ハッピー・バタフライ・エフェクト(第4話)
15日当日。
事情を知る葵と、何も知らない“私”は予定どおり事件に巻き込まれたらしい。ストレッチャーに乗った葵が集中治療室に運ばれてくる。“私”はそれを追いながら「葵、しっかりして!」と悲鳴混じりの声で叫んでいた。集中治療室に葵が入って、しばらくすると葵のスマホを鞄から出した“私”の体が壊れたテレビ画像みたいに歪み、タイムスリップした。14日へ飛んだんだ。
すべてを見届けてから私は柱の陰から姿を現した。
たったいま14日に飛んだ“私”は、これからタイムスリップを繰り返す冒険をする。最後は、“私”が14日へ飛ぶのをギリギリ確認できる時代――葵が病院に運ばれる少し前の15日午後4時55分へ戻ってくる。これで私は同じ時代に一人しか存在しない。
ふう。ただいま、元の世界。
すぐに、集中治療室から葵が歩いて出てきた。
かなり大掛かりな芝居だったけれど、なぜか懲戒解雇対象である葵の提案が時空警察内で許可された。
私は提案した。
「事件に遭うけれど、葵は刺されないの。私が刺されたと勘違いして病院へつきそえば、流れで葵のスマホを操作することになる」
「でも強硬派は本物のナイフを使うんだから、どうしたって刺されるだろ」
「ナイフが偽物なら」
「あっ、そうか。強硬派を事前に逮捕しておいて、強硬派に扮した時空警察のエージェントが偽のナイフで僕を刺したふりをする。僕も用意しておいた血糊を使って服を汚す。そうすれば亜結は僕が刺されたと勘違いする。でも、亜結がうまく騙されてくれるかな」
「大丈夫だと思う。理解できなくてパニクってたし。それに、私、事件直前に葵の前を歩いてた。仕込みの隙は充分あると思うよ」
「問題は救急車だな。救命士もエージェントにお願いしないと。本物の救命士が見たら血糊だとばれてしまうから」
「集中治療室の確保も必要だね」
「でも、こんな映画みたいな仕掛け、やってもらえるかな」
サクラさんへいうとしばらく待たされ、「許可が下りたわよ」とあっさり言われた。
私は葵にタイムスリップの日時を“15日午後4時55分”とセットしてもらい、彼の鞄とスマホを抱える。
「葵、気をつけてね」
葵はグッと親指を立て、力強い笑顔で私を送り出した。
こうして、大芝居を終え、時代は齟齬を回避し、正常に動きはじめた。
葵は着替えたらしく、自分のTシャツを着ていた。用意がいい。
私はその胸に飛び込んだ。戸惑っていたけれど、葵もしっかりと抱き返してきた。
「えーっと、“帰ってきた15日の亜結”だよね」
「成功したよ! 私、14日へ飛んだ。葵も無事でよかった」
「心配してくれたんだ。ありがとう」
「当たり前だよ! うまくいくか心配だったし、強硬派の逮捕が失敗して刺されたら……」
「これからもおまえを守っていくのにここで死ねないだろ。でもよかった。生きて亜結を抱きしめられて」
「私も。これからもずっと葵のそばにいたい」
「あの、お二人さん」
呼ばれて私たちはあわてて抱き合っていた体を離した。声のした方を向くと、優しそうなスーツ姿のおじいさんが立っていた。背が高い。雰囲気が葵に似ている。
「葵、親戚の人?」
「いや、僕は真島葵本人だよ。遠い未来の」
驚く私たちの反応を楽しそうに見ながら、おじいさんの葵はニコニコと微笑む。
「過去が変わったおかげで未来が変わったんだ。詳しくは9(キュウ)-BEA(ベエ)が説明する」
スマホを取り出して複雑な操作をすると、ホログラムがあらわれた。白い球体の頭に三角耳とツインテールのような長いフサフサしたものが生え、まん丸の赤い目がついている。
「ねえ、魔法少女になってよ」とか言いだしそうで身構えていると、球体がパクッと口を開いた。
「これから一週間後、神埼亜結がウイルス感染させた石器時代の子が完治する。エージェントが無事に元の時代に帰す予定だよ。病を克服したことで彼は強い免疫抗体を持つようになった。その彼が子孫を残し、強い抗体をもつ人類が繁栄するんだ。おかげで人類は何度か起るはずのパンデミックに遭遇せず、安全に生きられる時代を送る。
そして、いまから数年後に日本人女性の大学教授が完全なヒトゲノム解析に成功する。それにより、アメリカにいる日本人男性の医師が抗体の存在に気づき、論文を発表。さらにイギリスにいる日本人男性の薬学研究者がその論文を元に安全な抗ガン剤を開発。彼らは場所を違(たが)えて世界に貢献するんだ」
「三悪人が救世主になるの?」
おじいさんの葵はにっこり笑ってうなずく。
「あの子供が助かってから未来の書き換えが起こった。そうとわかってからは亜結の存在意義が変わったんだ。亜結を生かさなくてはならないから強硬派も解散したよ」
「あの、それだと過去のパンデミックで死ぬ人が生きてたりで、タイムパラドックスが起こって過去と未来がめちゃくちゃになったりしないの?」
「多少過去をいじって帳尻合わせには苦労はしたけれど、量子スパコン、サクラ・アルティメットが組んだシステムが優秀だったおかげでどうにかなったよ。君らも知ってのとおり、過去はほんのわずかなことで変わる。あのときああしていたら、なんて思ったことがあるだろう。本当に些細なことで大きく変わるんだ。君たちも気をつけなさい。そして、些細でも努力の積み重ねを頑張りなさい」
「はい」
「過去も未来もかつてより良い社会になってるよ。結果には誰もが満足している。それから、石器時代の子の偽造保険証は昨日僕から渡して入院手続きは済んでいるから」
キュウベエが横から口をはさむ。
「時空警察庁長官じきじきにする仕事でもないじゃないか。真島葵、キミは一体何者なんだ。ワケがわからないよ」
キュウベエを無視しておじいさんは
「それと、妻、いや、亜結が二人によろしくといっていたよ」
「え?」
私たちが同時に声を上げたところで、おじいさんは手を振って消えた。
「葵が未来の時空警察庁長官だから特別措置で助けてもらえたんだね」
「うん、まさかそんな地位まで上り詰めると思わなかった。あの男の子も未来の人類を救うから、特別措置で偽造保険証まで発行してもらえたんだろうなあ」
「すったもんだあったけど、これで解決だね!」
「こら、気を緩めるな。未来は簡単に変わるって言われたばかりだろ」
「じゃあ、もし私が理工学部に行ったら、また未来は変わるってこと」
「それはあり得る。仮に行ってもプルトニウムのレポートなんて書くなよ」
「行かないよ。葵がいるんだから猛勉強なんてしない」
「いや、おまえの成績はヤバイからちゃんと勉強しとけ」
「でさあ、お願いがあるんだけど。私、織田信長に会いたいんだよね」
「また歴史を改竄する気か。ホント、おまえは僕が見張ってないと何するかわかんないな」
「じゃあ、これからもずっと見張っててよ」
「……やだ」
「そこは、照れた顔して、いいよ、でしょう!」
「うるさいな。それより、石器時代の子のお見舞い行くぞ」
葵に手を握られて、受付に向かう。
握られた手が、幼馴染のいままでとは違う意味を持っているのに私は気づいていた。