不戦の王 4 闇の陰陽師

<目次>
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「英雄モレは男ではなかったのか」
毛無の首長、酋刈乙比古が、その夜、男の泊まる半竪穴式の小屋を訪れた。
乙比古は、五十歳ぐらい。額が後退してはいるが、いまだにボリュームたっぷりの肩までの総髪。髪の色はこげ茶。天然のウェーブがかかっている。ローマン・ノーズ、深く窪んだ二重の目、薄い唇、白い肌。もみあげ、口ひげ、顎ひげがひとつながりになって顔面を覆っている。コーカソイド(白色人種)系縄文人の血を濃く遺す毛無一族の典型的な容貌だった。
小屋の中には獣脂を燃やす明かりが一つ揺れている。土間には莚。莚の上には熊の皮が二枚。そこに莚を折り重ねて包んだ、いまで言えばクッションのようなものを置き、二人はそれに寄りかかって脚を投げ出し、リラックスしている。
「私に意識がなかったのは残念なこと。私も英雄の言葉を聞きとうございました」
「老婆であった、女であったぞ、モレは。参謀なら、副将なら、男であろうが。女が戦をするのか」
「モレは、毛無一族とは血の近い、赤頭(あかがしら)族であったと聞いております。あの蝦夷は女も戦場に出ると」
「なんと! モレは赤頭? そうであったのか。それで得心いったぞ。同じ血につながるからこそ、モレはああして我らのもとに現れたのじゃな」 
赤頭族とは、紀元後、古墳時代以降に渡来したコーカソイド、紅毛碧眼の蝦夷のことである。
似たような人種でも、毛無の祖先の渡来はその遥か以前。地球の温暖化と共にシベリア方面からいっせいに下った民族の分裔ではないかと思われている。それが正確なら、毛無は、西アジアの大河流域で人類の第一文明を展開した文明人たちと同じ仲間ということになる。

昨今。
眼の虹彩や遺伝的ウィルスの研究から、日本にはモンゴロイドだけでなく、古くからコーカソイドが土着していたことが立証されている。
それも、とくに東北地方に住む人々にコーカソイド因子の検出されることが多い、との発表である。
そのことは、室町末期に編纂された『人国記』の中でも、陸奥の人々のことを
「色白くして目の色青きこと多し」
と描写されている点とも合致しており、とても興味深い。

「栃の木のあの婆さまが、そのような英雄であられたとは。しかも、同じ血につながるお方とは。いやあ、驚いたぞ」
「モレの霊は、陰陽師が現れるのをずっと待っておられた、そのように思います。言霊をその唇に宿らせようと」
「…い、いま、いまその口でなんと言われた。陰陽師とな? そう言われたのか。おぬしは、では、陰陽師だというのか!」
「正しくは、そうではありませぬが。陰陽師とは倭人の国の官職の名。私は朝廷に仕えたことはありませぬ。しかし、私は宮廷陰陽道を学びました。それゆえ、陰陽師と呼ぶ場合は、闇の陰陽師とでも」
「闇の陰陽師か。闇であろうと白昼であろうと、陰陽師は陰陽師じゃ。いやはや驚いた。なんというお方と出会わせていただけたものか。陰陽師とわかっておれば、こんな片隅に置くようなことはせなんだものを。誠に失礼いたした。陰陽師を客人に得られたこと、これは毛無一族にとって天の助け、天佑じゃ。して誰に学ばれた、宮廷陰陽道なるものを」
「安倍晴明(あべのせいめい)の一門となって」
毛無の首長は陰陽師だけでも充分驚いていたのに、またまた強烈なパンチを喰らってしまった。しばらくは唸り声をあげるばかりで言葉も出ない。
安部晴明といえば、京の最高権力者、藤原道長を助け、彼を怨霊から守り、天寿をまっとうするまで政権を独占させ続けた当代一の天才陰陽師だった。晴明がいたからこそ道長が権勢を誇れた、そう言われていた。
その晴明が死んでもうかなりになるが、人智を超えた呪術の噂は、交易に訪れる商人を通じて化外の地にまで知れ渡っており、死後は天界の帝王に昇進したと本気で喧伝される始末だった。
ノーベル化学賞と物理学賞と医学賞をまとめて取ったって、はたして安倍晴明ほどの尊崇を集めることができたかどうか。
「神や仏に頼んでも事はなかなか成就せぬが、晴明なら確実にまことを顕してくれるからのう」
そういう信頼を時の最高権力者から得ていたのが安倍晴明である。
その一門というだけで、「畏れ多い」ということになる。乙比古が心底びっくりしたのも当然至極だった。
「それで得心いった。晴明の教えを受けたおぬしにとっては、きょうの預言の術など、いともたやすいことじゃったろう。いやあ、お恥ずかしい。これまでの非礼、一族を代表してお詫び申す」
乙比古は投げ出していた脚をにわかにたたんで姿勢をあらためた。
「さあ、一献差し上げよう。朱鳥をこれへ呼び申そう。いや、二尾の方がよかろうか。なあ、陰陽師殿、どちらを娶っていただけるのであろうのう」
男は言葉を詰まらせ、珍しく内心の戸惑いをその目に表わした。が、乙比古は委細かまわず小屋の外に向かって大声を発し、二人の娘に言って大急ぎで酒を持って来させるよう命じた。
「どうか、おかまいなく。私のからだは酒をあまり受つけませぬ。それに、もう夜も更けてまいりましたゆえ」
「なんの。少しはつきおうてくだされ。娘たちも喜び申す。で、よろしいかな。そのう、そろそろお名前を聞かせていただけぬか」
「さよう。いつまでも名無しというわけにもいきますまい。では、闇の陰陽師ゆえ…八つの身体、ヤミではいかがでありましょう」
「八身…八身か…それは陰陽道で八つの身に変わることができるという謎かけか」
「いや、それは…」八身と名乗った男は苦笑した。「そのようなことより、私にはどうかこれまでどおりにしていただきたい。さあ、膝を崩して、お楽に」
「そうはいき申さぬ。陰陽師ほどのお方に膝など崩せましょうか。それに、本名を言うことがはばかられるということは、よほどのご事情とお察し申す。強いては訊かぬことにいたしましょう。では、今後は八身のお方と」
乙比古はすっかり言葉まであらたまってしまった。
「ところで、京におられたなら、南で始まった安倍一族と朝廷との戦について深い話をお聞きおよびでござろう。どうか存じよりのことをお聞かせ願えぬか。モレの言葉、実行に移すにしても、しかと状況を呑み込んでからのことにいたしたいのじゃ」
八身と自称した男も、そこで乙比古に合わせ、投げ出していた脚をたたんだ。
「それでは、その前にまずは私の唇を借りてモレの語ったこと、それをお聞かせ願えまいか」
「おお。そうじゃった。八身のお方は、そのとき魂が脱けておったのじゃな。喜んでお話し申そう」
乙比古は、さっそく磐具母禮の言葉をくり返した。聞き終わると八身は言った。
「なるほど。安倍の合戦に加勢せよと…なるほど」
八身はそれから、ほの暗い小屋の中で視線を遠くに放った。
「北の騎馬軍団が馳せ参ずれば、安倍一族にとって、これほど心強いことはありますまい」
「お尋ねするが、そもそもこの戦、どちらがどう仕掛けたのであろう。噂によれば、安倍の惣領、貞任殿が国府の役人の娘を権妻(正妻でない妻)に所望し、それを断られた腹いせに夜襲をかけたことが発端とか」
八身は薄い微笑を浮かべ、首を静かに右左した。違います、とその目は言っていた。
「真実は、陸奥守をあずかる源氏の一党が、蝦夷の金山を奪わんとして策略したこと。これは黄金戦争と聞いております」
と…そのとき。
まず長身でグラマラスな朱鳥が、そしてその後ろに半分隠れるように、だが目だけはしっかりと八身を見つめている小柄で細身な二尾が、酒膳を戴いて入って来た。
八身はそのとたん、日頃の落ち着きからは想像もできないはにかみを見せ、まぶしげな目を朱鳥に、二尾に、それから再び朱鳥に走らせた。