不戦の王 22 奇襲遊撃隊

<目次>
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驚いたことに、供を七騎連れただけで、源義家が清原軍に追いついてきた。
追いつくや、頭ごなしに怒鳴った。
「征夷大将軍に代わって目付けをいたすっ」
義家は武則以下、清原軍の横暴にはらわたが煮えくり返っていた。父、頼義の言わんとすることはもとよりわかっている。しかし、源氏の尊厳がそれでは丸つぶれではないか。結果さえよければ、プロセスなどどうでもよいということなのか。今ふうに言えば、そういうことである。義家、成果主義の持つ代表的な欠点に、千年前にぶち当たっていた。
だから思った。
「せめて源氏の目の行き届くところで戦わせてくれよう!」

他方、武則としては、目付け、つまり戦い方を監察される筋合いなどまったくない。この戦、頼義との間では清原が仕切ることで暗黙の了解ができている。若造になど文句を言わせるものか。
しかし。
それをこの血気盛んな義家に話して時を費やす余裕はなかった。
しかも、義家の一騎当千の武勇はよくよく承知しているし、源氏軍七万の副将格でもある。やっと戦が再開されたこの時点で、源氏とこじれるのは得策でない。
(尻をまくるとしても、それは戦いの趨勢が決してからのことじゃな)
武則、無視することにした。
「お気のすむようになさるがよろしい。出羽者は同じ蝦夷でも陸奥者とは違うてござる。ご存じか。我ら出羽者は海の向こう、北狄(ほくてき)の血脈。戦い方の違いをとくとご覧あれ」
武則は武士というよりは、まるで公家におべっかを使う交易商人のような狡猾な笑いを垂れた頬に浮かべていたが、言い終わるや否や微笑を消し去り、プイと背を向けた。

清原武則は、なんと奇襲用の遊撃隊、いまでいうところのレーンジャー部隊を組織していた。
大軍で衣川館を攻めるのをやめたのである。
なかなかの戦術家だった。いや、そこが大陸の北辺にいて隋や唐を悩ませてきた北狄の血脈ということか。
それは急峻な山を背負い、大小の奇岩が連なる淵に着いて、そこに三万の大軍が渡れる橋をかけ終わるまでの時間を想像したとたんに思ったことだった。橋を架け始めると、どんなに急いでも一日はかかるだろう。武則は躊躇なく命じた。
「速攻あるのみ。衣川を落すに数はいらぬ。大仰な橋など無用。すぐさま身の軽き者、百人を選び出せ。ただし弓の達者でなくば、この任は無理ぞ」
さっそく清原の中でも屈強俊敏で、日頃から弓術に優れたと評判の精鋭が選抜された。
その間に、八身の渡った朽ちかけた倒木に代わって、生木がたった二本だけ渡された。
淵に着いてわずか七、八分後。
武則親子と百人のレーンジャー部隊はもう出発していた。先頭で道案内するのは八身。レーンジャー部隊には、義家とその七人の配下も最後尾から同道した。
「革紐を解かれよ。この崖を手も使わず登れとは、猿にでも無理であろう。それに、着るものをくれ。あの源氏の目付けに、蝦夷というのは、獣のように裸で野山を走る蛮人だと言われてもよいのか。事情を知らぬ源氏は、後日必ずそう言うて出羽者を笑うぞ」
八身はわざわざ義家の方を振り返って言った。
「まあ、よかろう。かえって足手まといになってものう。こやつの言うたようにしてやれ。ただし、逃げたら殺す。よいな」
「よいはずがなかろう。殺されると言われて」
「ならば、逃げぬことじゃ」
レーンジャー部隊は駆けに駆けた。六十に近い武則も、さすが出羽の蝦夷に君臨しているだけのことはあって、屈強な百人の間に入って駆けた。
レーンジャー部隊も武則たちも、短甲または「みじかよろい」と呼ばれる胴から腰にかけて密着する、現代で言えばベストのような短い甲に、卵を顔の部分だけくり貫いた形の兜を被っている。軽装である。古代ギリシャ、ローマ時代にも同類のものが見られる機能性を重視した防具だった。
だから速い。藪の生い茂る森もなんなく駆け抜ける。
しかし、後ろからついて来る義家たち源氏の計八名は、戦国の武者絵でおなじみの騎馬戦を前提にした重装備の大鎧。しかも、鹿の角のような前立てのある兜が枝に引っかかり、なかなか思うように前進できない。源氏軍の中でも剛勇なことでは抜きん出た八人だったが、時間がたつにしたがって、レーンジャー部隊との距離があいてしまった。
武則ははるか後方の義家たちを見下ろして言った。
「まるで手足をもがれた熊がもがいておるようじゃ。皆の者、笑うてやれ」
百人のわざとらしい嘲笑が義家たちに届いた。
義家は嗤われても大鎧と兜を脱ぐわけにもいかず、ただただ必死の形相で追いすがるのみ。胸の内には、いつの日か必ず清原一族の息の根を止めてやる、その思いだけがみなぎった。
打算だけで手を組んだ清原と源氏。
その敵意は最初からすでに決定的なものとなっていた。

武則たちはついに衣川館の裾を形づくる山腹に身を伏せる場所にまで到達した。
館からは弩を撃ってこない。
いないのか。
接近に気がつかないのか。
レーンジャー部隊は地を這うようにして、さらに接近する。高さ6メートルもの館の築地塀がしだいに迫ってくる。角々にある櫓には、見張りの兵の姿が遠望できる。
射程に達すると、三十人ほどが火矢の用意をし、さらに前進する。六十人は三人ずつ一組になり、櫓の見張りを狙い射る組、塀を登り内部に侵入する組に別れ、森の中に散開する。武則のまわりには十人。八身ももちろん武則のそばにいる。
「おい、そこな坊主。まこと照任であったなら弓は引けよう。そなたの父、安倍頼時の魂が宿る衣の館を炎に包む合図をば、実の子にやらせてやろうわい」
武則は嫡男武貞の手から鳴箭(めいせん・鏑矢。鳴り矢)を取り、八身に押しつけた。
「どうじゃ。貞任はまだこの中におるのか。肉親のおまえが尊崇する兄を焼き殺しにする第一矢を、ホレ、放つのじゃ!」
八身は平然として鳴箭を見た。凍ったような目をしていた。
しかし、武則の言を拒むでもない。黙って鳴箭を受け取り、静かに弓につがえた。
意外な面持ちで武則親子がそれを見ている。八身は表情に心の内の何も表さず、天に向けきりきりと弓を引き絞った。そしていよいよ放つかに見えたその瞬間、突然それを武則の眉間に向けた。
「いかに鳴り矢であっても、この距離なら額の骨を砕くことぐらいはできよう。試してみるか」
武則をかばって三人の配下が素早く八身との間に立った。武貞、武道は抜刀し、八身に迫った。
「ははは。また大仰な。戯言(ざれごと)でござるよ、戯言。清原の衆は血の気が多い」
八身は軽やかに笑い、それから再び矢を天に転ずると、こんどは躊躇なく、ひょうと放った。
鳴箭が風を鳴かせる一種哀感のある音を合図に、まず四囲の櫓の見張りに矢が放たれた。見張りが崩れ落ちたのを見届けると、いっせいに火矢が塀内に向かって降りそそぎ始めた。
火矢は桧皮葺の屋根をたちまち炎に変えた。潜入組は火の手があがったのを確認すると、築地塀に縄梯子を投げ掛け、土蜘蛛のように館内に進入し始めた。鬨の声をあげるでもない。無言の戦闘。
そのときになって、ようやく源氏の八人が到着した。
義家は、目の前の戦がどのようなものであるかを見て取ると、吊り上がった眉を上げ下げし、顔貌を朱に染めた。
それは、倭人の戦い方からすると、貴族の屋敷を襲う夜盗の仕業となんら変わりがなかった。
義家に言わせれば、正々堂々と名乗り合い、一族の命運を賭けて大将が槍を交えるのが戦だった。あるいはすでに二百年も前に中国から伝来している兵法にのっとり、双方が鶴翼、魚鱗、方円といった陣立てを工夫し、わたり合うのが戦というものだった。
大仰な鎧兜も旗印も馬飾りも、すべては自軍の威容を誇るための小道具で、ただ勝てばよいのではない。そこには智略があり、美学があり、かつ精神の荘厳さに満ちたものであらねばならない。それが義家にとっての戦というものだった。
(なのに、なんじゃ! 清原は、こそこそと、まるで盗っ人のように!)
義家はその思いを口に出しかかり、しかし父頼義の言う「夷をもって夷を征す」という言葉を思い出したくもないのに思い出した。義家は憤然として腕を組むしかなかった。
「おお。間に合われたか、義家殿。これが出羽者の戦でござる。土蜘蛛のように這い、声もなく殺す。肝心なことは、おのれはできるだけ戦わぬことでござるよ。緒戦ですでにご存じであろう、我らの戦いようは。いたずらに命のやりとりをする倭人の流儀など愚かなことじゃ。そうではござらぬか」
武則は、義家の心中を見透かして、その怒りにさらに油を注いだ。
八身も義家と同じく腕組みをして、衣の館の上げる炎を見ていた。半眼にした目の奥の感情はわからない。炎の勢いは時とともに激しくなる。おそらく、塀を越えた者たちが屋敷内に火を放ったのだろう。
安倍一族の聖地ともいえる衣川館が焼け落ちようとしていた。父頼時が、奥六郡を預かる者の南限の砦として、朝廷勢力とあるときは融和し、あるときは対峙してきた聖域、衣川館がこの世から消えようとしていた。
しかし。
八身は動かない。それどころか、やがてその目にいつもの清水を汲み取ったような涼やかな光を戻すと武則に言った。
「私の役目はどうやら終わった。もう自由にしていただこう」
「ぬしの言うておったとおりじゃな。弩で足止めをくっておる間に、安倍の本隊はすでにここから去ったとみえる。ほれ、あの櫓を見よ」
武則はいちばん近い櫓を顎でしゃくった。そこには武則の配下が、先に矢で射た見張りの兵を抱え上げ、こちらに向けて何かを指し示していた。それは見張りの頭部に向けられていた。武則の配下は、刀でその頭部を苦もなく真っ二つにした。
「瓜じゃな。ユウガオに化粧して目鼻をつけたのじゃな。貞任のやつ、からかいおって。ここまでおいでと逃げて行ったか」
「そうではござらぬ。逃げておるのではない」八身が白々と言い放った。「それが安倍の戦い方と心得られよ。戦わずして勝つ。あるいは決して負けぬように戦う。それが安倍の勝ち方なのじゃ。とくと存じおかれよ」
八身の目には清原の総帥を眼下に見るように光が宿っていた。源義家がそのとき蝦夷同士の話に口をはさんだ。
「そこな坊主、道案内をしたようであるが、何者なのじゃ」
八身は義家を一瞬目の端に捉えたが、すぐに視線を切った。無言。武則が垂れた頬をにやりとゆるませ、義家に言った。
「このあたりに住む乞食坊主でござるよ。いや、なかなかの人物でな、この武則もたじたじじゃ」
義家はしばらく八身の横顔を直視していたが、答を得られないまま、やがて目の前の現実に戻った。命令口調で武則に言った。
「火の手はすべての櫓に回った。早う館の内を探られよっ」
「言われるまでもないわ。すでに配下の者が焼け死んだ鼠の数まで数えており申す。ご不審とあらば、その脚をすぐ館に向けられるがよろしかろう」
義家が大顎を噛みしめ、顔貌に再び朱をのぼらせた。しかし、怒りは握りしめられた両拳の中から外に出されることはなかった。義家以下八人は、大鎧を鳴らして館の正面への斜面を登り始めた。

「頼義はこの戦の行方が見えたとき、武則親子を亡き者にする腹である。書面にはそうあったのではないのか」
義家の背中を見送りながら、八身は静かに言った。言っている内容の重大さとは正反対に、それはとても穏やかな声だった。武則の側にいる二人の息子がにわかに聞き耳をたてた。武則は言った。
「ぬしゃ、書状の中身は知らぬはずではなかったのか」
「長い間、兄の使いをしておれば、このときには何を言うか、それぐらいのことは察しがつく。おお、そうじゃ。誰が清原の血を流す役をやるのか、教えてほしくはないか」
「そのようなことが、ぬしになぜわかる…もしや、ぬしがやるのか」
「馬鹿げたことを。もとより源氏が清原を襲うわけにもいかぬ。では誰がやるのか」
八身はそこでわざと一拍おいた。ゆっくりと息を出し入れし、それから言葉を継いだ。
「正任がやる。正任は頼義とすでに通じており、清原親子を亡き者にした報奨を充分に受け取る密約をしておる。正任は貞任に対する恨み、父頼時の不当な扱いに対する恨みから、大芝居をうっておる」
「大芝居じゃと? すでに通じておると?」
八身は、しかしもう応えなかった。
理路整然と信じさせる必要など、まったくなかった。半信半疑でよい。頼義と正任に対する暗い、消しがたい疑念を抱かせること。それだけで充分なのだった。
武則の、半世紀以上も人の企みの中で生き抜いてきた老狸のような眼が、そこに正任がいるかのようにじっと八身の心胆を見据えた。
そのとき武則の胸に滲み上がってきた正任は、過日、生首を抱いて頼義の陣にやって来たときの正任だった。
正任は、貞任軍を破る報酬に日高渡島をよこせとうそぶいた。そして、その交渉が決裂して退出するとき、いともやすやすと頼義を人質にとった。
(いかに十人力と言われる正任でも、あれはいかにもできすぎた退出ではなかったか)
しかも、正任は源氏の陣を出ると、せっかく手中にした征夷大将軍を解き放った。
命を取らなかったのは、わかる。今後の取り引き相手を殺す馬鹿はいないから。しかし、駆け引きの道具にさえ使わなかったのはなぜか。
やはり二人の間には何か密約があるということか?
その事実を呑み下すときが、このいま来たということか?
が、結論は出せなかった。
武則は一考し、それから冷ややかに八身に言った。
「正任は安倍の一族。貞任が統べるべき仁である。災禍を清原に及ぼすな。そう伝えよ」
「伝えよ? …こ、こやつを逃がすので? 照任かもしれませぬぞ。いや、この剛腹ぶり、僧ではない。安倍の照任に間違いございませぬっ」
武道が火のついたような言葉を吐いた。武則は例によって焦点の拡散した視線を燃え盛る館の方角に向け、息子の若さを制した。
「照任でもかまわぬわ。よいか。わしらの敵は安倍ではない。それがわからぬか。わかっておらなんだら、いまここでわかることじゃな」
まだ直情的なだけの息子たちは、投げかけられた謎に、ぽかんとした目を宙に泳がせた。武則はぬったりと続けた。
「我ら清原はいま源氏と共に安倍を攻めておる。だからというて、安倍が敵ではない。陸奥の黄金と鉄を勝手にしたがっておるのは誰じゃ。源氏と、その後ろにおる関白頼通じゃよ。であるなら、わかるか、倭人こそ我らの真の敵ではないのか。え? もういちど言う。真の敵は安倍ではないっ」
二人の息子は、強引に父の道理を呑み込まされた。武貞が抑えがたい気持を表した。
「にわかにそのようなこと、仰せられましても…」
「解せぬか」
「そ、その書状には、いったいどのような…?」
「早う、その書状を見せてくだされ」武道も勢い込んだ。
「せくな。書状の中身はおおむねこの僧の言うたとおりじゃ。安倍はわしに死なれては困るからのう。戦後、細々とでも安倍が血脈を残すためには、陸奥は源氏ではのうて、同じ蝦夷の清原の手の中にあること。貞任にとっては、それがこの戦の要じゃ。であればこそのこの書状。そういうことなのじゃな。え?」
武則は八身の目を身を乗り出すように覗きこんだ。八身、無言。何の反応も浮かべず、ただ見返す。
「ふん」武則は鼻を鳴らし、ますます八身にのしかかった。「ならば…。おいっ、糞坊主っ。貞任に、安倍の盟主なら盟主らしく、この日を境に、自ら正任を抑えるべし。そう言うのじゃっ。我らは敵味方に見えて、そうでなし。武則がそう言うておったと貞任に伝えよ。朝廷に立ち向かう前に、身中の敵、黒沢尻五郎正任を殺せ。さもなくば、正任が真の味方を喰らうぞ、味方の清原を喰らうぞ。それでよいのか。そう言えっ。正任がことは、その地位にかけて貞任が膝下に組み敷け。それを言うのじゃっ。よいか、それが安倍のためじゃ、わかったかっ。わかったら、すぐ貞任の元に走れいっ」
八身はツンと上げていた顎を引くと一礼し、その顔を上げる間をつくることもなく、3メートルを跳んで崖下に転がった。そして、武則たちが一呼吸すると、もう森の中に姿が見えなくなっていた。

武則、これで正任が抑えられるとは、ほんとうは少しも思ってはいなかった。平時ならともかく、もう戦端は開かれている。貞任には、清原と源氏に加え、正任にまで精力を分散できるような余裕はまったくなかろう。それは武則にとっても同様だから、なおよくわかるのである。
しかし、武則が八身に託した言葉。
それは、正任が自分たち清原親子の首を狙う話に何分かの真実味があるかぎり、貞任に対しては、ともかく声を大にして言わずにはおられないことなのだった。気休めにすぎなかろうと、そして敵を味方と言い換える詭弁を弄しようとも、それは貞任にどうしてもなすりつけておきたい一言なのだった。
清原武則。
以後、頼義を深く疑い始め、絶えず正任を怖れる気持を止められなくなった。

衣川館が、そのとき最後の火柱をあげた。
その炎が、一瞬、武則には貞任の嘲笑のように感じられた。
妄想だろうか。
そうではない。
武則は正常な直感を持ったのである。
武則はまんまと貞任の術中にはまった。