俺だっておめい(3)
三郎は散々悪態をついたものの、矢張り甥っ子である。怒りが静まってくれば可愛さも出てくる。
「まあ、気が向けば一寸診てもらうのはいいかも知れないがな」
そこは、甥っ子である。余り馬鹿だのチョンだのいったら、自分を卑下したような気がする。程ほどの処で手を打った方がよい。
翌日三郎は甥っ子の言葉をすっかりと信じていて、腕が痛かったのはは気の所為だったと、心から思った。何しろ年寄だから、あちこちガタがきて当たり前だ。と、甥っ子の言った事をすっかり信じていて、病は気からってのは、本当だな、と妙に感心している。
「昔の人は本当に上手いこと言ったもんだ。さてと、今日は何をするかな」
と考える。
「そうだ、風呂場の水回りの具合が悪かったな。今日は天気もいいし、資材館でも行って、良いパイプが無いか見てくるか、カカァには黙っていて、今度こそ、流石のにアンタは腕がいいって魂消させてやろう」
そうぶつぶつ言いながら庭に行ってみると、あるはずのスーパーカブがないではないか」
(コリャ盗まれてに違いない。そうだ、この時こそ、役立たずの倅に警察に電話させなけりゃならん)
「あ、もしもし、一寸、光男を出してくれ」
「光男って、どなた様ですか」
「光男だよ、つまり何だ、寺田光男だよ」
「ああ、支社長ですか。お父様ですか」
「そうだよ」
程なくして、光男はと電話にでた。
「親父、又、今日はどうしたんだよ」
何時もの事で、光男はぶしっけである。
「あのな、昨日、俺の十万もした大事なスーパーカブが盗まれたんだ。直ぐに警察に電話しろ」
「待てよ、今そっちにいくから、待ってろよ」
「そうか、今直ぐこれるか」
三郎は気もそぞろである。気は一刻を争うと思っている。だがここはデンと構えて居なければならない。親としての威厳もあるから。
「アンタどうしたのさ。今日は、何か落ち着きがないけど」
「煩いな、女には分らんなことだ」
何て訳の分からない事をいっている。そのうち、光男は部下一人を連れてやって来た。
「親父じ、オートバイを盗まれたってか」
「ああ、ゆんべ(昨夜)な」
「どういう状況だったのよ」
「そりゃオメイ、昨日は天気がよかったもんだから、例の病院へ行ったんだよ」
「れいの病院って、寺田病院か」
「決まってるだろ、ソリャ親戚だから当然だ」
「で帰りは何で帰ってきた」
「何でそったら事訊くんだ」
「いいから、なんで帰って来たんたよ」
「バスに決まってるだろ、何しろ奴の病院の真ん前がバス停だからな、ちょど雨が降りそうだったし」
「あっ、それだよ」
光男は部下と頷きあって、家を飛び出して行った。程なく、光男は三郎のスーパーカブにまたがり、戻って来た。何時もの事で、光男は三郎がオートバイを降りた時、鍵は座席に自分で作った穴に隠していることは知っていたのだ。光男は庭にスーパーカブを止めると何も言わずに会社に戻って行った。
何もする事が無いのはつらいものである。何しろ時間の概念がなくなる。今日の曜日すら分らない。日曜日という一週間の区切りが無くなるのは困ったものである。それに何もしていない事は、蛇の生殺しみたいで辛い。
それでも、黙念と曇った空を見上げていると、雪が積る前にしなければならないことが山ほどあることに気がつく。雪が降るまでには、未だ間がある。まっ、いいかと思う。だが、雪が降ったあとの作業は、雪の無いときより、何倍も辛い。とは思うものの実際に雪が積もらないと中々身体が動かないのだ。それに、最近気が付いたのだが、一日が終わるのが妙に早い。色々と考えてみると、若い時分には直ぐ出来たものが、今はその何倍もかかるのである。一日が早く終わる訳だ。この調子で一年が過ぎるのは、本当に早い。昨日門松をとったのに、もう門に門松を立てるような気がする。
よく見ると、空は一面厚い雲におおわれて来た。明らかに晩秋の冷たい氷を含んだ雲である。真夏の真っ白な雲が懐かしい。あの夏の暑さは一体どこにいったのだ。とは言え真夏中は(何で糞暑いんだ)と、言ってた筈だが、今はすっかり忘れている。こんな風にして、人生はいい加減なものだと、分っていながら、毎年が過ぎて行く。こうして現世に何もすることも、残す事も無く死んで行く.。未練なぞ何もなく、残すのも無く死んでいく。これが人生とうもので、寿命というものなのだろう。
厚い晩秋の空をながめていると、つい哲学的になる。
(そうだ、忘れていたぞ。取敢えず雪が降る前に、大根やニンニクをかたづけなけりゃな)
三郎と光男の家の間に小さな坪庭がある。例のスーパーカブを置いている例の庭である。大根や人参を植えている小さな庭である。光男の家はその庭を挟んで建っている。三郎が何かあった時の為に、光男の家を建てたのだ。大根をぬいて、ぬか漬けにして、光男夫婦に届けなければならない。大根は若干ほして、ニンニクは玉葱が入っていたネットに入れて干さなければならない。妻に手伝ってもらいたいが、妻は大の虫嫌いである。だから、一切土いじりはしないのだ。だから三郎は土を耕し、種を播いて除草して・・・・と、そうだ本心かどうか知らないけど、庭で出来た野菜を届けると光雄の嫁は喜んでくれに違いない。それだけである。それでも、その喜ぶ顔が見たくてせっせと畑作りをしているのだ。
ようやく小さな畑から、ニンニクを堀上げ、大根を引き抜き並べて干した。たったこれだけの仕事で汗をかきかいた。ベランダに腰をかけ、冷えたビールを飲む。正に至福の時である。
(案外、単純労働者が、一生そんな生活から抜け出せれないのは、そんな一時があるのかもしれないな)、とそんなことを思いながら、雲がせりだして来た空を眺めていた。
「おお、そうだ、光男に旨い大根の漬物を届けるからなと、いって置いた方がいいな」
そう思って重い腰を上げた。