純少女 ピュア・ガール(第1話)
好きなもの。
LINE、インスタ、アイドル陽介くんのYouTubeチャンネル、タピオカミルクティー、誕生日にもらったリップ。
高校は友達もいて楽しい。家もフツー。でも満たされない。
彼氏いないから? バイトしてないから? 全然やせないから?
そうじゃなくてもっと、こう――。
「悠里(ゆうり)、食事中はスマホやめなさい」
ママが注意する横で妹の真子(まこ)がピーマンの肉詰めを頬張りながら訊く。
「今日、パパは」
「遅くなるって。宿題はお姉ちゃんに見てもらいなさい」
「ヤダ。お姉ちゃんだとわかりづらい。パパに見てもらう」
「どうせ私はバカですよー」
とは言いつつ、私はこんな普通だって大事だよなと思ったりもする。
6歳違いの真子とは父親が違う。私が5歳の頃、私のパパは出て行った。ママが再婚するまでの不幸を思えば、この11年間の平和な生活を満たされないと思うのは贅沢だよね。それでもやっぱり退屈――あ、中島さんからLINEだ。
「悠里、後にしなさい。支払い止めるわよ」
それ困る。私は夕食に取りかかった。
寝る前に、中島さんからのLINEを思い出した。私はトーク画面の「いたずらニャンコ」と書かれたURLをタップする。
YouTubeの画面には猫じゃなく、椅子に座ったお婆さんが写った。
「ユーリ、仕事だよ。明日の午後3時にアジトへおいで」
品のいいしわがれ声で俺は目を覚ます。どういう仕組みかわからないが、この婆さんの動画で入れ替わりのスイッチが入る。
17歳の女子高生“小野悠里”は眠りに落ち、45歳の俺“処刑人ユーリ”の出番になる。
婆さんの動画はそれだけいうと終わっていた。
俺は解離性同一障害、いわゆる小野悠里の多重人格障害の産物だ。しかし、“偽物”だとは思っていない。主人格は無力なガキだが、俺は腕のいい殺し屋として業界では有名だ。それに俺は主人格より有利な立場にある。小野悠里はオレの存在を知らない。だが、俺は目覚めればこいつの記憶をたどれる。つまり小野悠里のふりもできるわけだ。
性別が男の理由は不明だ。だが歳は見当がつく。出て行ったクソ親父の年齢だ。
親父はとんでもない虐待DV野郎だった。特に子供が気にくわなかったらしく、小野悠里は物心がついた頃から毎日蹴られ殴られ、「バカガキ」「ブスゴミ」と言われ続けてきた。名前で呼ばれたことなど一度もない。11年前、奴は膨大な借金を作って出て行った。いまだ行方は知れない。あのバカが出て行くまで俺は主人格の奥で動けずにいた。解放されたのは、精神を患った母親が回復するまで養護施設に預けられていたときだ。気がついたらクソガキ2人を殺していた。
俺はその殺しの技術を買われ、1年前にボスである婆さんの暗殺組織にスカウトされた。婆さんが調査したうえで「善し」と見なした仕事を請け負う。法で裁けない極悪人や社会のゴミを一掃するから殺し方は厭わない。子供だろうと妊婦だろうと容赦はしない。それが俺らの組織の流儀だ。
明日は小野悠里のふりをして家を出て学校には行かず、アジトへ寄るか。一度入れ替わると婆さんの次の動画を見るまで人格は戻らない。
ババア、もっと早めに連絡よこせよ。しかも中途半端な時間に呼び出しやがって。
俺は小野悠里のなまった体をゴキゴキ鳴らしながら眠りについた。
俺を見た婆さんがさして驚きもせず迎える。
「おや、早いね、ユーリ。まだ午前中じゃないか」
「俺がガキどもと一緒に授業なんて受けられっかよ」
ここは渋谷区円山町。いかがわしさ満載のラブホ街だ。夜ともなれば室料の書かれた看板がビカビカと輝き、後ろめたい淫靡(いんび)な匂いが充満する。婆さんのアジトはそんなビルの地下にある。錆ついたドアの先は異空間(ワンダーランド)。ロココ調の家具や装飾品が並び、婆さんは高価で品のいい服を身につけ猫足ソファに座っている。ここが性欲の巣窟でも暗殺組織の事務所でもなく、老伯爵夫人のサロンと錯覚しそうだ。だが、その背後にある簡素なドアがリアルを物語る。ドアの向こうは吐き気のするような拷問室だ。婆さんの隣には背の高い、スーツの美貌の女が立っていた。
「なんだ、明穂(あけほ)も来てたのか。今日もいい女だな」
「あんたに言われてもねぇ。それじゃマダム、明日の10時までには片付けておくから」
「なんだ、つれないな。酒でもおごるぜ。今度つきあえよ」
あきれたように俺を見、長い髪をなびかせて明穂は出て行く。この組織にはエージェントが数十名いると聞く。明穂は処刑人の一人だが、さすがに全員は知らない。
部屋の左隅の猫足デスクでは青年がノートPCに向かっていた。婆さんの孫のヨキだ。どうせ偽名だろう。婆さんですら偽名だ。こいつは婆さんの秘書で、俺らのサポートもする。難点は恐ろしく端正な顔。背も高い。この仕事には目立ちすぎる。
ヨキはひらひらと手をふり、穏やかな声で俺をなだめる。
「明穂さんは忙しいんですよ。来週から国会会期でしばらく僕らの仕事から離れますし」
「議員先生は忙しいからな。それで婆さん、今回俺が殺(や)るのは」
「自称芸能プロデューサーの前田という男だよ。女の子たちを喰い物にしているクズさ」
ヨキが俺に、血祭りにあげる汚れた獲物のファイルを差し出す。