
あ、あら、そうなの。ゆっくりしてってね。
凪紗
学童にいる先生は事務方も入れて5人で、みんな優しそうなおばあちゃんやおばちゃんたちしかいない。事件とは直接関係なさそう。
子供と遊び始めた先輩たちと離れて、私は先生にそれとなく探りを入れてみる。
学童の先生
物騒な事件が続いて子供たちが心配ですかって。ええ、私たちも目を離さないようにしてますよ。警察署にも巡回地域に指定してもらって定期的におまわりさんにも来てもらってるんです。
凪紗
ここやその近所で誘拐されるってことはなさそう。帰り道が危ないかもしれない。
奏江
よーし、次はジョジョ立ちで「ダルマさんがころんだ」をしよう。(子供たちの歓声)
茜
カナは生き生きと無茶ぶりするなあ(笑)
凪紗
茜ちゃん。どうしたの、一人はずれて。一緒に遊ばないの?
茜
だからボクは子供が嫌いなんだってば(苦笑)。それに、いい雰囲気だし。
凪紗
あ、鬼のカナちゃんに先輩がつかまって、うそっ、カナちゃんの手握った!
二人とも子供好きだからなんかいい雰囲気……。
茜
ふふっ、気になる?
凪紗
え、ううん、別にそんなんじゃ……。
茜
あはは、凪紗はわかりやすいなあ。大丈夫だよ、カナの本命は……。
凪紗
あ! 切った! あれ、カナちゃん、近くにいる碓氷先輩じゃなくて上田くん捕まえにいってる。
茜
な、カナもわかりやすいだろ。
凪紗
うん。私も気づかなかった。でもカナちゃんて積極的。どさくさにまぎれたボディタッチが多いし。上田くんだって気づくよね。わかってなさそうだけど。
茜
上田はまだ失恋の痛手が尾を引いてるんだろ。
凪紗
え、そうなの。
茜
上田――俊介と私はつきあってたんだ。もう別れたけど。
凪紗
ええっ?!
茜
声が高いぞ、凪紗。
1年生で俊介とは同じクラスだったんだ。そのとき一番人気のない風紀委員を俊介が押し付けられて、気の毒になったボクが立候補して一緒に風紀委員をやったんだ。俊介はいいやつで楽しくやれてたんだけど、まさか告白られるとは思ってなかった。
悪い気はしなくてOKしたけど、皆には隠してた。1年のクラス、すごく雰囲気悪かったから。半年以上つきあったけど、友達でうまくいってもカレ・カノになるとちがうんだよな。ボクには物足りなかった。だから別れてほしいといったんだ。俊介は納得してなかったからそのあとかなり面倒があったけれど、いまは落ち着いてる。
ただ、クラスも部活も違うカナがどうして俊介を知って好きになったのかわからない。
カナが俊介にアプローチをしている姿を見ると気まずいというか複雑な気分になる。
凪紗
上田くん、まだ茜ちゃんのこと好きなのかな。
茜
たぶんな。ボクの顔を見ないようにしているところを見るとわかるよ。
もし俊介がカナとつきあったら、ボクもしょっちゅう顔を合わせることになるから、素直にカナの恋愛は応援しにくいんだよな。
よく思う。あのときどうしてOKしたのか、どうして風紀委員になったりしたのかって。あれがなければ気の合う仲のいい友達でいられたのに。失敗の回収ができるなら、もう一度あの日の自分に戻れたらって思うよ。
凪紗
ギクリとした。何度も失敗の回収ができている私にはリプレイは便利の連続だ。ただし、同じ日から抜け出せないとは思っていなかったけれど。
うつむく私に茜ちゃんはとんでもないことをつぶやく。
茜
ただね、戻ったところで結果は同じなのかもしれないと思う。
確かに困っていたのが俊介じゃなくてもボクは正義感から同情して風紀委員になっただだろう。けれど本当にそうだろうか。嫌いな奴なら関わっていない。相手が俊介だからまあいいか、と思ったんだ。それに、同じ委員にならなくても本当に回避したことになるんだろうか。俊介とは同じクラスだ。別のきっかけで一緒になったかもしれない。基本的な運命は変えられないんじゃないかと思うんだよな。
凪紗
そんなことないよ!
確かに不動の法則はあるけれど、それを根本から覆す鍵があれば運命は変えられて、やり直せるはずだよ!
茜
凪紗、過去は変えられない。それに、過去は二度とやり直せないんだ。
ま、そんなわけで、ボクは帰るよ。ここにいてこじらせたくないからな。皆には母から呼び出されたと言っておいて。気にするなよ、凪紗。ボクは子供が苦手だからこれでちょうど良かったんだ。
ああ、凪紗のは素直に応援するから。先輩とのことがんばれよ。
茜
茜ちゃんに肩を叩かれて先輩を見ると目が合った。他人行儀な固い笑顔を社交辞令で返す先輩。さみしくなった。いつもリセットされる距離。
私、どうがんばったらいいんだろう。
学童の先生
まあ、吉野くん、いらっしゃい! 今日は遅かったのね。
凪紗
先生の明るい挨拶で私たちは入ってきた男の子を見た。
茜
へえ、息を飲むようなすごい美少年だなあ。子供の顔に見とれたなんて初めてだ。
凪紗
茜ちゃんの隣で私は全身で心臓が脈打つのを感じていた。
まちがいない、この子だ。全裸で暴行を受けて絞殺されたあの吉野くんだ。
顔を見たことはない。それでも本能や直感が、これが殺害される例の子だと示している。
吉野くんと目があった。私の心臓はまた大きくひとつ音を立てた。
なんだろう、この気持ち。事件と関係なく、物凄く懐かしいような、やっと会えたような込み上げてくる感動……。
ピーーーーッ!!!(ホイッスルの音)
凪紗
腰かけていた耳元で大音量のホイッスルの音が響いた。
な、何?! なんなの?! 耳痛い。
学童の先生
こら、ノブくん、やめなさい! それは防犯用ホイッスルなんだから関係ない人に使っちゃダメ。
茜
うわ、今度はボクが一番苦手なのが来た。デブかつ「生命力だけが取り柄です」みたいな低能なガキ。凪紗、任せた。じゃーな。
凪紗
茜ちゃんの子供嫌いは筋金入りだなあ。言わんとしてることはわかるけど。
確かこの子は撲殺された肥満の子。陽日がブー太郎って呼んでた高木くんだ。生きている姿を見るのは初めてだけれど、「いたずらするのを元気がいいとはき違えているバカ」を絵にかいたようなクソガキ。首を切られても走る鶏みたいな生命力を発散してる。それだとホラーだ。あ、そういえばこの子は即死じゃなかったんだったけ。最後は死んでるけれど、やっぱりしぶとい生命力だったんだなあ。
あ、いま少し何かが解けそうな……。
ピーーーーッ!!!
凪紗
これだよ、もー。やめてよ。うるさい。
私が逃げると余計に面白がって追いかけてホイッスルを吹きまくる。
やだもう、サイアクだ。
碓氷
ハイ、ノブくん、もうやめようね。お姉さんを困らせるよりみんなと「ジョジョ立ちダルマさんがころんだ」をしよう。二人ともおいで。
ブー太郎
志信にーちゃん、こんにちは! うん、一緒に遊ぶ。
凪紗
先輩ありがとうございます。先輩に諭されると大人しくなるんですね。すごいなあ。珍獣使いみたい。
碓氷
慣れだよ。あと、子供って何をしてもかわいいよ。
凪紗
ほぐれた笑顔に私までほっとする。つられて「うん」とうなずいたところ、ドカッと蹴りが入った。ブー太郎だ。
碓氷
兄ちゃん、こんなやつの相手してないで早く行こうぜー。
凪紗
こんのクソガキ! 死ねばいいのに――って、洒落にならない。
私たちは先輩に連れられて遊びの仲間に加わった。見ると陽日が来ていた。
陽日
姉ちゃん?! 何しに来たんだ。オレのストーカーか。とにかく、皆に失礼がないようにな。
志信兄ちゃん、こんにちは。いつもアホな姉がお世話になっています。
凪紗
誰がアホな姉よ! あんたこそ迷惑かけてるんじゃないの。
陽日
かけてねーよ。オレ、姉ちゃんみたいにケツかきながらテレビの前でポテチ3袋一気食いとか行儀悪いことしねえし。
凪紗
してないでしょうが! 皆の前でなんてことを! こら、逃げるな! 待ちなさい!
凪紗
私が陽日を追いかけている間、あとでカナちゃんと上田くんに教えてもらったところによると、先輩が「(碓氷の声)彼女面白いねー。こぐまに子供が一人増えたみたいだ」と微笑ましそうな顔をしていたそうだ。
陽日やブー太郎と一緒にされた……。
(場面転換)
凪紗
18時、「こぐまクラブ」が閉館になる。全員で引き揚げることになった。
碓氷
僕らも帰ろう。先生、ありがとうございました。
凪紗
そうだ、カナちゃん、上田くん、先輩、手分けして子供たちを全員送り届けて。最近物騒だから。ほら、連続男子児童殺害事件があるし。変な人を見たらグループLINEに連絡入れて。
――そういって解散した。吉野くんとブー太郎と一緒に帰る先輩へ私はLINEをした。
「吉野くんを送ったらしばらく家を見張っていてください」
「怪しい人がいたら教えてください」
「あとでそっちに行きます」
先輩から「了解」のスタンプが来た。
陽日
なあ、姉ちゃんが朝出て行ったあとにうちの防犯サイン決まったぞ。知らない人が来たらどうするか。
凪紗
ああ、あれね。どうなったの。
陽日
ドアを開けろっていわれたらインターフォン越しに『写真撮って親に転送しろっていわれてますがいいですか』っていう。本当に用事があるなら嫌でも相手は写真を撮らせるだろうけど、そうじゃなければ逃げるって。
凪紗
なるほどね。パパやママが写真撮るなんていうと角が立ちそうだけど、私やあんたが言う分には用心深いと思われていいか。それより、ちゃんと言える? あせってセリフが飛んじゃうんじゃないの。
陽日
セリフをメモしてインターフォンに貼り付けといたから心配すんな。
凪紗
さすがに変なとこしっかりしてるね。
陽日
あとな、外で危険な目にあったら「助けて」じゃなくて「火事だー!」って叫べってテレビで言ってた。「助けて」だと自分も巻き込まれると思って怖いから出てこないけれど、火事なら巻き込まれるのが嫌で飛び出してくるのが人間の心理だって。
凪紗
ああ、それでさっき「こぐま」の皆が火事だ火事だって騒いでたんだ。あんたが流行らせたのね。
陽日
あいつらバカだから何もなくても言いそうでヤバイけど。特にブー太郎。
凪紗
あはは、確かにね。(着信音)あ、碓氷先輩からLINEだ。げっ、これヤバイ展開。
私、用事があるからちょっと出てくる。鍵ちゃんと閉めて、誰かきたらサイン出してよ。男の人はどんな人でも絶対に入れないで。
陽日
うん。あ、姉ちゃんこれから志信兄ちゃんと会うんだろ。アオハルかよ、ヒューヒュー。
凪紗
あんた毎回そればっか。変わり映えしないんだから。とにかく、気をつけてよ。
陽日
毎回?
凪紗
首をかしげながら家に入る陽日を見守り、ドアに鍵がかかった音を確かめると私は先輩がLINEに送った住所をマップ検索しながら急いだ。
(場面転換)
凪紗
廃屋に隣接する空き地に先輩はいた。
碓氷
吉野くんが帰ってから家の前で様子を見ていたらノブくんが遊びに来たんだ。遊び足りないらしくて彼を誘ってここへ来たから僕も後をつけた。いまはかくれんぼしている。
ブー太郎
もーいーかーいっ!
凪紗
間延びした無駄に元気なブー太郎のがなり声が聞こえる。見ると空き地の隅で背を向けて叫んでいた。
碓氷
吉野くんは空き地の隅で姿を見せてから消えたよ。たぶんあの中にいるんじゃないかな。
凪紗
先輩の指す「あの中」はいつも惨劇の現場となってきた廃屋だった。スマホを見ると19時だ。死亡推定時刻まであと30分。
碓氷
どうしたんだ。顔が怖いよ。
凪紗
先輩、あの中を探そう。武器になるもの持ってますか。
碓氷
物騒だなあ。僕らもかくれんぼに入れてもらおうってこと?
凪紗
そうじゃなくて、犯人につかまる前に吉野くんを保護しないと。
碓氷
犯人?
凪紗
どうしよう! 目を離した隙にブー太郎までいなくなった。
(以下、涙声)吉野くん! ブー太郎! またなの……。先輩、私また失敗したかも。
碓氷
失敗? さっきから何の話?
(パトカーのサイレン)
あれ、何かあったのかな。パトカーが何台も続いている。
凪紗
隣町で立てこもり事件が起こったんだよ。これもいままでと同じだ。きっとこの先も……。茜ちゃんの言ったとおり、やっぱり大筋の運命は変えられないんだ。
碓氷
落ち着いて。立てこもり事件ってなんのことだ。
凪紗
先輩、私、もうダメ……。
ピーーーーーッ!!!
凪紗
先輩の胸に飛び込もうとした途端にブー太郎が入ってきた。
ムードぶち壊し。でも、安心した。
碓氷
よかった。どこにいってたんだ。吉野くんは。
ブー太郎
ヨシコはもう帰ったって。
凪紗
ヨシコ…、ああ、名前長いもんね。え、待って? どういうこと。
ブー太郎
オレが探してたら「こんなところに暗くなるまでいて危ないから帰りなさい」って自転車に乗ってたおまわりさんに言われて、ヨシコ探してるっていったら「青い服の男の子か。だったらさっき帰るのを見たよ」って言われた。だからオレも帰る。あ、あいつに鬼役帽子借りたままだった。
凪紗
しまった! 吉野くんはこの時間帯に誘拐されたんだ!
(場面転換 警察署)
凪紗
私が「吉野くんが誘拐された」とパニックになったせいで先輩になだめられて警察署に行くことになった。「(ブー太郎の声)オレも帽子返すから探す!」とダダをこねるブー太郎を先輩が「(碓氷の声)僕らで返すから」となだめて帽子を預かり、私たちはブー太郎を家まで送ったあと警察署を訪れた。
でも、いつもリプレイで見てきたより人数が少ない。
警察官A
君たち知らないの。隣町で人質を取った立てこもりがあったんだ。ほとんどその現場にいるよ。
凪紗
じゃあ、ヤマさんをお願いします。いなかったら谷岡さんを。
警察官A
ヤマさん? ああ、刑事の山口さんね。二人とも現場だよ。
それに、ご両親から捜索願が出ないうちは動けないからねえ。誘拐された証拠はあるの。君たちはその子とどういう関係。
凪紗
それは、あの、証拠は、ないんですが……。
碓氷
彼女の弟さんが吉野くんとは学童保育で一緒なんです。
学童が閉館したので吉野くんの家の連絡先もわからず、彼とは連絡が取れないんです。
心配なので警察署で彼の安否を確認していただけるとありがたいのですが。
凪紗
先輩……。
警察官A
そうはいっても、いま署内を離れられないからなあ。
立てこもり事件が解決したら誰かその子の家に向かわせるよ。
凪紗
それだと遅いんです! 吉野くんもブー太郎もご両親が帰宅するのが21時頃で、そのときになって初めて捜索願が出されるんです。でも、こんなに署内の警察官が少なかったなんて。それで初動が遅かったんですね。
警察官A
君、なんの話をしているの。
凪紗
八方塞りだ。いまごろ吉野くんはどんな目にあわされているんだろう。
もう一度廃屋前に張り込んでみようか。何度も廃屋の近くを張りこんだけれど犯人らしい人物は見かけなかった。でも22時30分には必ず二体の死体が残されている。
そもそも3度目のリプレイでは巡査に確認してもらって19時と22時には誰もいなかったと言われた。22時から22時30分の間にどうやって二体の子供の遺体を運びこめたのか。この謎はまだ解けていない。私は廃屋の入り口が見えるところから22時から22時30分まで張り込みをしていたのに、犯人が遺体を運んでくるどころか、素通りこそすれ誰も廃屋の中に入っていく人はいなかった。22時前に入口を見に行ったときにも遺体はなかった。
碓氷
春日部さん、あとは警察にお願いして、僕らはもう一度吉野くんの家に行ってみよう。帰っているかもしれないよ。
凪紗
そうだ、私、なんで気づかなかったんだろう。
彼の家が犯行現場かもしれない。誘拐じゃなくて帰宅した後に殺されたのかも。
陽日のときみたいにうるさくなるから夜の時間帯だと近所で物音を聞いた人がいるかもしれない。
碓氷
どうした、ずっと黙りこんで?
凪紗
おまわりさん、お願いします。いますぐ私たちと一緒に吉野くんの家に行きましょう。
人の命がかかってるんです。
警察官A
何度も言うけれど捜査願いが出てないし、ここを動くなと言われてるんだよ。
凪紗
あー、もういいです! 私が行く! 私や吉野くんが死んだら全部警察組織の怠慢のせいだってツイッターで拡散してやる!
警察官A
わかった。誰か行かせるから。
碓氷
それからお手数ですが廃屋にもお願いします。あとで僕らもいくとお伝えください。
あ、春日部さん!(照れた)
凪紗
待っていられないよ、先輩。吉野くんの家まで案内してください。
碓氷
あの、僕の手、握ってる……(照れて声が小さくなる)
凪紗
先輩が何か言っていたけれど、それどころじゃない私は夢中で警察署を飛び出していた。
(場面転換)
碓氷
あのやり方はまずかったね。
凪紗
わかってますよ。吉野くんにち行ったけれど気配がしなくて、私が無理矢理家に入って家宅侵入になるところだったなんて。先輩が説明してくれなかったら近所の人に通報されてました。
碓氷
そう。君が現行犯逮捕されるところだったじゃないか。あとから来たおまわりさんには雷を落とされるし。
凪紗
いいんです、吉野くんの不在も確認できたから。怒られるのなんて“今日”だけだもん。
碓氷
春日部さんてさ、たくましいよね。
凪紗
ホントですよ。前は先輩にも恥ずかしくて声がかけられなかったのに。
碓氷
そう? 今日はかなり積極的だったと思うけど。
凪紗
必死なんです。人の命がかかっているから。
碓氷
だからって次はこうして廃屋の中で張り込むなんて。30分前の20時30分ごろ見に行ってくれた別のおまわりさんには誰もいなかったって署に報告が入ったんだってね。
凪紗
もう他に方法が思いつかなくて。
21時のいまから中で待機してたらブー太郎死体遺棄の謎が解けるかもしれないし。中へ入ったのは初めてです。壁がボロボロで暗くて埃っぽい。傷みがひどくてすぐ壊れそう。
とりあえず、ここの床の上に座りましょう。ここなら陰になってて入口から見られても気づかれないから。
碓氷
確かにところどころにある隙間から外の明かりが入るけれど、暗すぎて危ないよ。
凪紗
先輩は帰っても大丈夫です。私がどうにかするから。
碓氷
こら。
凪紗
あた。なんでアタマ小突くんです。
碓氷
頭に血がのぼってるようだけど、冷静になりなさい。充分危険なんだから。
それに、いつになったら話してくれるんだ。どうして誘拐や立てこもり犯のことがあらかじめわかったんだ。
凪紗
あ! ですよねー。露骨にばれますよねー。私、今回はしゃべりすぎました。
――明日になればリセットされるなら言ってもいいかと開き直った。私は今までの経緯を打ち明けた。
リプレイ体験に、にわかに信じられない顔になる先輩だったけれど、今日一日の出来事を先読みをする私に納得して信じてくれた。
碓氷
じゃあ、君は何度も7月5日を繰り返してそのたびに事件に遭遇しているのか。
凪紗
毎回ではなかったんですけれど、私が関わらないときも事件は起きていたと思います。私がどんなに行動を変えても、犯行現場、犯行の時間帯、被害者たちは毎回変わらないから。これは不動の法則なんです。
でも私、怖くて廃屋に入ったことは一度もないんです。いまだって武器代わりにしているここで見つけた角材があっても頼りなくて。
碓氷
中に犯人がいたら殺されていたかもしれないよ。
凪紗
犯人はいませんでした。何度かリプレイしているうちに慣れてきて死体を見たら速攻で警察に電話できるようになったんです。警察が来るまで私はずっと入口のところにいました。その間誰も出てこなかったんです。誰かいたなら警察が中に入ったときに逮捕してたはず。
碓氷
22時から22時半の30分間で誰にも見られずに死体遺棄か。
凪紗
はい。19時と22時には巡査が中を見て誰もいなかったっていってましたから。
碓氷
僕にとってはこれが初めての“今日”だから意見としては適当じゃないかもしれない。ただ、思ったのは、何度も繰り返すうちに固定観念に捉われてしまったんじゃないかな。たとえば、死亡推定時刻。本当に19時30分から22時30分だったんだろうか。
凪紗
まちがいないです。なんども警察署で鑑識の結果を聞きました。
碓氷
僕は何かトリックがあるんじゃないかと思ったんだ。
凪紗
死亡推定時刻が偽装だったってことですか。そんなことできるのは鑑識。まさか、鑑識が犯人? そうか、被害者のデータを改竄しているんだ。刑事もののドラマによくあるパターンだ。
碓氷
いや、ありえない。事件のたびに毎回改竄していたら発覚するリスクが増える。他の鑑識の目にデータが触れる機会も多くなってバレやすい。それにアリバイ作りならともかく、今回みたいに死体が急に出てくるトリックとは結びつかない。
凪紗
ちぇーっ、鑑識が犯人って結構いい線だと思ったのに。でも、新しい視点。私一人だったら考えてもみなかった。
碓氷
僕は迷ったら先入観を取り払って考えるようにしているんだ。「あり得ないことを除外し、残ったものがどんなに疑わしくてもそれが真実だ」という名言はきいたことがあるかな。
凪紗
ない。誰のキザな名言よ。コナンとかは言ってそうだけど。
碓氷
言った人は違うけれど(苦笑)
トリックの話は少し置いて、犯人像を整理しよう。
鑑識じゃないなら犯人は一般人にまぎれている。行動範囲は僕と君の住む町。子供たちの家庭環境や親の帰宅時間に詳しい。かなり地域に溶け込んでいる。自宅で子供を殺害する大胆さがあって、子供をコントロールできる腕力にも長けている。そう考えると犯人は20代から30代。子供が犯人を自宅にあげていることから、犯人は社会性があって社交的で子供に不審感を与えない職業の人物、あるいは顔見知り。
ここで注目したいのは「こぐま」だ。吉野くん、ノブくん、陽日くんの3人が連続男子児童殺害事件6件、いや実際に起こったのは5件か、そのうち半分を占めるんだからこれは偶然ではないよ。犯人は「こぐまクラブ」や子供の出入りする場所によく顔を出す。
ただ、引っかかるのは、僕もたまに「こぐま」に行くから子供たちが知っている人は僕も知っている。その中で犯人像に当てはまる男性がいないんだ。指導員の先生たちはしってのとおり中高年の女性ばかりだし。
凪紗
出入りする男性ってどんな人?
碓氷
「こぐま」を運営している企業関係者、電気修理業者、宅配業者、あとは子供を迎えに来るお父さん。みんな社交的ではあるけれど、親しくなるほどではないんだよね。そうなると、犯人は遠くから「こぐま」を観察していたことになる。
凪紗
宅配便の業者さん! 今回のリプレイで、朝うちの弟が宅配業者なら家に入れるって言ってた!
碓氷
確かに、担当になれば同じ建物に何度も荷物を届けるようになるから顔を合わせる機会が増えるよね。
凪紗
そうか、そうだったんだ。力も強いし、荷物を抱えてうろうろしてても怪しまれない。わかった! 子供を荷物の段ボールに入れて運べば気づかれずに誘拐できる!
碓氷
でもね、それだと説明がつかないことがある。誘拐して殺してどうしてここへ捨てにきたのか。死体が遺棄されたのは22時から22時30分なんだろ。さすがに22時をすぎて宅配業者が大きな荷物を抱えていたら目立つよ。連続殺人事件の被害者の何人かは自宅で殺害されている。わざわざ遺棄しにきて自ら目立つ危険を冒す必要はない。慎重な犯人像に合わないんだ。なにより、君はリプレイで宅配業者を見ていないよね。
凪紗
見てません。日常に溶け込んでて気づかなかっただけかもしれない。自分の注意力に自信がないよ。
碓氷
あとからゆっくり思い出せばいいよ。それとはべつに僕は気になっていることがある。いままでのパターンだと犯人にとって暴行と殺害の犯行現場は同一だ。なぜ今回だけ場所を変えたのか。いや、じつは変わっていないんじゃないかな。どこかに隠してあるだけで。
凪紗
まさか、ここに死体が……。先輩、吉野くんとブー太郎を探そう!
私と先輩は廃屋内を探しまわった。でも全然見つからなかった。
碓氷
なかったね。でもよかった。
凪紗
あー、気が抜けたら疲れちゃったよ。暑いから汗かいてきたし。もー、先輩のヘッポコ探偵。
先輩
ごめん。いい線いってると思ったんだけどなあ。
凪紗
いま何時だろう。あ、22時すぎだ。隠れよう。
――私たちは元いた場所に身をひそめた。けれど何も起こらずに22時30分がすぎてしまった。本来は無残な姿となった二人を見つけている時間。不動の法則が初めて崩れた。
碓氷
死体を遺棄に来なかったのは犯人が僕らに気づいたからかな。22時前から大騒ぎして捜しまわったし。
ん、あれ? 寝てる?
凪紗
ねむい……。ずっとテンション高かったし、動きまわったし疲れたかも。
先輩、犯人が来たら起こしてね。(寝入る)
碓氷
のんきだなあ。サンタクロースが来たら起こしてねっていう子みたいだ。
凪紗
先輩の暖かい掌をアタマに感じる。私は先輩の肩を借りたまま眠りこけてしまい、そのまま深い眠りに落ちてしまった。
(目覚まし)
凪紗
目覚めると自宅のベッドの中だった。いつものリプレイが始まる。
登校すると先輩が前を歩いていた。
――おはようございます。
碓氷
え、おはよう?(暗い)
凪紗
先輩はいつもの朝と同じでよそよそしい。先輩と犯人像について話したいのに。私は宅配業者説が譲れないんだけどなあ。
奏江
おはよう、ナギ。
凪紗
カナちゃん! あのさあ、昨日推理ゲームアプリにあったクイズなんだけど……。
――私は先輩と組みたてた推理を話した。
奏江
そうだなあ。宅配業者さんが有力かなあ。宅配業者の格好をした人もありだけど。でも、それなら他にもいそうな気がする。一つの可能性にしかすぎなくて、決定打に欠けるよ。情報がなさすぎだもん。それで犯人探ししろって雑じゃん。そのクソアプリ、ヤバくない? 課金してないよね。
何その「私、人格全否定されましたー」って嘆く顔は。
凪紗
課金なんてしないで繰り返し遊んでるよ、トホホ。
茜
凪紗ー、カナー、おはよー。
凪紗
茜ちゃん……。
そうだ、前回のリプレイでは不動の法則が変わった。
吉野くんがどうなったかわからない。でも、少なくとも廃屋は犯行現場じゃなくなった。運命は変えられる。
茜
どうした、凪紗は。考え込んで。
奏江
アプリがクソゲーだって気づいて悲しんでるとこ。
ほら、落ち込んでもしょうがないから、教室行こう。
凪紗
返事はしたものの、それから私はずっと上の空だった。
前回のリプレイでは二人の死体遺棄がなかった。いままでと違う行動をとったから不動の法則が変わったんだ。あのあとブー太郎は誘拐されなかったんだろうか。確かめていなかった。
いままでとちがうところってどこだろう。
廃屋に入った、先輩が一緒だった、吉野くんがいなくなってから警察署に行った……。
ダメだ、多すぎる。いままでと違う行動をとりすぎた。
そこまで考えて気になった。
ブー太郎はどうして殺されたんだろう。
先輩風に考えれば、犯人の標的は吉野くんのような美少年や陽日みたいなカワイイ顔をした少年だ。肥満・バカ・ブサなブー太郎は犯人にとって論外だ。猥褻行為も行われていなかったし。そもそも家にちゃんと帰ったはずのブー太郎はどこで巻き込まれたんだろう。
(放課後)
凪紗
お昼休みに先輩のいる校舎の裏側のベンチへ行こうとしたらカナちゃんと茜ちゃんにつかまった。
奏江
凪紗、悩みがあるんじゃないか。ボーっとしてると思ったら数学の原田に何訊かれてもスラスラ答えるし。しかも、なんかテンプレのセリフしゃべってるみたいだし。英語の抜き打ちテストだって100点なんて変だよ。
茜
おまけにお弁当も食べないでどこか行こうとするなんて。食べるのに命かけてるオンナが。困ってることがあるなら言ってくれよ。
凪紗
私、いつもどんなんだと思われてるの。
奏江・茜
悩みがあったり勉強が完璧なんて、今日は変!
凪紗
この二人につかまって適当に言い訳をするのに手間取って先輩に会えなかった。
放課後、カラオケに行こうと誘う二人を振り切って私は先輩を捕まえた。宅配業者が怪しいという私の説をもっと確かめたかった。だから最初から先輩にすべてを打ち明けることにしていた。
私は先輩を無理矢理河原に誘って私のリプレイと殺人事件について話した。
碓氷
じゃあ、君は何度も7月5日を繰り返してそのたびに事件に遭遇しているのか。
そしてこれからその殺人事件が起きるというんだね。いきなり信じろと言われても……。
凪紗
私、先輩のおじいちゃんが入れそうな施設を探したんです。そしたらいくつかありました。介護付き老人ホームじゃなくて他の県の病院だけど。
碓氷
なんで君がうちの祖父のことを知ってるんだ。
凪紗
こうして、どうにか先輩に納得してもらった。スマホの時計を見ると18時を過ぎていた。結構時間がかかってしまった。とにかく、私たちは吉野くんたちのいる廃屋へ行ってみることにした。
(場面転換)
凪紗
着いたら19時だった。吉野くんもブー太郎もいない。
碓氷
(駆け足)春日部さん、聞いてきたよ。
凪紗
聞きこみありがとうございます。どうでした。
碓氷
ちょうどおまわりさんたちがいたから君が言っていた宅配業者のような人を見なかったか訊いてみたんだ。
そしたら例の立てこもり事件のせいで交通規制を敷いているから業者のトラックどころか車はパトカー以外通れないようになっているし、そんな人見ていないって。
凪紗
そんな。ねえ、先輩は宅配業者じゃないとしたら誰だと思いますか。
碓氷
僕はまだ何とも。「こぐま」に出入りしているなら先生が一番犯行が可能かと思ったんだけど、無理だよね。だから、先生に20代から30代の息子がいて、息子のために協力しているとしたらあり得るかも。
凪紗
まさか。でも、もしそうなら息子が、カナちゃんがいうように宅配業者の格好で死体の持ち運びをしていたら不自然に見えないかも。
できるなら誘拐される前に保護したい。あの子たちどこにいったんだろう。
ピーーーーーッ!!!
凪紗
わっ! 脅かさないでよ。でもちょうどよかった。
ブー太郎
志信兄ちゃんここで何やってんだ。アイビキか。
凪紗
クソガキ……じゃなかった、ブー太郎、吉野くんを探してるんだよね。私たちも一緒に探すよ。あと探してないのはどこ?
ブー太郎
あれ。
凪紗
ブー太郎は廃屋を指差した。私は生唾を飲み込む。
(パトカーのサイレン)
二人とも待ってて。私の悲鳴が聞こえたり、行って戻らなかったら警察を呼んで。
この時間は巡回したおまわりさんが誰もいないって言ってたから大丈夫だと思う。
碓氷
いや、危険だ。僕が行く。君たちは外にいて。
ブー太郎
オレ、鬼だから兄ちゃんと一緒に行く。
凪紗
二人は巻き込めないよ。ここで待ってて。
警察官
君たち、何してるんだ。
凪紗
自転車に乗った警察官のお兄さんに呼び止められた。
そりゃそうか。怪しげな廃屋に入ろうとしているんだから見とがめられても仕方ない。
警察官
早く帰りなさい。隣町で物騒な事件が発生してこの町も巻き込まれるかもしれないから。
ブー太郎
でもオレたちヨシコを探さないと。
警察官
青い服を着た男の子のことか。その子ならここに来る前にすれ違って帰って行ったよ。
凪紗
え? どっちへ行ったんですか?
警察官
その角を曲ったところ。この廃屋の裏手の。
凪紗
隠れながら廃屋の中を抜けて、廃屋の裏から反対側の道路へ出て帰ったんだ。確かに、中はボロボロだった。きっと抜け穴ができていたんだ。前回来たときは気付かなかったけど。
碓氷
おまわりさん、ありがとうございます。今から行けば追いつけるかも。
警察官
いや、物騒だから君たち早く帰りなさい。
凪紗
私たちは駈け出していた。言われた廃屋の裏手の道の角を曲った。住宅街だ。吉野くんはいなかった。
ブー太郎
オレも帰ろう。あ、ヨシコに鬼役帽子返すの忘れてた。
凪紗
のんきに言ってブー太郎は元来た道を突進していった。元気バカだ。
碓氷
あのスピードならここから家まですぐだから大丈夫かな。
凪紗
ブー太郎も心配だけれど、吉野くんも心配。先輩、手分けして探そう。特に宅配業者に注意して。
――私たちはLINEを使いながらお互いに報告しあって近所を探した。
それでも全然みつからなかった。前回のリプレイから自宅にいないのは確定だ。必ず外にいる。
碓氷
(駆け足)こっちにはいなかった。宅配業者も見なかったよ。
凪紗
えっといまの時間は……19時30分。時間切れです。あとは前回のリプレイと同じ展開になる。どんなに探しても見つからないんです。
こうなったら次回のリプレイで曲がり角で待ち伏せして吉野くんを保護するしかない……ううん、そうじゃない。
碓氷
え、どうした。
凪紗
これだとまた失敗する。前進している手ごたえがない。毎回同じことをしているだけで解決に至るような決定的な行動をしていないような気がする。
――(碓氷の声)迷ったら先入観を取り払って考えるようにしているんだ。
――(碓氷の声)何度も繰り返すうちに固定観念に捉われてしまったんじゃないかな。
当たり前のように思っていることがそうじゃない。あり得ないことを除外し、残ったものがどんなに疑わしくてもそれが真実。
私の見落としはなんだったんだろう。どこかに違和感があるはずだ。探せ、探すんだ。
碓氷
僕ら二人だけじゃ埒が明かない。警察署にいって事情を説明して協力してもらおう。どうかした、春日部さん。
凪紗
え、まさか、そういうことだったの?!
碓氷
何が?
凪紗
先輩、ありがとう! 先輩のおかげで犯人と吉野くんがどこにいるかわかったよ。
(場面転換)
凪紗
推理の検証に時間がかかってしまった。先輩の家から懐中電灯を借りて私は廃屋の裏側の抜け穴から屋内に入る。部屋の隅で、懐中電灯の光の中にうごめくものを発見した。
近寄って見ると猿轡を噛まされて手足を縛られた吉野くんだった。
――吉野くん、待ってて。いまほどくから。うわ、きつい。さすがあの犯人だけあってバカ力。
え、なに、モゴモゴ言って。まさか後ろに……!
――振り向くと、私の背後に犯人が迫っていて、棍棒のようなもので私を殴ろうとしたのに驚いて動けない様子だった。
私は吉野くんを背後にかばって犯人を睨みつけて言った。
――私のヘルメットはいいアイデアでしょう。先輩に借りたの。犯人が標的でない者の頭部を鈍器で攻撃してくるのはお見通し。かつて私にもブー太郎にもしたように。
犯人
やめないか。顔に懐中電灯を照らすのは。
その子をどうする気だ。おかしなことをする前に渡してもらおうか
凪紗
ほらやっぱりあなただった。
あなたがこの子におかしなことをする前に私が逃がすのよ、自転車のおまわりさん。
(BGM)
凪紗
彼は憮然とした表情になった。この期に及んでまだ動揺を見せていなかった。
警察官
私がおかしなことをするわけないだろう。
凪紗
とぼけないでよ、男子児童連続殺人犯! 先輩のいった犯人像にぴったりだよ!
子供を制圧できる頑健な体つき、社会性を求められ、どこに出入りしても不審感を与えない職業。威圧感より社交的な明るさを感じさせる風貌。その顔は20代半ばでしょ。
警察官
(猫なで声)可哀想に。混乱しているんだね。
凪紗
私は正気。その証拠に私はあなたが犯人だって証明できる。
ブー太郎が「ヨシコを探してる」って言ったらおまわりさんはこう答えたよね。「青い服を着た男の子か。その子ならここに来る途中ですれ違って帰って行ったよ」って。どうしてここに着いたばかりのおまわりさんが私たちが探している子がどんな子か知ってたの。ずっと二人のことを見ていたんでしょう。
警察官
言いがかりじゃないか。いいかげんにしなさい。
凪紗
ヨシコは女の子の名前だよ。
警察官
あっ……。
凪紗
不自然な感じがした。仮に青い服の男の子とすれ違っていたとしても、“ヨシコ”と聞いたら私たちが探しているのは女の子だって思う。あらかじめ“ヨシコ”が男の子だと知ってたんだよね。ブー太郎ってバカだから大声で個人情報ダダ漏れにして相手の名前を連呼するの。それで吉野くんが“ヨシコ”だと最初から知ってたんでしょう。
それに「帰った」も変だよ。なんで吉野くんの家の方角を知ってるの。つまり、おまわりさんが「青い服の男の子」程度の情報しか知らないはずの子供がじつは“ヨシコ”という名前で呼ばれててどこに住んでいるか知ってるってことを無意識にバラした証拠だよね。
警察官
何を知ったような口を。
凪紗
それであのとき、いままでは廃屋に入ろうとしたブー太郎を、今回は私たちを、止めに入った。廃屋に監禁した吉野くんを見つけられると困るから。
警察官
いままで? 今回?
凪紗
おまわりさんの嘘に気づいてからわかったの。前にあった廃屋の巡査からの報告は全部おまわりさん一人がしてきた虚偽の報告だったんじゃないかって。
2回目のリプレイで「巡査が19時と22時に確認したけど誰もいなかった」といわれて19時から22時までは吉野くんはいなかったと思いこんできた。もしも19時と22時に廃屋を確認したのがおまわりさん、あなたなら? 立てこもり事件で他の事件の人手が足らないときに「自分が行きます」と志願して、虚偽の報告をしたのなら? そう考えると辻褄が合ったの。
吉野くんは誘拐された19時から発見される22時30分まで最初からここにいた。先輩の言う通り、犯人は犯行現場を変えていなかった。そして無残に殺された。
警察官
さっきから君は何の話をしているんだ。
凪紗
先輩の言っていたことはどれも当たっていた。ただ、深掘りできていないだけだった。
おまわりさんなら怪しまれずに家に上がるのだって簡単だよ。こういえばいい。「近所に強盗が入った。このへんの住宅に逃げこんたから家の中を確認させてほしい」って。みんな怖いから喜んで家に入れてくれたでしょう。そのあとは家に誰もいないのを確認して子供に猥褻行為を行う。
標的にした子供の家はあらかじめパトロールで様子を観察してたんだよね。なんなら心配する親がうちは何時から何時まで子供が一人になるから巡回にきてほしいなんて余計な情報まで教えてくれる。
7回目のリプレイでは学校にいるはずの私が家にいたのは誤算だったみたいね。めったに家に一人でいない陽日がいたからあのときは標的を変えたんでしょうけど。
警察官
君、混乱してないか。
凪紗
話を戻すと、おまわりさんは本当は「こぐま」から帰ってきた吉野くんを自宅で襲おうと思って家の近くでずっと狙ってたんじゃないの。この場所に偶然通りかかって吉野くんにいたずらをしようと思ったとは考えにくい。あなたの犯罪に衝動はなくて、いつでも計算ずくだから。でも予想外にもブー太郎が遊びに来た。次の機会にしようと思ったけれど、吉野くんはあきらめがたい。だってこんな美少年だもん。両親がそろって家を空ける機会も少ない。前の犯行から間が空いて飢えていた。それであきらめられなくて後をつけた。先輩が不審な人を見かけなかったわけだよ。誰も警察官は不審な人には数えない。だから誰にも怪しまれなかった。
一人で廃屋の裏の抜け穴に入る吉野くんを見たあなたはチャンスだと思って自分も抜け穴から入って用意しておいた紐と猿轡で吉野くんを拘束。でも、これからってときに19時に発生した立てこもり事件の召集がかけられる。現場へ急行しないと同僚や上司にどこにいたのかと怪しまれる。それで吉野くんをこのままにして廃屋を離れるしかなかった。
そして、立てこもり事件が終わったあと、戻ってきて吉野君に暴行し殺害。何食わぬ顔をして廃屋の抜け穴から脱出。
これが事件のあらましなんじゃないの。
警察官
はっ(吐き出すような笑い)
凪紗
表情が崩れた。凶悪な笑いが顔に広がる。
警察官
想像力が豊かだといいたいが、そこまで当てられたら隠し通す方が難しい。
凪紗
念のためヘルメットは装備したけど、まさかこんなに早く戻ってくるとは思わなかった。
まだ20時30分。立てこもり犯逮捕になる21時になっていないよね。どうやって戻ってきたの。
警察官
全員で突入する必要はない。機動隊が来ればあとはやつらの仕事だ。俺たち警官は野次馬を抑えて混乱させないようにするだけ。俺は署に報告に行くと称して早めに撤収した。
凪紗
誤算だった。立てこもりが終了して戻ってくるまでまだ時間があると思ったのに。
先輩には直接、警察署に行ってもらった。電話で警察を呼ぶと必ず犯人が巡回に来る。これも不動の法則の一つじゃないかと気づいた。
前回のリプレイでは吉野くんがいなかった。私たちが警察署へ乗り込んで廃屋で事件が起こるから誰か行ってほしいと大騒ぎしたのが立てこもり犯の現場にいたこの警官にも伝わったのだろう。「僕たちも後で廃屋へ行く」と先輩が言ったせいで、自分で志願してパトカーを乗りつけて廃屋に戻り、吉野くんを別の場所へ移動させたに違いない。立てこもり犯が事件を起こした19~21時にパトカーの往来や駐車は珍しくないから誰も不審には思わない。
かなり時間稼ぎをした。私より先輩の方が説得がうまい。先輩の説得がつうじて早く刑事さんたちに突入してほしい。
警察官
まったく。今日はついてない。「おはおは占い」はサイアクだったし。残念だが君たちにはもう死んでもらう。
凪紗
それ拳銃! 拳銃は登録制だよね。テレビドラマで見たから知ってる。使えば銃痕から拳銃の持ち主がわかるからあなたは逮捕される。
警察官
登録していない銃なら? 警察の保管庫には押収したまま放置されている武器なんていくらでもある。一丁なくなっても書類で管理してある資料など改竄か廃棄すれば誰も気づかない。俺は自分の銃を使うようなバカじゃない。そこにある角材をクッションにして発砲すれば音もそこそこ消せる。
凪紗
もう警察が来る。あなたは終わりだ。吉野くんも私も殺されない。
警察官
いや、殺すのはおまえ一人だ。そのあとこの子は連れ出してたっぷり愉しませてもらう。次は元気でカワイイ陽日くん、か。
凪紗
うちの弟! 陽日に手出しはさせない!
――私は逆上して銃も恐れず突進した。
(銃声)
もみ合っているうちに銃が発砲した。弾痕が私の左頬をかすめる。
(ドアのあく音)
その音をききつけたのか、廃屋の正面の扉が開いた。開けたのは鬼帽子をにぎったブー太郎だった。
そうか、ブー太郎が殺されたのは吉野くんに帽子を返そうと彼を探しに廃屋へ戻ってきたからだ。見てはいけない物を見て撲殺されたんだ。
私は警官の両脚にしがみついた。不意をつかれた警官が倒れる。
――ブー太郎、逃げなさい!
ピーーーーー!!!
凪紗
尋常ではない状況をみてブー太郎は持っていたホイッスルを肺活量のあらんかぎりの力を使って吹き鳴らした。
ブー太郎
火事だー!!
凪紗
閑静な住宅街が目を覚ましたように騒々しくなる。ブー太郎の大声はよく響き渡った。
ブー太郎
火事だー!
住人1
火事はどこだ!
住人2
どうしたの、どこが火事なの。
凪紗
ブー太郎が指差す先に人々が見たのは、凶悪な形相の警官がヘルメットをかぶって怯える女子高生の私に銃を突きつけ、そばには手足を縛られ猿轡を噛まされた少年が転がっている異様な光景だった。
(場面転換)
凪紗
住民の協力で警官は取り押さえられた。直後、先輩を乗せたパトカーが到着した。
それからが波乱の幕開けだった。顔を怪我した私を見て先輩がキレて、警官に殴りかかろうとしたり、私は病院へ連れて行かれたり事情聴取されたり、パパとママはわめくは陽日は興奮するは、終わったと思ったらまた事情聴取されるはマスコミがやってくるはで休む暇がなかった。
男子児童連続殺人は5件では収まらなかった。中には殺して山中に埋めた子もいたりと30件近い犯罪が露見した。銃の持ち出しも含めて警視庁始め警察庁でも問題視されて、警察組織が揺るがされる大スキャンダルに発展した。
ブー太郎はお手柄だった。いままでなら殴り殺されていたところ、私が止めたせいで生き延びて犯人逮捕に一役買ったのだから。彼は一躍時の人になり、連日事件はマスコミを騒がせた。
そう。翌朝になってもリプレイは始まらなかった。
(ノックの音)
碓氷
傷の具合はどう?
凪紗
先輩! お久し振りです。かすり傷だったからもう治りましたよ。わあ、綺麗な花束。
碓氷
元気そうで良かった。ホテルの暮らしはどう。
凪紗
慣れました。
碓氷
あれから三週間か。早いね。
凪紗
家の周りは報道陣がきたり、登校すれば騒がれたりするのがわかっているから、私と吉野くん、ブー太郎の一家は警察の手配で東北のビジネスホテルへ一時的に身を隠していた。
心配してくれた茜ちゃんやカナちゃんにも場所は言えなかったけれど、唯一事件にかかわった先輩にだけは伝えていいと許可をもらっていた。
碓氷
まだ君の家の周りには報道陣が何人かいるよ。
凪紗
凶悪な事件でしたもんね。毎日こっちでもニュース番組でやっています。私たち生きているから顔写真は掲載されなかったんで、意外とばれてないんですよ。
碓氷
あれからリプレイが起こらなくなったってLINEで読んだけど。
凪紗
はい、その後も毎日ちゃんと明日が来ています。
事件を解決したら呪いが解けた感覚があるんですよね。
碓氷
僕の想像だけれど、リプレイが起こったのは吉野くんと春日部さんが共鳴したからじゃないかな。
春日部さんはいろいろ失敗した7月5日をもう一度今日をやり直したいと願ったんだよね。それと吉野くんの助けてほしいという叫びが重なって超常現象が起きのかもしれない。やり直して自分を助けてほしいと。それで君は毎回吉野くんの遺体のある廃屋に呼ばれるようにして通りかかった。
凪紗
でも偶然です。私、呼ばれたわけではなくてあの日は先輩の家に行こうとして廃屋の前を通りかかったんだし。
碓氷
それも作用したんじゃないかな。君が僕の家に行くならなおさら廃屋の前を通るとわかったから。
凪紗
そういえば、「助けて」の声を聞いたのは21時30分頃になると思います。あれが吉野くんの殺された正確な時間だったのかな……。死亡推定時刻にも当てはまるし。
碓氷
考えられるね。前から感じていたけれど、吉野くんは不思議な子だ。さっきもホテルのロビーで会ったけれど、綺麗なだけじゃない。神聖で不思議な力を秘めている雰囲気がある。それから、顔かたちじゃなくてどこか君と似ている気がするんだよ。言われなければ、僕はてっきり君を吉野くんのお姉さんだと思っていた。
凪紗
一緒に滞在してからうちの両親もそういうんです。陽日は前から感じていたみたいだけれど。吉野くんのご両親にも「凪紗ちゃんてうちの子に似てるわね」と言われました。聞いてもみんな具体的にどことはいえないらしくて。
私も不思議な感覚はあります。吉野くんが考えを口に出さなくても彼の声を感じたり、反対に私がほしいものを何も言わないのに彼が持ってきてくれたり。
見ていると何十年も前からお互いを知っていたような懐かしい感じになることもあるんですよね。
碓氷
君たちには不思議なつながりがあるんだろうね。ところで、不思議といえばノブくんの遺体出現の謎が解けたって?
凪紗
はい。私の想像ですけどはずれていないと思うんです。
犯人がわざわざ死体を入口に置くとも思えないから、ブー太郎が自分で移動したと考えるしかないと思うんです。となるとブー太郎は殺されたのに生きていた。
碓氷
なんだって?!
凪紗
ブー太郎って物凄く生命力と回復力が強いんですよね。前に首を切られても走り回る鶏みたいって思ったけど、実際にそれに近かったんじゃないかなって。
凶器になった警棒で殴られて致命傷を負って実際に半死だったと思うんです。
リプレイの最終回は銃声が鳴ったから21時前にブー太郎が廃屋へ来たけれど、本来は21時30分に吉野くんの死んだ後、ブー太郎が死んでるんです。
犯行を目撃し、ブー太郎は撲殺される。犯人は致命傷を負わせて動かなくなったことで安心したけれど、しばらく微弱な生命力で生きていたんじゃないでしょうか。それで、入口まで這いずって行った。もちろん普通なら死んでますがブー太郎だから生きていた。そして、22時30分に入口で事切れて、私が発見したときにはもう絶命していた。
22時前から入口を覗きに行っても死体がなくて、22時30分に死体が出てきたのはこれが理由じゃないかと思うんです。
碓氷
逆説的に考えたんだね。すごいな。
凪紗
先輩のおかげです。迷ったら先入観を取り払って考えるようにしてるんですよね。「あり得ないことを除外し、残ったものがどんなに疑わしくてもそれが真実」なんでしょう。
碓氷
僕そんなこと言ってない……ははあ、そうか、僕の知らない何回目かのリプレイで言ってるんだね。
本当に君は僕のことよく知ってるなあ。祖父の病院も教えてもらったし。よく調べてくれたね。ありがとう。三日前に入院が済んだんだ。あとは母さんだ。
凪紗
良くなるといいですよね。
碓氷
君には何でも世話になりっぱなしだなあ。でも不公平だよね。僕は君のことをよくしらないのに。ところで、君はリプレイで何回僕に会ってたのかな。数回では収まらないような親密さが最初からあったんだけど。
凪紗
私は何度も繰り返した先輩とのファーストデートを思い出す。もうゼロから始めなくてもいいことが本当に嬉しい。
碓氷
どうした、複雑な顔して。
凪紗
失敗が回収できないのを忘れて、うっかり好き放題しそうになるんです。それを考えると先の見えない明日が不便で心配で仕方なくて。いままでの私の基本は調子悪い日ばっかりだし。
碓氷
先の見える方がおかしかったんだから。困ったことがあったら僕も協力するよ。
凪紗
そうだ。遅くなったけど、お誕生日おめでとうございます。
――私はバッグの底に入れっぱなしだった誕生日プレゼントを渡す。
碓氷
ありがとう。わあ、ペンギンのスマホケース。へー、かわいいキャラだね。
凪紗
照れくさそうにはにかむ先輩の笑顔。これで何度目だろう。でもいつ見ても新鮮だ。
私、先輩の誕生日をずっと繰り返してたんだ。「おはおは占い」はサイアクだったけど、そうでもない日だったんだなあ。私は居住まいを正す。
――あの、先輩あらためて言わせてください。私、先輩のことずっと前から好きでした。
碓氷
うん、少し前から気づいてた。
凪紗
先輩は私の頭に手を乗せる。
碓氷
君と話すようになってまだ数日でしかないのに、距離を感じないのは君が何度も僕との一日を繰り返していただけじゃないと思うんだ。もともと気が合うっていうか、君に興味が持てるところがあるっていうか。
凪紗
え?
碓氷
とにかく、明日の君も僕を好きでいてくれますように。
凪紗
心配で仕方がない明日だけれど、それだけは絶大な自信を持って大好きな人に応えられると思った。