不戦の王 6 負けないための軍略

<目次>
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「源氏の将軍頼義は安倍頼時殿の亡くなられた混乱につけいろうと、しきりと増兵をいたしておるもよう。いまこそ毛無に頼むべき時と存じ、毛無の怨霊鎮めをいたしました。毛無の首長、酋刈乙比古は、明朝、貞任殿を訪ねて参ります。宗任殿にもお話ししたことでござるが、あの怨霊は、赤頭のモレであったということにいたしましたゆえ、何とぞ話を合わせていただけますように」
八身は、そこでモレの口に語らせたことにした言葉をもういちど貞任にも伝えた。
「宗任より、あらましは聞いておりましたが」貞任が言った。「怨霊鎮めを利用して、毛無の民を味方に引き入れるとは、よい嘘をつかれた。聞けば、朝貢の品も言い当てられたとか。さすがでござるな」
「いや。あの怨霊をモレというのはたしかに偽りでござるが、いにしえの赤頭の女戦士の霊であったこと、それは事実にござりまする。朝貢の品を言い当てたのは、過日、乙比古の目録をひそかに読み取っていたからのこと。私は安倍晴明のように、目に見えざるものを透視することなど到底できませぬ」

軍略の会議は、正任にかわって八身が参加して続けられた。
正任は、本人の言のとおり、むこう向きに柱に縛られている。何もそうまでする必要はなかったが、貞任はある意図を持って正任に煮え湯を飲ませているのだった。
「北の蝦夷の中でも抜きん出て勇猛な毛無が味方してくれれば、負けぬ戦がしやすくなる。ありがたや。毛無の駿馬を縦横に使うてみしょうぞ」
宗任の勢い込んだ言葉に、そのとき、正任が背中を向けたまま毒づいた。
「毛無の馬を頼みにするぐらいなら、この正任の力を頼めっ」
貞任が振り返りもせず言った。
「まだわからぬか、正任。宗任はそういう意味で言うたのではない。血を流すために毛無を頼むのではないのじゃ。なんど言えばわかる。血を、できれば一滴も流さずともすむよう戦いたいのじゃ。そのために、毛無の手配する豊富な駿馬が役立つ、そう宗任は言うたのであろうに」
八身は兄弟のやりとりをあえて無視して、話を先に進めた。
「源氏というのは、元をただせば山の民。すなわち金銀や鉄や銅などの採掘により財をなした一党にございます。そのことはご承知かと存じまするが」
「そのように聞いております」貞任が答えた。
「では、大江山の鬼退治の話は?」八身が話を進めた。
「大江山…」宗任が興味深げに言葉をはさんだ。「あの酒呑童子の大江山でござるか」
「さよう。その大江山でござる。巷では、亡き藤原道長が源頼光を召し出して、大江山の鬼、酒呑童子を退治させたとたいへんな評判でありましたが、なんのなんの。真実は、最高権力者藤原におもねる山の民の源氏が、大江山の鉱山を藤原のものになるよう段取りし、それを世間には鬼退治などという空恐ろしい話として喧伝したにすぎませぬ」
「ほう。それは知らなんだ。ということは…そうか!」
宗任は突如、知の稲妻に捉えられ、兄貞任を視た。貞任は弟の脳中を感受して深くうなずいた。八身は続けた。
「お察しのとおりでござる。このたびの戦の背後にも、大江山と同根の企みが潜んでおるとみて間違いありますまい。天皇や公卿たちには朝廷に謀反の謀計ある安倍氏の征伐、そう思わせておりますが、実態は関白藤原頼道の私利私欲から出た私戦にすぎませぬ。関白の本願は安倍の生滅にあるのではなく、蝦夷の山に眠る黄金を自分のものにする、ただその一点にあるものと察せられます」
「大江山と陸奥が同根であったとはのう。そこまでは思い廻らせなんだ」貞任が頭をゆっくり右左した。「父の関白が大江山でやったことを子の関白は陸奥でやる、か…」
八身は自分の言葉が貞任の胸の内で熟し、臓腑に収まるのを待つかのように間を取った。やがて貞任が言葉を継いだ。
「うむ…ということはじゃ…頼通としては、陸奥の黄金が源氏によって入ろうと、安倍によってであろうと、はたまた出羽の蝦夷清原からであろうと、その手立てはどうでもよい。そういうことになりはすまいか」
「ご明察。よくぞお気づきなされた。関白の腹をそのように読み解くことが、この合戦の喉頸になろうかと存じます」
「なるほど。なれば、我らの勝機はまた別なところにも見えてまいりまするな。これはおもしろし。その利害を衝く方策をぜひに考えてみせましょうぞ!」
貞任、珍しく声を張り、そしてすっと背筋を反らせると、遥か京を去来させた。

北上山系は、もともと餅の形をした餅鉄(べいてつ)という高純度の鉄鉱石の産地として知られ、そこから三陸に流れ落ちる川には砂鉄があふれていた。そういう貴重な産鉄地帯なのだが、ただ鉄に関して言えば、中国山地の各所をはじめ、近江、岩城(現、福島県)などでも多量に産出する。希少価値という意味では、陸奥の専売特許というわけにはいかなかった。
しかし黄金となると、この時代、陸奥のほかは対馬で少々産出するのみ。だから、朝廷にとって蝦夷は、いつまでも「まつろわぬ民」であっては困るのだった。なんとしても完全皇化を実現させねばならない民なのだった。
おりしも京は末法思想の真っ盛り。
貴族たちはこの世に極楽浄土を造ろうと、浄土式寺院を競い合うように建立していたが、「金こそ御仏の血肉」という病に侵されているため金がいくらあっても足りない。
「早々に蝦夷を征伐し、陸奥の金を残らず京に運ばせよ!」
「京の都を光り輝く今生の極楽に変えるのじゃ!」
現代人の感覚では、とても正気の沙汰に思えないだろう。が、これこそが当時仏道に帰依する者たちの熱情なのであり、そしてその噴き上がるような信仰心の直接的な受け止め役が、ほかならぬ陸奥の国守なのだった。
その陸奥守。
いまは源頼義である。
鉱業を得意とする山の民の源氏が採鉱の最高責任者となっていた。
しかし…。
この頼義。山の民の系譜だからといって、自分が直接差配をするわけではなかった。陸奥守は代々、間接統治をもっぱらとしていたからだ。
陸奥には、誰もその果てを知らないほどの山野が折り重なっており、そこに朝廷からは山夷、海夷と蔑まれる得体のしれない民族が跳梁している。もし直接統治しようとすれば、その言語や習俗、人数など、実態の掌握だけでも十年、いや二十年かかるかもしれない。
「ならば安倍に…」
蝦夷の長、安倍一族に郡司という役職を与え、諸部族の管轄を委ねるのが賢いやり方ではないか。そういうことになっていた。
産金も、そんなわけで郡司の安倍に丸投げしてあった。
ただ。
その安倍もまた自ら掘るのではなく、採鉱はそれを生業とする部族に依存していたのだった。
つまり。
安倍は生産者と消費者の間をとりもつ流通業者のような立場にあり、その役割を陸奥守から見れば、安倍が朝廷に献上する金の量を好き勝手にコントロールできる、いや現にそうしているに決まっている! そういう疑いを当初より抱いていた。
陸奥守は、したがって、金が納められるたびにしつこく安倍を追及するのが常だった。
「こたびの金、真実これだけか。もそっと掘っておるのではないか」
しかし安倍貞任の答はいつも同じ。
「平城の都の御代より朝廷に金を献上して幾星霜。陸奥の金山も痩せ細ってまいりました。これ以上の金は、いましばしお待ちくだされますように」
それは紛れもない事実なのだった。しかし京の都からのプレッシャーを一身に背負っている陸奥守、そんな返答で引き下がれるわけがない。
「いいや! そうではなかろう。この源氏の目をあざむこうとするとは太々しいやつ。朝権の及ばぬどこぞに隠し金山があるのはわかっておるぞっ」
「滅相もございませぬ。いまや、そのような金山は陸奥の天地をひっくり返しても出てくるものではござりませぬ」
しかし、言葉の戦争では、いつまでたってもらちが明かない。で、結論は必然的にこういうことになる。
「さようか。では、その言がまことか否か、陸奥という財嚢(ざいのう)を裏返しにして叩いてみるしかなかろうのう」
黄金争奪をテーマとした戦いの扉は、このようにして開かれていったのだった。

「私の思うところは…」八身が言った。「この戦、安倍対源氏ではなく、蝦夷対倭人の戦いにすることは一方で大切なことでござるが、もう一方では、藤原と源氏、それに平家を加えた倭人の巴戦につけ入ることも肝要かと…」
「ほう。それはまた、なんと。蝦夷対倭人だけではのうて、倭人のなかの巴戦も利用せよと?」
貞任が八身の発想に驚き、声を張った。
「さよう。藤原が平家を源氏の牽制役に使うて、源氏の伸長を抑えておるのはご承知のとおり。藤原は武にすぐれた源氏の力をいま以上に伸ばさぬよう心魂を傾けております。そういう藤原の立場に添うて、安倍一族安堵の活路を見出す、言葉を換えれば、安倍は関白藤原頼通の懐中に入って戦うのがよろしかろうかと」
「なんと、頼通の懐中に入れと?」
貞任はさらに驚きの声をあげた。戦う相手の懐中に入れとは、なんということを。八身は平静に続けた。
「いわば手先になるのでございます」
「先を進めてくだされ」貞任が言った。「八身のお方。そこまで踏み込んだ話をなされるとは、京において相応の話を引き出されたということでござりまするな」
八身は貞任の目の芯を見てうなずき、そして続けた。
「手先と申しましても、戦の手先ということではござらぬ。戦では、安倍はあくまで藤原の敵。そうではなく、この戦を始めた関白の真の狙い、その実現にひそかに手を貸してやる。それが手先になるという意味にござりまする」
「真の狙い…陸奥の黄金を独占する…その一事」
貞任がつぶやいた。
「さように存じます。故に、ここからが本題でござる」
貞任、宗任、ともに身を乗り出した。
「どうぞ先を急いでくだされ」
「関白にとって、蝦夷が手柄を立てるについては、いくら立ててくれてもよいはずと存じます。なんとなれば、蝦夷は天皇の都を乗っ取ろうなどとは考えておらぬ、つまり蝦夷には、金輪際この地を出るつもりがないと考えておるからでございます。ところが、この戦についていえば、安倍がたやすく負けてしまうと源氏の評価が高まりすぎ、藤原にとっては悩ましき結果となります。そこで、関白頼通にとって最も好ましき展開を考察いたしますに、源氏が蝦夷にてこずって評判を落とすか、源氏ではない勢力によって安倍が滅びること、それが第一。第二に、源氏が藤原にもたらそうとしていた黄金は、源氏のおかげではなく蝦夷から…と申しましても黄金に倭人と同じ欲を抱く清原蝦夷は論外として…安倍から受け取ることが最善ではないのか。そのように見当いたしますが、如何」
「その前に」貞任が話を押しとどめた。「その源氏ではない勢力によって滅びるとは? き、よ、は、ら、によって…?」
「さよう。それが関白頼通の真の腹の底ではありますまいか。源氏でも平家でもなく、清原蝦夷によって。したがいまして、もしもその関白の意にそうように…すなわち懐中に入って我らがこの戦をおさめれば、頼通は必ず安倍の血を安堵してくれることでありましょう。それを実現するのが盟主のお役目かと存ずるしだいにござりまする」
「おお、おお。ようくわかった。ありがたや。よくぞそこまでの話を読み解いてくだされた。心よりお礼を申しあげますぞ」
貞任は八身の膝に触れんばかりに、深く頭を下げた。宗任も急いでそれに倣った。
八身は恐縮するかと思いきや、そうでもなく、かといって胸を反らすでもなく、ただ淡々として二人の礼を受けた。

そのとき。
ずっと黙していた正任が首を捻じ曲げてわめいた。
「やい、兄じゃ。頭を下げる必要はないぞっ。いまの話は、源氏の体をかわしたあと、藤原にしっぽを振れというだけの話ではないか。源氏を退けたあと、藤原がこんどは平家を使うて攻めてきたら、どうする気じゃ。仮にその平家の体をかわしても、次はまた源氏が差し向けられるぞ。安倍は永久に藤原に搾り取られるぞいっ」
「正任。おぬし、眠っておったのではなかったのか」
貞任がおっとりとからかった。
「たわけたことを。この縄をほどけいっ。わしを誰じゃと思うておる。いまは五郎正任じゃが、次郎正任であったやも知れぬ男ぞっ。ほどけ、さあ、縄をほどけ、貞任っ」
「ならぬな。おぬしにはただそうやって話を聞いておいてもらう。おぬしの言葉は少々きつすぎるでな、この柔い耳を突き破ってしまうわ。ははは…」
「よっ、よくもっ」
正任は真に受けた。貞任は、正任に言った言葉がわざとであったことがわかる程度に、宗任に向かってほほ笑んでみせた。それから、八身との話に戻った。
「まことに、ありがたし。いまの話でようくわかった。わしは清原と会おう。出羽の清原と腹を一つにして源氏を操り、関白藤原頼通と対等の取引きをする手立てを考えましょうぞ」
「それがよろしかろうと存じます。まずは清原と同じ絵を描くことが肝要。そうやって、源氏や平家、藤原ごときは手玉にとってやる。それが安倍らしき仕業ではありますまいか」
「そういうことでござるな」貞任は深くうなずいた。「なあ、正任、そういうことなのじゃ。やたらに刀を振り回し、矢を射掛けるだけが戦ではない。知恵を使わず、ただ殺し合いをするとな、けっきょく人数のある方が勝つ。人数はどちらが上か、考えてもみよ。朝廷の差し向ける援軍が、抜きさしならぬほど膨れ上がる前にこの戦の始末をつけるのじゃ。力対力で負ける破目にならぬようにな。そこがこの合戦の喉頸である。ここまでの話、わかってくれたか」
「わからぬっ。断じてわからぬはっ」正任は縛られた柱ごとからだを揺すって叫んだ。「きさまの言うことは、けっきょく血を流すのが怖うて逃げ回る臆病者の言にしか聞こえんわっ。朝廷がいかに大軍を差し向けようと、わしには、狭隘な北上の山地に引き込んで、動きが取れぬようにしてやる手立てがなんぼうでもある。大軍を相手にした戦のしようは、かのアテルイが手本を見せてくれたであろうが。わしはそのアテルイ以上の戦いをしてみしょうぞっ」
正任は、アテルイとモレを将にした数百人の蝦夷軍で、十万を超える朝廷軍を翻弄した二百五十年前の合戦のことを言っているのだった。
「そうか。それほどに言うなら、では宗任、縄を解いてやれ。宗任、どうした、縄を解け。そして、好きなところに行かせてやれ」
「よいのでござるか」宗任はまだ迷っていた。「猪突して、犬死にしますぞ。よいのでござるか」
「い、いま、なんと言うた、宗任。その言葉、ようく覚えておけ。犬死にじゃと? たわけ。蝦夷とはどう戦うものか、きさまに見せてやるっ。歌を詠んでも、首は取れぬぞ。源氏をその口先で追い返せるものなら、追い返してみよっ」
正任の縄が解かれた。いや解きかかったと思ったら、もう正任は自ら縄を振りほどき、座を蹴っていた。
「きょうの仕打ち、忘れぬぞっ。六郡の安倍は、正任と貞任、いずれにつくか、はっきりさせてやる。見ておれっ」
正任は綱を引きずり、床を踏み鳴らして去った。
 
「よいのでござるか、兄じゃ」
「何が?」
とぼけて、貞任が応えた。
「安倍が割れてもよいのでござるか」
貞任がにっこり宗任に笑いかけた。
「四郎照任、おっといまは僧の官照であったな。官照から六郎、七郎、八郎、九郎への話はよう通じてある。案ずるな、宗任。皆、腹は一つなのじゃ」
「では、やっかいな正任は見捨てられるということか」
「何を言う。そうではない。わからぬか」
「恥ずかしながら…」
「今後の正任の言動、時をおかず敵に知れよう。敵は、安倍に亀裂が走った、ありがたや、そう考える。そして、孤立した正任を真っ先に衝いてくる。わざと隙をつくったのじゃ、宗任。そうすれば、敵の攻め手が手に取るように見えようが。正任には気の毒じゃが、囮になってもらう。なあに、あの正任、そうやすやすと負けはせぬわ」
「それで…それで怒らせ、縛り上げたのでござるか…」
「それだけの役目ではないが。正任には、後々あの勇武を利してやってもらいたきことが山ほどある。正任でなければ興せぬ安倍がある」
「正任が安倍を興す? あの勇武を使うのでござるか、あの正任の勇武を? まさか、安倍の戦を血で染めるのではござるまいな」
貞任は静かに首を左右してから、八身の方に向き直った。そして、姿勢を正し、あらたまって両手をついた。
「兄上。どうかこののちとも、くれぐれもよろしくご指導くださいますよう、衷心よりお願い申し上げまする」
「…あ…あ…あに、う、えっ?」
あっけにとられて、宗任が八身と貞任の顔に忙しく視線を走らせた。貞任はそれを見て、さも楽しげな笑みをもらし、それから言った。
「このことは、わしに慮外のことが出来(しゅったい)した際、安倍の才知と軍略を担ってもらわねばならぬそなたゆえに聞かせた密事である。時が来るまでは口外無用。よいな」