不戦の王 コラム「清原という蝦夷」

<目次>
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清原というのは、中央貴族の姓である。
つまり、元は都にあった貴族が出羽に赴任した際、
当地の蝦夷の縁戚作戦に取り込まれ、
事実上清原姓を乗っ取られてしまった、という説が一つ。
もう一つは、約二百年前に
蝦夷の起こした元慶の乱のとき、
平定にあたった清原令望(よしもち)の手足として戦った蝦夷が、
その功により清原姓を賜ったとする説。

当代の清原一族の名前には、
兄、清原真人光頼、弟、清原真人武則というふうに、
「真人(まひと)」がはさまっている。
じつはこの真人、
684年に定められた「八色(やさく)の姓」の筆頭で、
天皇に近い血筋の者にだけに許されている名前である。
そのことを論拠にすれば、
おそらく前者が正解に近いのではないかと思われる。
が、記録が不備なので、はっきりしたことはわかっていない。

ともあれ、ここで大切なのはその出自ではない。
どちらの説が正しいにしろ、
清原一族はつねに倭人に顔を向けて世を渡って来た蝦夷、
という点に注目していただきたい。
つまり、蝦夷という危うい立場の利害得失を考える際、
朝廷権力の代行者的立場をとることで
一族の繁栄をはかってきた、
というところに清原一族の特質はある。

朝廷は、「夷をもって夷を征する」という策を
何百年にもわたって征夷の根幹としてきた。
つまり、自分たちの槍の穂先となって戦う蝦夷には、
姓と官位を授け、貴族に連なる席に座らせてやる策を
とってきたのである。

誇りのある蝦夷は無論やらない。
しかし、現実的な判断を優先させる蝦夷は、
自らの生き残りのために
「誇り」などという腹のたしにならないことは
問題にしなかった。
喜んで朝廷の手先となり、同族蝦夷を討った。
清原一族とは、そういう蝦夷の典型だった。
そこが安倍一族とは本質的に違う。
安倍は、自らの尊厳を守るためには、
その力を必要とあらば倭人に抗う方向に用いる。
しかし、清原にとって大切なのは
尊厳ではなく実利である。
実利のためには、持てる力をさながら
商品のように倭人に売ることも辞さない。
どちらの価値観を良しとするか、
意見の分かれるところだろう。