ハッピー・バタフライ・エフェクト(第2話)

「僕の家系は歴代、国家安全保持のため時空を行き来する時空警察。いまも父さんと僕は特殊任務のために動いている」
普通なら何の冗談かと思うけれど、リアルに次から次へと信じられない体験をしたら信じるしかない。私はうなずくばかりだった。
「まずは亜結、どうして僕の鞄とスマホを持っていたのか説明してくれ」
私は通り魔に襲われて葵が身代わりになり、保険証を取りに来たいきさつを話した。
長い睫毛を伏せて眉間にしわを寄せていた葵が、二つのスマホ画面を見比べる。
「なるほどね。事情が呑み込めた」
「それで、葵はどうして助かったの」
「僕は助かっていない。刺されたのはきっと“明日”の僕だ。亜結、今日の日付は?」
「7月15日」
「僕の持っていたスマホの日付を見ろ。7月14日だろ。つまり亜結は僕のスマホを操作して、“昨日”にタイムスリップしたんだ。亜結にとっていま会っている僕は“昨日”の僕。僕にとって、今の亜結は“明日”の亜結。いまいる紀元前200年から現代に戻ったら僕は明日刺される」
「そんな……!」
私は絶句してしまった。呼吸器をつけられて横たわる葵の顔、真っ赤に染まったシャツを思い出す。そんなことあっちゃダメ。
「ねえ、知ってるなら事件が避けられるんじゃない。未来は変えられないの」
「うん、勝手な改竄は刑法違反だけれど、当局と相談する。いままでも過去は変えてきたから。そのいきさつと僕の特殊任務を合わせて彼に詳しく説明させるよ」
葵はスマホに細い指を小難しい動きで滑らせる。
地面に置いたスマホから放射線状に光が放たれた。その中に拳大(こぶしだい)のホログラムが3Dで浮かび上がる。それは球体で、頂上にちょんまげのようなものがついていた。緑色の数列が球体に映し出され、縦横無尽に走りだす。やがて正面に両目のようなものが浮かんだ。真中が口のように半分に割れ、パクパクと動く。
「お疲れ様でやんす。真島の旦那」
球体がしゃべった。
「やあ、ハチ」
葵は慣れた顔で挨拶する。
「彼は時空警察のエージェントをサポートするAIの8(エイト)-BEA(ビー・イー・エー)。通称ハチベエ。僕らはハチって呼んでる。優秀でうっかりしてないよ」
「なんで変なしゃべり方なの」
「開発者が面白がって言語を江戸言葉でプログラミングしたんだって。当時の時空警察長官が長谷川さんだったから周りも納得して」
「鬼平?」
葵はハチベエに自分が7月15日に刺される経緯を説明した。
「強硬派かもしれないから報告しておいて」
「合点でい」
承知したハチベエがしばらく体の色を何色にも変化させてからまた元の色に戻った。スマホにまた複雑な操作をした葵は私に向き直る。
「ハチは顔認証を搭載させてないんだ。要するに僕らは見えていない。すべて音声認識で回答するAIだよ。名前と生年月日と住所をいって。一時的にゲスト登録させるから」
「私は神埼(かんざき)亜結。20××(にせん……)……」
しばらく体中にいくつもの数列を走らせていたハチベエの体が発光した。
「確認完了。ゲストは重罪犯罪者KQ(キラー・クィーン)。登録不可でやんす」
「だれが重罪犯罪者よ!!」
「いいんだ、ハチ。僕が許可する。亜結、落ち着いて聞いてほしい。日本は将来おまえによって滅ぼされる。正確には、おまえに端を発して滅ぼされる」
「はあっ!? 私がそんなことをするわけないでしょう!」
「その歴史を阻止するため、僕は“三悪人発生”の因果律の根源である亜結を監視する役目を与えられている。KQ(キラー・クィーン)は当局で付けたコードネームだ」
身に覚えのない話に声も出ないでいると葵が促す。
「ハチ、いままで僕らが改竄したKQ(キラー・クィーン)の過去を説明して。わかりにくいから今後は“神崎亜結”に変換で。それと年代だとわかりづらいから年齢でお願い」
「へい、合点でい」
ハチベエがまた数列を体中に走らせる。そして口をパクパクさせて語り出した。
「神埼亜結、5つ。(ベンベン)
ひまわり保育園による芋の山公園物(もの)見(み)遊山(ゆさん)中、神埼亜結と、同来園中のむすび保育園男児が、やれ口論。仲裁ししむすび保育園の女児、そがため集団から遅れを取り、これ迷子に。子供専門の誘拐組織に目をつけられしその女児は、あわれ拉致され、売り飛ばされ。購入先は中国ゲリラ。同じく買われし二人の日本人少年と出会い、中国奥地の密林で暮らしゲリラとして育てられるに候(そうろう)。中国に洗脳されし優秀な三人は、やがて部隊を率いて日本を滅ぼすと相成りや」
「ちょっと待ってよ! 確かに保育園で芋の山公園に行ったけど、私、ケンカしてないよ」
「うん、僕がむすび保育園と接触させないようにずっと亜結の気を引いてたから。そのあいだに誘拐犯は時空警察の計らいで逮捕している」
「知らなかった。でも葵のおかげで日本は守られたってことでしょう」
「いや、これで終わらない。ハチ、続けて」
「へい、次いきやすぜ。
神埼亜結、7つ。(ベンベン)
娯楽施設キララ遊園地へ両親と駕籠(かご)にて来訪す。神崎家が最後の駐車場を確保せしため、他の駐車場を探した駕籠が事故に遭遇。齢(よわい)3つの女児は両親と死に別(わか)る。預けられし親戚はまこと毒親、鬼の親。虐待により人格崩壊。成人となりし頃には、世間が憎し恨めしの感情より地下組織のテロリストへ身を投ず。のち、同じく虐待されし青年二人と出会い、意気投合ゆえ組織へ勧誘。三人で首相暗殺、官邸爆破を手掛け、日本は破壊の海と成りや。また、神埼亜結の娯楽施設への来訪は彼女の突発的な思いつきによるものとこれ判明」
「これは僕がキララの興味を失くすよう偽情報を与えた。そのうえで、父さんと母さんが僕と亜結をアトラスパークに連れて行った。あれからアトラス以外興味がなくなっただろ。ちなみに、キララの近くで事故は起きずに今に至っている」
「……なんなのなんなの」
私は首をふる。
「私が原因で中国ゲリラが日本を攻撃!? 首相官邸を爆破!? 無理。信じられない」
「とにかく、亜結のきまぐれな行動が日本にとって最悪をもたらすきっかけになるんだ。巡合係数(じゅんごうけいすう)の破綻が発生するといわれているけれど、根本的な原因はわかっていない」
「なにその私がくしゃみしたら日本が沈没するみたいな流れは」
「“風が吹けば桶屋が儲かる”とか“バタフライ・エフェクト”ってやつでやんすね」
「バタフライ・エフェクト? そっちは聞いたことないよ」
「バタフライ・エフェクトってえのは、力学系の状態にちっと変化を与えると、その後の状態ががらりと変わる現象でやんす。カオス理論で扱うカオス運動の予測困難性、初期値鋭敏性を意味する標語的、寓意的な……」
「ごめん、難しすぎるわ」
「簡単に言うと“ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきは、テキサスで竜巻を引き起こすか?”でやんすな」
「あー、それで蝶(バタフライ・)効果(エフェクト)っていうんだ。けれど、実際にそんなこと起こるの?」
「へい。だからこうして対処してるでやんす。未来で起こった最悪の事態を完全回避するのが火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)である当局のお役目。真島の旦那方はいわゆるタイムパラドックスで事態を未然に防いでいるでやんすよ」
「どこまでも鬼平なんだね」
「それが僕に課せられた特殊任務。要は日本を破滅に導かないための亜結の監視だ」
私はショックを受けた。つまり葵は友人ではなく監視役。
葵とはたまたま家が近いだけの腐れ縁の幼馴染だと思っていた。でも本当は、時空警察に仕組まれた関係だったんだ。長い間の友情が偽物なんて。裏切だよ、そんなの。
そんな私の気持ちにかまわずハチベエは続ける。
「神埼亜結、16。(ベン!)
在学先の白蘭高校にて2年生の宇月祐一といと睦まじき関係に。ややあって懐妊。宇月祐一とは破局。退学して娘を出産。
娘は遺伝子の相性ぐあい悪(あ)しく、暴力的な性格になり候。悪逆の限りを尽くし、家を出奔。成人し頃には地下組織のテロリスト。のち、精神病質、反社会的人格の青年二人とネットで知り合い、以下は、前回と同じ結末でござ候」
「これは知ってのとおり、僕が告白を止めて阻止した。ごめん、亜結。先輩はゲイでもなければ不倫もしていない。あれは当局で用意した加工写真だ」
「また騙したの!」
「当たり前だ。先輩とつきあえば亜結は妊娠する。僕はそれだけは許せなかった」
葵のむきになった声がほら穴に響く。私の膝の上で男の子がうるさそうにぐずった。それで冷静になった葵はひと呼吸置いて静かにあらためた。
「とにかく、あれを阻止すれば別のこれが起爆剤になるというモグラ叩きの状態なんだ。
傾向として、亜結が余計な行動を起こすと、三悪人のうちの一人が形成され、他の二人が共鳴して集結するような行動を起こす」
「三悪人は毎回入れ替わるでやんすが、女性一名、男性二名の構成は同じでやんす」
「だから亜結一人を監視するしかない。いままではそれでよかった。ところが最近になって時空警察に強硬派があらわれた。因果律の根源となる亜結本人の抹殺を主張し始めたんだ。穏健派は毎回真島家が危機を回避するから現状維持でいこうと説き伏せている」
「それじゃあ、今回の通り魔も強硬派なの」
「その可能性は高いよ。ハチ、通信を切るけれど、通り魔の正体がわかったら連絡して」
「合点でい」
ハチベエのホログラムが消え、ほら穴に静寂と暗闇が戻った。

「亜結、大丈夫?」
私は首を横に振った。紀元前200年にいて、葵のしてきた任務やハチベエを見ても全部は消化しきれなかった。私が日本を破滅させる。なにより傷ついたのは葵の偽りの友情だ。
思えば、最初から葵はなんでも私に合わせて遊んでくれた。つまらない我儘さえきいてくれた。それが葵の優しさじゃなくて、ただの任務のためだったなんて。
「いつから私を監視していたの」
「亜結が生まれる前からだよ。母さんの出産を計算すると、うちが亜結と一番近い年齢の子供が生まれると当局が判断したから。それで引っ越してきた」
つまり、たまたま運の悪かった真島家が私に当てがわれただけ。
ママがいうには、葵と知り合ったきっかけは、近所の公園で、1歳の葵を連れた真島のおばさんが、私といたママに「可愛いお子さんですね。うちの子とも遊んでください」と声をかけたからだったとか。それすらも任務だったんだ。
私を見ていた葵が長い睫毛を伏せてため息をついた。
「ごめんな。僕がもっとしっかりしていれば亜結を巻き込まなかったのに。きっと懲戒免職処分だろうなあ」
「よかったね。もう私に関わらずに済んで」
「なに言いだすんだよ。任務はなくなっても、これからもずっとそばにいるから」
「やめて! もう友達のふりしないでよ!」
「あのなあ、確かに誤解を受けても仕方のない状況だけど、そんなんじゃなくて――この際だから白状するけど、任務を理由に堂々と亜結のそばにいられて嬉しかったんだ。だからこの役目は他の誰にもさせたくなかった。たとえ亜結が僕の気持ちに気づかなくても、任務がある限り亜結のそばにいられる。僕はそのためならなんでもすると誓った。亜結と出会ったのは運命が引きあわせたんだと僕は今でも信じている」
 葵の温かい右手がそっと私の片頬を包む。少し寂しそうな苦笑で見つめられた。
「それなのに、悔しいけど、おまえ、ホント、僕だけは好きにならないよな」
「う……そ」
私は変な顔をしていたと思う。タイムパラドックスの話よりこっちのほうが理解できなかった。葵のふれる指先から私の早くなる鼓動が伝わりそうで恥ずかしかった。
「いつ、から?」
「ずっとまえからだよ。初めて会ってから何回もしないうちに」
「全然気づかなかった。小学5年生の頃、柚月ちゃんが好きだって言ってたし」
「あれは当てつけ。亜結がサトシのこと好きだっていうから」
 すねたように顔をそむける葵が可愛かった。
スマホから着信音が鳴った。葵があわてて操作する。
途端に、慌てふためいた様子のハチベエが浮かび上がった。
「てえへんだ、てえへんだ、真島の旦那!」
「どうした、ハチ」
「エージェントからの報(しら)せでやんす。下手人(げしゅにん)はやはり暴走した強硬派の一人で、15日に旦那は手術に失敗して死ぬでやんすよ!」