不戦の王 25 隠し山

<目次>
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宗任が京を目指している四日の間に、陸奥では、貞任と八身の用意した秘策が次々に実行に移されていた。

「武貞、あれを見よ。あの幟はどこのものじゃ。安倍ではあるまい。安倍に加勢した、このあたりの蝦夷のものであろうか」
武則が長子、武貞をそばに呼んで言った。その目は、2~3キロ前方、北上高地の早池峰山系の裾をなす山腹に向けられていた。
即座に遠目のきく者が偵察に出され、報告を持ち帰った。白地に金赤で蜘蛛の描かれた幟で、騎馬およそ千騎が参集している模様とのことだった。
「さあて。そのように奇怪な幟は初めてでござりまする。我らより前を坂東軍が行くはずはありませぬから…となれば…」
「そうじゃ、そのとおりじゃ。答は一つしかないよのう」
「おそらくは津軽から馳せ参じた馬賊でありましょう。安倍はこのたび大勢の騎馬武者を北から集めておりますゆえ」
「しかしじゃ、いかに馬上手の津軽者とはいえ、あのように所在を明らかにして得になることは何もなかろう。寡兵は奇襲にこそ活路を見い出せる。あの大胆さは、おそらく敵ではあるまいと思うが、どうじゃ」
「そういえば、あの幟、まるで我らに何か伝心をしたがっておるようにも見えまする。なるほど…仰せのとおり、敵ではありますまい。おそらくは寝返った蝦夷が、厨川の決戦を前に我らに合流いたしたく駆けつけた、そういうことやもしれませぬ。すぐ正体を見極めてまいりましょう」
「そうしてくれい。何かもくろみあってのことじゃろう」
武貞は「敵ではあるまい」との安易な決めつけから、わずか百騎ばかりをその蜘蛛隊との接触に向かわせた。百騎はしかし、程なく逃げるように帰ってきた。三分の一は負傷している。武貞は仰天した。
「どうしたことじゃっ。味方ではなかったのかっ」
「そ、それがあ…」
なかなか言葉にならない。まだ、恐怖に震えている。武則も駆けつけてきた。
「どうしたっ。言え、言わぬかっ」と武則。
「は、はいっ。気がついたときには取り囲まれ、こ、このようなことに…。ま、まさ、まさとう、安倍の、正任の軍にござりまするっ」
「なにいっ? あの首を狩り、腹をえぐる正任かっ」
「さっ、さようにござりまするっ」
武則と武貞は思わず顔を見合わせ、それから同時にその目を遠い山腹でまだ揺れている赤い蜘蛛の幟に放った。
「あの貞任の警告、それから乞食坊主、照任の言、やはりまことであったのか。しかし、それにしてもまだ貞任は弟正任を抑えられぬのかっ」
「遺憾ながら、そのように存じます」
正任が頼義と通じている、そして時機がくれば、自分の要求を通すことと引き換えに武則親子を亡き者にする、その警告を二人はいまいましくもまた思い出した。
「しかしのう、その性、いかに凶暴とはいえ、やつらは千騎もおるかどうかじゃ。踏み潰してくれようぞっ」
武則は珍しく感情を面に表し、拳を握りしめた。
「な、なりませぬ、それはなりませぬっ」
直情的なはずの長子が、ここは必死で父をたしなめた。
「我らが正任に向かえば、その間に源氏が何を画策するか知れたものではありませぬ。源氏はこれまで、清原の拓いた道をただ後ろからたどるのみ。この期に及んで、やつらに前を歩かせるわけにはまいりませぬ。あと厨川柵一つで勝敗が決します。正任退治で寄り道するわけにはまいりませぬ。第一の敵は、貞任…」
「わかっておるわいっ」皆まで言わせず、武則は吐き捨てた。「わしに教えてくれずともよいっ」
この正任による揺さぶりが、貞任の秘策の一環であったとは、策士武則もさすがに気づかなかった。

頼義にも正任の掲げる幟は見えていた。
もちろん正任軍とは知らない。しかし頼義はその幟を見て、武則とはまったく別なことに思いを馳せていた。
第一に頼義は、あの幟の背後にある広大な山塊には安倍最大のタタラ、和鉄精錬所があることを知っていたし、第二に、そこにあるのは、
(まこと、鉄だけであろうか…?)
鉄を隠れ蓑にして黄金を掘る山もどこぞにあるのではないか。そういうかねてよりの疑念を屹立させていたのだった。
このたびの合戦で厨川に攻め上る際、頼義は必ずや分隊を早池峰山系に差し向け、日頃の疑念を晴らす決心をしていた。
だから頼義としては、孤軍で突出した蝦夷の幟をみて、むしろほくそえみたい気分だった。
(なぜ他所ではなく、わざわざあの山麓に蝦夷が出るのじゃ。そこに出るということは、あの奥にはやはり警護すべきものがある、その何よりの証しではないのか)
頼義はせかせかと我が子を呼びにやった。

奥六郡には、公になっている鉱山のほかに何か所か、埋蔵量の豊富な金山がある。そのことを安倍は隠している。
それは朝廷、国守、積年の疑念だった。
その隠し山について、頼義はもちろんのこと二期十年の任期中に安倍頼時を追及してきた。
しかし問えば、頼時はもちろん「ない」の一点張り。
「隠し山どころか、陸奥の黄金はもはや底をついております。この国から、東大寺の大仏開眼のため黄金を献上して以来、はや三百年。なくならぬ方が不思議でござりましょう。お疑いなら、どうぞ自らお探しくだされ。あるいは、そこらの金穿(かなほり)大工にでも訊かれるがよろしかろう」
そう言って、茫洋とした笑みを浮かべてみせるのである。
当然、捜索した。
ところが、頼義がこれまで捜索に出した五隊のうち、なぜか一隊だけ帰って来なかった。まったく行方不明。手がかりもない。
金穿大工といわれる鉱夫を拷問同然に問い詰めても無駄だった。彼らは公の鉱山でだけ働く技術者であり、他の山のことはまったく知らなかった。
(しかし怪しい。まこと知らぬのか…)
頼義の疑念は、答がノーであればあるほど強くなった。
(それに、帰って来た隊が何も発見できなんだということは、帰って来れなんだ隊は隠し山にたどり着いた、それゆえ帰れなんだということではないのか)
当然そう考えたくなる。
しかも。
帰れなかった捜索隊の向かった先が、早池峰山系に連なる一帯なのだった。
「義家。ひとつ、あの山を攻めてみようかのう」頼義は駆けつけた義家を上目づかいに見ながら、舐め上げるように言った。「あの幟の先には黄金の眠る山があるぞよ。あそこに潜む安倍こそ、打ち破るべき安倍なのじゃよ。わかるか」
言い終わると、頼義はほんとうに舌なめずりをした。
義家は父がそういう顔つきになるときの心を知っていた。
そこに覗くのは、都で公卿にへつらう商人の心だった。不快げに目をそらせると、義家は腹にたまっていることを早口で一気に吐き出した。
「またしても黄金狂いでござりまするか。いまばかりは、それはなりませぬぞ。そのようなことは、戦いが決してから好きになされませ。いまは厨川柵を目指すとき。厨川の安倍こそ打ち破るべき安倍にござります。これ以上、清原にばかり手柄をたてさせるわけにはまいりませぬ。この戦の最後を源氏の手で決することができなくば、坂東から馳せ参じた七万騎にどう面目をたてられましょう」
頼義はその言葉に黙って首を左右に振り、それから義家の袖端を引いて人けのない繁みまで導くと、ひそひそ声で話し始めた。
「のう、義家。よう聞くのじゃ。武勇を誇りたいのもわかるがのう。この戦の真の狙いはなんじゃ。それを考えてみることじゃ。戦は放っておいても我が方が勝つ。勝てば、征夷大将軍のおる源氏の手柄じゃ。清原なぞ、勝手に走り回らせておけばよいのじゃ。しかしのう、義家、そうやって勝っても、あとに何が残る。子どもの喧嘩ではないぞ。相手が降参したからというて、勝ちにはならぬ。狙いは安倍の秘蔵する黄金じゃ。それを産する山を関白に知られぬよう私することじゃよ。それが、この戦に勝つということじゃよ。そういう勝ちを取れば、源氏が京の公卿を操るのはたやすいこと。源氏の力を伸ばすのは、武勇ではない。よいか。武勇というのは、公卿どもの手足に使われるだけのものじゃ。そうであろう? この戦を見よ。藤原は京でのうのうと歌舞に明け暮れておるというのに、その手足の我ら源氏はどうじゃ。このように野山で貧しい飯を食ろうておる。わかるか」
「し…しかし、我ら源氏は武門の者。藤原とは違うと存じます」
義家が眉を吊り上げ、目を剥いて精一杯の抗弁をした。頼義はその反論を深くうなずいて受け止めた。
「わかる。そなたの気持は、ようわかる。わしも源氏の武を否定しようとしてそう言うたのではない。が、よう聞け。わしの言いたいのはな、その武を藤原に利用されるのではのうて、源氏のためだけに使うという方策なのじゃよ。それにはどうするか。まず源氏が藤原の膝を屈せさせるだけの財を手に入れる、そういうことなのじゃよ。それを得てこそ、この武が生きる。公家どもの槍の穂先になるのはもう御免じゃ。そうは思わぬか。そうであろう? そなたもそう思うであろうが。思うはずじゃ。いや、思わねばならぬ。さっそくあの山の彼方に行け。あそこには間違いのう安倍最大の財宝が眠っておると読む。そこに分隊を遣わすのじゃ」
「分隊を? 山の彼方…彼方に? 彼方まで行かせるのでござるか。北上の山はまるで雲の中に踏み込むようなもの。一日二日で探せるものではござりませぬぞ。一年、いや、二年、三年でもどうか…」
「わかっておる、そのようなことを言うてはおらぬ。簡単に隠し山が見つからぬことぐらい、ようわかっておる。まずは近くのタタラへ行き、金穿大工を残らず捕まえろ。これまで問うた金穿は、安倍を恐れて口裏を合わせたとしか思えぬでな。金穿をいまいちど捕まえて、それからじゃ。安倍の重石が軽うなったいま、金穿の言うことは違うてくるはずじゃ。これからは誰につくのが得か、あやつらにもわかっておるにちがいない。そうは思わぬか」
「それは、さよう、そうやもしれませぬが…」
「義家、おまえが行ってくれ。金穿を脅かし、隠し山への間歩(まぶ・坑道)を問え。それを問い、真の答を聞き出すことができるのは、そなたしかおらぬ。そなた以外に然るべき人物はおらぬ。そう簡単にはゆくまいが、しかしもし見つかったら、すぐ千でも二千でも兵を割いて守らせよう。思うとおりに運ばぬ場合は、そなたの判断で金穿どもをここに連れ戻れ。よいな、もういちど言う。陸奥を取るとは、安倍の隠す黄金を取ること。そう言うても言い過ぎではないのじゃぞ」
義家は、これまでもそうであったように、けっきょく父の実利主義に説得された。
武を公卿の具として利用させないための財、言い換えれば、今後藤原に隷属しなくてすむための財、という言葉にいちおうは納得した。そして、そのような隠された目的を背負えるのは、自分しかいないということも理解した。義家は言った。
「お言葉、どうにか呑み込みましてござりまする。ただし、厨川に向かう清原に遅れをとらぬだけの、ほんのわずかの間の山攻めにいたしたく存じます。大軍はいりませぬ。目立たぬよう、達者を選りすぐって何隊かに分け、安倍得意の奇襲攻撃をこちらから仕掛けてやりましょう。その間、他の源氏軍は我らにかまわずどうぞ北へ進軍を」
「よしよし。案ずるでないぞ。決して清原に遅れをとらせはせぬ」
頼義は大いに満足し、舌先三寸で息子を送り出した。

「源氏の偵察隊が正任の見え隠れする山の方に向かいました。しかも、あの大鎧は副将のもの。義家殿自らが偵察に向かわれたように思われまする」
さっそく武則の陣に報告が入った。珍しい白馬に朱の馬飾りを施した大鎧姿の義家は遠目にもすぐにそれとわかった。
武貞の陣では、傷の手当てをしている最中のことだった。何か失敗を逆なでされたような気持に清原軍はなった。
「何、こんどは義家が? 義家ほどの者が出張るなら、偵察という程度ではすむまい。して、その数は?」
「およそ三百騎ずつが七隊に分かれております。二千少々にござりまする」
武貞も興味津々の顔を武則に向けた。
「ほう、七隊に分けた? 考えましたな、さすが義家。正任がどう迎え討つか、これは見ものでござりまするな」
「まったくのう。武貞、しばし、全軍に休養をとらせよ。我らは高みの見物をさせてもらおう。厨川での戦を前に、まず内なる敵が本当におるのかどうか、それを確かめるのじゃ」
武則は武貞にそう言いおいて、自分は前方の山岳地帯がもっとよく見晴らせる高所に、文字どおり高みの見物をしに行った。

戦況は、武則が内心予測していたとおりとなった。
正任軍は、義家が接近して来ると、即座に早池峰山塊へと退却を始めたのだった。
まるで、申し合わせでもできていたかのように。
(いかに義家が率いる軍が来たとはいえ、あの獰猛とさえ言える、恐れを知らぬ正任の軍が戦いもせず逃げるとは…考えられぬ。やはり正任、源氏とは話ができておるのじゃ。貞任の書状、照任坊主の言、すべて真であったということじゃ)
武則、こんどこそ完全に駄目を押された。
「清原が来たら襲え。源氏が来たら退け」
それが貞任から正任への命令だったとは、もとより知る由もなかった。
そして、それが朝廷軍を二つに割るための総仕上げの策だったということも、もちろん知る由もなかった。