エデュカントの星(第6話)

 肥満体の将軍と僧侶服の頑健な体つきの青年がリーザカインド隣国にあるかの将軍の別荘で酒をくゆらせていた。将軍は満足げに笑う。
 「よもやオリビエ殿が魔物を引き連れ、我が国にお味方くださるとは」
 「リーザカインドを狙う貴国は軍隊の傀儡国家であると聞いた。ならば軍が勝手に他国を侵略したとて面倒はなかろうと踏んでな。ときに、国の権限は将軍にあるとか?」
 「左様。国璽を預かっておりますからな」
 聞いて青年は立ち上がると将軍の体を一刀両断にした。
 「いまから私が将軍だ。前将軍は国璽を私に託して敵前逃亡した」
 青年は控えていた魔物たちに命令する。
 「片付けろ。跡形(あとかた)もなくな」
 魔物たちは舌なめずりをした。

 「人の命は駒ではない!」

 騎士団の館に戻ったベルセリアは騎士団長会議で報告した。
 「最近ドラゴンの数が棲息地で極端に減っていると付近の村人やドラゴン使いたちからきいた。隣国ザビンツ王国にドラゴンが運び込まれるのを見た者の一人が、そこにいたのが騎士団長オリビエ・ピエモンテと辺境の魔物たちであったとも言っていた。あとザビンツ軍がリーザカインド国境付近で何度か目撃されている」
 騎士団長バローロが眉間にしわを寄せて腕を組む。
 「ザビンツは何度か小競り合をしてきた国だ。いまは国の諍(いさか)いよりも、強力な辺境の魔物をともに討伐する名目で協定を結んでいるが、魔物が味方についた以上、協定を守る必要もなくなったのか」
 ヌフドパフも沈痛な面持ちで付け加える。
 「オリビエが味方についたのだ。騎士団の情報どころか国の防衛は敵に筒抜だ。専守防衛を掲げる我が国の方針から、迎撃としてオリビエらを討ち取るしかあるまい」
 敵国に情報が渡っているのではもはや戦いが避けられないのは明白だった。
 追加調査をしつつ騎士団長たちは王宮へ報告し、警戒態勢を整えた。
 彼らの落胆は隠せなかった。ティタンジェがことさら疲れているように見えた。
 報告後、乗ってきたドラゴンになにやら持たせて帰し、新人や先輩たちの元へ戻ったベルセリアを全員が拍手で迎えた。特にピン・ポン・パンと犬は大はしゃぎだ。陰口をたたいていた者たちもきまり悪そうだったが、ベルセリアを認めている様子だった。
 騎士の礼で応えながらベルセリアは全員に目を配る。
 「怪我人はいないな。そうだ、医務室へ行かなくては。ガメイはどうなった」
 「ベルセリア」
 シレオンが遠慮がちに声をかけた。
 「ガメイは3日前に亡くなった」
 ベルセリアのつり目に影が落ちた。場も、先ほどの盛り上がりムードがかき消えて静まり返った。うつむく少女に新人の一人が告げた。
 「ガメイの両親があいつを引き取りに来て言っていた。誰のせいでもない。襲撃で戦って死んだのなら戦死も同じで、騎士を選んだあいつの自己責任だから誰も恨まない。騎士団のみんなも自分を責めるなって」
 「そうか…」
 うつむいたままベルセリアがつぶやく。瞳に悲しみが深く刻まれた。そんな彼女へ陰口をたたいていた一人が
 「落ち着いたら墓参りに行こう。それで、あいつの好物のチェリーパイと同じ色の花を添えてやろうぜ」
 それに続き他の陰口組もうんうんとうなずいてみせる。
 ガロがベルセリアの小さな肩に手を置く。
 「意識は戻らなかったが、穏やかな顔で逝った。あれは残された者たちには救いだった。彼が最期に見せた優しさと気高さだったとオレは思う。残された騎士は逝った者の魂を引き継ぎ、その分の働きをするのが習わしだ。ガメイの未完の活躍をオレたちがかたちにしていこう」
 ガロの言葉で全員が胸に熱い思いを宿すのであった。

 夜遅く、館の回廊をベルセリアはレディナイトの館へ戻ろうと歩いていた。隣りの犬へ話しかける。
 「どちらも難しいな。原因を恨まず家族の死を受け入れるのも、自分のせいと知りながら責任を取れず生きて行くのも」
 <ベルデッキオ様は責任感が強いから騎士になれたのですよ。大切な要素です>
 「待て、爺、私がなりたいのは騎士ではなく…」
 背後に気配を感じた。言葉を切って振り返る。
 「出てこい。また命を狙う気か」
 犬も低く構えて戦闘態勢に入る。相手が柱の陰からあらわれた。回廊の松明(たいまつ)に照らされた暗殺者の姿を見てベルセリアは冷たい声を投げかける。
 「やはりおまえか、パン」

 「気づいていたのか」
 パンが間合いを取りながら警戒心をあらわにする。ベルセリアの表情も硬い。
 「パンセル・ロッソ。本名パンセル・ブリストル。気づいたのは最近だ。
 最初、騎士団の申込書で怪しい奴を調べていた。はじめガロかと思っていたが、私の命を助けたり、ドラゴンの知識も乏しくと、怪しい奴だがブリストルの線が薄かった。だからもう一度調べた。今度は『申込書が完璧な者』を。それがシレオンとおまえだった。
 おまえたちほど成績優秀ならこの3カ月で普通に頭角をあらわす。シレオンのように目立つ活躍をするのが自然だ。しかし、パン、おまえは才能があるにもかかわらず無難な成績しか出さずドムラにも乗れない。どう考えても不自然だ。さらに申込書を調べてわかった。おまえたちは最初から三人組ではなく、同郷の二人組にあとからおまえが加わってできた仲間だったのだな。一緒にいるピンやポン以上の活躍をしないのは二人を隠れ蓑にしていたからか。
加えて、私に何かあると一番最後にくるのがいつもおまえだった。大方、証拠隠しでもして駆けつけるのが遅くなったからだろう。本名はおまえと同じ歳格好のブリストルを探して検討をつけた」
 「そこまで気づいていたとはな」
 「決定打はおまえのセリフ『ドラゴンには人を食う種族だっている』。『種族』は通常ドラゴン使いしか言わない」
 「フン、上出来だ」
 「しかしわからないことがある。パン、どうして私をブリストルだとわかった?」
 パンがあきれて物が言えない表情になる。そして深いため息をついた。
 「あのなあ、ドラゴン使いの間でブリストルは『不遜のブリストル』って言われてるんだぞ。オレはかなり気を遣ってたけど、おまえのは丸わかりだろうが!」
 なっちゃいないという顔をして彼は壁にもたれた。
 「ドラゴン争いの特訓のために入団した。そこに同じことを考えているブリストルがいるとわかって邪魔だったから殺そうとした。ことごとく失敗したけどな。オレは今夜ここを去る。さっき騎士団長たちの話を耳にした。これから隣国相手に戦いを仕掛けるらしい。巻き込まれるのはごめんだ。オレがここにいる理由はもうないからな」
 驚くベルセリアをあらためてパンが見据える。
 「ドラゴン争いから降りる。オレは家長に向いていない。ドラゴンは「道具」で一度も好きだと思ったことはなかった。けれど、おまえはちがう。ドラゴンたちに心をくだける。相手を敬う心を持つ者こそ上に立つのがふさわしいと、騎士団にいて思えるようになったんだ。だから特訓の必要もなくなった。
 それから、殺そうとしたのは詫びておく。悪かった」
 「パン」
 踵を返そうとするパンをベルセリアは凛とした声で呼びとめる。
 「私は礼を言うぞ。おまえに言われてドラゴンへの理解が浅かったと気づいたんだ。生物の頂点に立つものを扱う責任の重さを知った。なんと言われようと私はドラゴンが大好きだ」
 パンが振り返る。
 「短期間にあれだけのドラゴンを扱えるようになったんだ。ベルも騎士をやめるんだろ」
 「いや、あれは特別だ。しばらくここにいる。ドラゴンが捕獲されるのを放っておけないし、ブリストルにも損失だ。特訓も途中だしな。でも、いいのか。ピンやポンに何も言ってないんだろう」
 「オレはドラゴン使いで騎士じゃない。だからあいつらといると居心地が良くて抜け出せなくなりそうで…」
 うつむいた赤毛の少年は顔を上げた。ぐっと拳を前に突き出す。
 「ドラゴン争い、絶対に勝てよな」
 小柄なドラゴン使いの少女も同じく拳を突き出して好戦的に微笑む。
 「当然だ。言われるまでもない」
 それを見て笑いかけたパンは中庭に出、闇にまぎれて姿を消した。
 「爺」
 <はい>
 「結局、パンはどうして私がブリストルだとわかったんだ?」
 <…そこからですか>
 己を知らないベルセリアに犬はなんともいえない顔になってしまった。

 数日後――。
 朝食の場でベルセリアが思い出したようにつぶやいた。
 「そういえば、昨日鬼教官と風呂場で一緒になったんだがな」
 すると半径10メートル以内にいた騎士たちがどっと押し寄せてきた。犬まで…。
 「ど、どうだった? 詳しく聞かせろ!」
 「やっぱり、は、肌とかキレイなのか」
 「チクショー、どうしてオレはレディナイトじゃなかったんだ!」
 迫力に気圧されたものの、ベルセリアは神妙な顔になって答える。
 「鬼教官はどこか悪いんじゃないのか。湯あたりして顔色が悪かったのは仕方ないとして、体中が変にむくんでふとってたぞ」

 「どうかしましたか、ティタンジェ様」
 プロセッコがいぶかしげな顔で隣りを歩く上官に尋ねる。ティタンジェが不思議そうに
 「気のせいか、先ほどから騎士たちが私を盗み見ては首をかしげて行くように感じるのだが。『着痩せする?』とか言いながら」
 「ティタンジェ様はお綺麗ですから盗み見する騎士たちは多いですよ。そのたぐいでは?」
 「冗談はいい(笑)。それより王より許可が下りたとは本当か」
 「はい。今日、騎士団長会議にかけられます」
 王宮からの使者がきた。迎撃の許可が下りたのだ。遠征は三日後と決まった。
 不安はあった。騎士団の体制が整っていないのだ。新人たちはまだ3カ月しか訓練を受けておらず、魔物と戦った経験がない。精鋭の騎士たちをラムー河で数多く失ったのがここにきて痛手となった。
 王宮へさらなる武器の要請と防衛体制の強化を申し出に行くことになった。
 ティタンジェが改めて提案した。
 「可能であればオリビエは生け捕りにしたい。真相を探る必要がある」
 その意見は聞き入れられた。

 王宮の使者たちにより馬車に積まれた武器が次々と館に運び込まれる。剣や弓だけではなく弩級やドラゴン戦に備えて据え置きの大型弩砲まである。物々しい雰囲気に新人たちは驚きを隠せない。
 武器の数の確認をし、部下たちに指図をしながら騎士団長ティムールが緊張する新人たちを安心させようとする。
 「君たちは騎士になってまだ日も浅い。しかし勝手な行動をせず一丸となって戦えば必ず勝てる」
 ふと彼はピンとポンに目をとめた。
 「なんだ、パンは一緒じゃないのか」
 「はい。あいつ、何日か前からいないんです」
 「今朝も町まで探しに行ったんですが見つからなくて」
 ピンとポンは寂しそうに答える。パンが逃げたと噂されている。親友への侮辱も悔しいが、何より自分たちに何も言わずいなくなったのはショックだった。
 ベルセリアやガロたち見習いもより強い防具が必要になるため、白銀ではないが丈夫な鎧も作ってもらった。
 ベルセリアは剣を抜く。一点の曇りもない青みを帯びた白い刃(やいば)が光る。
 美しさに見とれているとガロが教えた。
 「どれも特注だ。王が騎士一人一人の武運を神とエデュカントに祈って作らせたんだ。大きな戦いの前には必ずそうする」
 「王がそんなことをするのか?」
 王とは変わったやつだと思うベルセリア。
 「我々は王に忠誠を誓い、王は我々騎士に敬意を払う。王は戦場に出ない代わりに我々を厚く援護し、結果に責任を取られる覚悟をされる。国を戦火から守るのは王と我々の使命だと理解されているんだ。だから、王より託されたこの剣を君も心して使えよ」
 「…わかった」
 手の中で、ずしりと剣が重くなったように感じた。

 翌朝早く、騎士たちは館の講堂に集合した。騎士団長を代表してトラントドンが伝える。
 「今回はオリビエ捕獲とザビンツ軍撃退の戦いだ。協定を結んでいるため遠征は名目上『演習の一環』とする」
 声を遠く聞きながらガロは沈む気持ちを奮い立たせるのに苦労していた。
 前日、術師ラーマヤーナのもとを訪れた。禁断呪文の解き方を聞きに行ったのだ。
 「調べてみたが、やはり解くことはできん。ただ、物事に表裏はある。禁断呪文パンドラ・ボックスは呪いだけでなく、その力は弱いが『善きもの』も生み出す。」
 「頼りないですが、唯一の希望ですね」
 「うむ。それと死喰いじゃが、相手の魂を追い出しては肉体を乗り継ぎ長生きする魔物じゃ。呪いを使える知恵者は相当厄介よ」
 「死喰いから肉体を取り戻した人はいるんですか」
 「おらん。しかし――」
 術師はガロの目に“覚悟”を探すよう覗きこむ。
 「死喰いを肉体から追い出し別の魂を宿す方法はあるかもしれん。それを知るのは死喰い本人かもの。大事なのは戻る肉体を傷つけず捕えることじゃ」
 <戻りたい。しかし可能なのか、戦闘で敵を傷つけないなど>
 作戦の説明は続く。
 「今回はドラゴン使いのブリストル家も協力をする。王に家長自らが参戦を買って出たそうだ」
 どよめきが起こる。ベルセリアはひとつ小さくうなずいた。
 <父上、来てくれるか。ポチに託した手紙の効果はあったな>
 説明が続く中、しゃがんで犬に耳打ちした。
 「爺、人手が足りなくなりそうだ。新人も多い。いまから人間に戻れ」
 <え? しかし…>
 説明が終わると、ベルセリアが手を上げた。
 「ちょっといいか。いまからリグベーダに習った術で爺を人間にする。甲冑と剣をひとそろえくれ」
 またもやどよめきが起こるのを無視し、適当な呪文を唱えた。
 煙とともに人影があらわれ、そこには長身で燕尾服姿の美青年がたたずんでいた。黒髪もつややかでりりしい表情には誰もが目を奪われ、レディナイトたちは頬を赤らめた。
 「えっ?! G?!」
 「かっこよすぎだろ、あれ…」
 騎士団長はじめ全員が度肝を抜かれて驚いた。ベルセリアがささやく。
 「世話をかけるな」
 「いえ、非常時です。尽力いたします」
 青年は静かに執事の返礼をする。
 こうして甲冑が与えられ、騎士団はあらためて精鋭を一人加えた。
 「出撃する」
 その声で騎士団は館を守る者を残してドムラのいる厩舎へと歩んでいく。
 腰にさした剣の柄を握りしめ、ベルセリアは心の中で呟いた。
 <ガメイ、いってくる>

 午後になり、隊を編成してザビンツ王国と隣接する地域へ陣を構えた。ベルセリアとガロは同じ部隊だったが、シレオン、リュー、ピンとポン、元(もと)犬は別々になった。
 「一部隊50名とは少ないですね」
 自分の部隊へ行く前に、怪訝な顔をした元犬へガロが説明する。
 「小回りが利くうえ、リーザカインドの騎士一人は他国の兵士10人分の働きをする。騎士団長は50人分。ドムラに乗れば一部隊は約600人に匹敵する。それが5部隊だから…」
 「なるほど、約3000の精鋭ですか。悪くないですね」
 テントを張っていると護衛を何人もつけた仰々しい白塗りの馬車が到着した。馬車には王家の紋章がついていた。
 <あれは官僚の専用馬車ではないか>
 ティタンジェ以下騎士団長たちは眉をひそめる。降りてきたのは白髪交じりのやせて落ちくぼんだ目の男だった。常に人を見下してきたような高慢な印象を与える。
 <ジャローモ外務次官?! なぜここに?!>
 ティタンジェはオリビエから聞いた人物像を思い出した。自分の利益ばかりを優先し、隙あらばのし上がろうとするどうにも食えないやつだと。
 テントに騎士団長たちが集められた。慇懃な態度で白髪の官僚は彼らを見回す。
 「指揮を外務次官の私が取る。国民的に知られる騎士団長オリビエ・ピエモンテに逆心ありという不名誉な醜態を各国に広めて国王の権力を揺るがすものであっては国内外に付け入る隙を与えてしまう。それを避け、事を荒立てぬにはザビンツ王国と非公式会談をするのが得策であろう」
 この期に及んで何を、と騎士団長たちは顔色を変えた。
 「敵はすでにドラゴンを狩り、魔物を使って攻撃の準備を整えております。各地で被害が出る前に我々の手で早期解決するのが最善策です」
 ヌフドパフの意見をジャローモはフンと鼻で笑う。騎士ごときが弄する策などたかが知れているとでも言いたげなあざけりの顔だ。
 「そなたたちは血を流さぬ解決方法を考えぬのか。もし向こうが辺境の魔物退治の遠征に来たのに、なぜか潜んでいたリーザカインドの騎士団に攻撃を受けたとなっては立派な国際問題になる。よって、我ら外務官僚が交渉に当たる。騎士団は即刻、館に帰還してもらおう」
 ろくに話も聞かずしきる。このときは知らなかった。ジャローモがザビンツ王国のクリスタルを購入していたのを。ザビンツが負けて国力が落ちればザビンツブランドのクリスタルが暴落する。ザビンツを守る必要があり、ついでにこの交渉で手柄を上げれば王宮での権力も増すと考えたのだ。
 「断る」
 ティタンジェがきっぱりと言い返す。全員の注目に、ゆるがない眼差しで
 「騎士団は二度も辺境の魔物率いるドラゴンに襲われている。敵の演習の一環であったと考えて間違いない。明日にも襲撃され国の危機に我々の駆けつけるのが遅ければ外務次官自ら責任をとられるのか。危機管理のためここからは動かぬ。交渉はそちらで勝手にすればよかろう」
 ジャローモは落ちくぼんだ目で睨む。
 <鼻っ柱の強いレディナイトがいるとは聞いていたが、この女か>
 口の端をゆがめて皮肉な笑いを作り、外務次官はひとつ手を叩いた。
 「そうであったな。では、その魔物やドラゴンを始末すれば攻撃も延期されよう。南下してより強力な魔物を退治してもらう」
 「バカな! 本来の目的をたがえている」
 「いま国境線から離れるわけにはいきません」
 さすがに黙っていられなくなった騎士団長たちが叫んだ。しかしジャローモは動じない。
 「交渉の場で戦意・敵意があると悟られては話が進まん。帰還が嫌なら名目で出てきた『辺境の魔物退治』どおり働けばよかろう。行動に偽りない以上、我々官僚も手こずらぬ」
 それに、と彼はテントの外に目をやる。
 「移動が嫌ならまだ使い物にならぬあの新人たちを国境地帯に出向かせ、ザビンツ兵を乗せたドラゴンたちに殺させろ。これでザビンツに侵略の意思ありとして望みどおり存分に暴れられよう。なに、新人が全滅したとてまた募集すればよい。騎士団には好きこのんで命を投げ出したいと願う者たちが毎年何百人と応募するではないか。180名も犠牲者が出た『ラムー河の“失態”』を繰り返すより犠牲も少なかろう」
 ティタンジェは立ち上がって叫んだ。
 「人の命は駒ではない! 騎士を政争の具に使うのであれば引き取り願う!」
 「そんな青いことを言っているから大局を見れぬ騎士になど任せられぬのだ」
 「戦場経験もないあなたにはゆだねられない。なんの説得力もない戦略とはおこがましいばかりの浅知恵をほざく老人など騎士団は受け入れぬ」
 さすがにカチンと来たらしい。憎しみをあらわにしてジャローモは声を荒げた。
 「これを見よ!」
 最後の切り札とばかりに勝ち誇った顔で次官は書状を広げた。
 「王の認証」。ジャローモ外務次官に指揮権をゆだね、平和裏に解決するよう記したものであった。「自分に任せれば勝算あり」とどうやらうまく王を丸めこんだらしい。
 <国家戦略の前で大義をふりかざし、騎士道精神だの国のためだのと熱くるしい奇麗事を語るばかりの戦闘集団にさまざまな権限があること自体、気に食わぬのだ>
 ジャローモは全員をねめつけ、語気を荒げた。
 「今後私の言葉は王の言葉。そなたは統率を乱したとしてレディナイトの館に謹慎処分とする。これ以上何かすれば反逆者として投獄する。他の者も同じだ。肝に銘じておけ!」
 ティタンジェは護衛官たちに囲まれた。しまった、と思ったが遅かった。最初から次官は「王の認証」をギリギリまで出さず、反抗する者をあぶりだそうとしていたのだ。
 <オリビエが私をあいつに近づけなかった理由がわかった。逆らえば権力でつぶしに来る男だと知っていたから接触を避けてくれたのだ>
 いまはそのオリビエもいない。
 騎士団長たちがとりなすが、次官は侮辱を根に持って意見を曲げない。
 結局、ティタンジェはその日のうちに陣を離れるよりほかなかった。

 「え?! 南下する?! ザビンツから遠ざかるのに?」
 その指示に騎士たちが首をかしげる。ジャローモ外務次官は声も高らかに
 「外交交渉を我々官僚が行い、事を収める手はずとなった。何、1週間もあれば解決する。もちろん、君たち騎士はザビンツ王国との迎撃態勢を崩さず辺境の魔物と戦ってもらう。国のために死力を尽くしてほしい」
 <ジャローモ次官! なぜここに?!>
 ガロは目を見張った。高慢官僚の登場が嫌な予感を誘った。
 どこか納得のいかないまま騎士団は移動を余儀なくされ、ジャローモを担ぐ形で南下するのであった。