祖母との事

「もう何日と持たないかもしれない」

母からの連絡に、私は上手く言葉を返せなかった。

祖母は、五人兄弟の長女で、戦争で両親を亡くしてからは弟や妹達の面倒を見ながら働いていた人だった。
しっかり者で、少し言葉がきつい。女は女らしく。一人で何でも出来ねばならない。祖母はいつもそう言っていた。
祖母は生憎男子には恵まれず、それでも母を含めた三姉妹を立派に育てた。
私は同居していた祖母に、よく叱られていた。」

「アンタ女の子なんやから、気ぃついたら掃除の一つもせな」
「テレビばっかり見てんと家事手伝いや」
「勉強なんかせんでえぇから花嫁修業しいや」
「おかしばっかり食べて。女の子なんやからもっと痩せな。アンタ顔はえぇねんから」
「痩せた方がえぇで。スマートな別嬪さんになったら、モテるで。昔のばあちゃんみたいに」

厳しい人だった。でも同じだけ、優しい人だった。

「お母さんには内緒やで」

働きに出ていた母に隠れて、たまにお菓子をくれた。甘い物ばかり食べていると身体に悪いと普段は怒るくせに、顔を見せるとオヤツをくれる。意外と剽軽な所もある人だった。

「アンタ彼氏とかおらへんの。連れてきぃや」

若い頃はモテたらしい祖母が豪快にそう笑ってくれた時、実は親に隠れて恋人がいたのでドキリとした。

「他の子らは外孫やから。アンタはうちの子やから」

私にだけ、振袖を仕立ててくれた。まだ中学生だった私は、早いよと笑ったけれど、着つけて見せた時、祖母はとても嬉しそうに笑ってくれた。

「アンタ結婚せんの。行き遅れるで。はよばーちゃんとじーちゃんに、花嫁姿見してや」

二十歳をすぎても仕事をしている私に、そういうようになった。

鬱陶しいと思った事も、実は何度もある。面倒臭いとか、恐いとか、思っていた時期もある。
でも私は、祖母が大好きだった。

「アンタさ。小さい頃おばあちゃんっ子で、お祖母ちゃんの真似して大阪弁喋ってたよ」

母がそう笑っていた事を、私はたまに思い出す。

東京に上京した後、祖母が入院した連絡を受けた。元々、仕事を辞めた頃から身体の節々が痛いと言っていた祖母だったし、年齢もあったので、心配こそすれどその時は「解った」としか言えなかった。

二年.私はずっと、田舎に帰れずにいた。その時期身体を壊した事を、母にたまたま話したら

「おばあちゃんが。アンタが可哀想だって、お金振り込んでって。お礼の電話しな」
中々戻れず、お見舞いにも行けないのにと思いながら、私は祖母へ電話を掛けた。

「アンタ頑張ってるか。無理したらあかんで。いつでも帰ってきぃや」

祖母の声は、細くなっていた。あんなに強くて厳しい人だったのに、弱弱しく、柔らかくなっていた。

それでも私は、帰れなかった。帰らなかった。

それから一年。仕事の最中に、母から電話がかかってきた。そして言われた。「何日と持たないかもしれない」と。

ばあちゃん。ばあちゃん。大丈夫かな。そう思ったのに。

「でもすぐにとはいかないよ。仕事もあるし。都合つくかは今言えない」

口を付いた言葉は、薄情で冷めていた。どこかで思っていたのかもしれない。あのばあちゃんが、そんな事ある筈がないと。きっと大丈夫。だって強い人だから。きっと何日かしたら、ケロッとしているに違いない。

その夜。真夜中。
「さっき、息を引き取りました」と、母からメールがあった。

翌日の仕事は朝に連絡を入れて休んだ。新幹線の切符を買って、荷物を持って。
長い長い時間電車に揺られた。
突然の帰省だった為、知り合いに端的な連絡を入れる中。ふと、過る。

「いつでも帰ってきぃや」

涙が、そこで初めて零れた。

ごめんね。ごめんね。何で私帰らなかったんだろう。何であの時すぐ帰らなかったんだろう。
間に合ったかもしれないのに。お別れできたかもしれないのに。
ありがとうも、ごめんねも、まだまだ伝えきれてない事、沢山あったのに。

ばあちゃん、私今すごく好きな人がいるよ。一緒に頑張ってるの。
ばあちゃん、私今やりたい仕事見つけたの。秋に新しい事もするの。
ばあちゃん、私東京に来てからすごく痩せたの。ばあちゃんの言うスマートな別嬪さんにはまだまだ遠いけど。

ごめんね。ありがとう。って、言いたかった。大好きだよって、言いたかった。
もう一回、もう一回でいいから、最期に。

「ばあちゃんとじいちゃんが生きてる内に、花嫁姿見してぇや。また綺麗な着物仕立てたるから」

しわくちゃだけど、家事で頑張ってちょっと厚い手を、ぎゅっとしたかった。

帰りついた家で、布団に横たわっていた祖母の身体はとても小さくて。
でも、涙は流さないようにした。泣く資格がないと思ったのもあるけど、もう一つ。
祖母は、涙を見せる人ではなかったから、泣いたら叱られる気がしたのだ。

ぐっと飲み込み、祖母を見つめる。

「ただいま、ばあちゃん」
最初に見せた顔は、笑顔にした。

あれからまた、一年がたった。三回忌も終えて、もう大分落ち着いた気はしている。
それでも時々、母と話している時や実家に顔を出す度、ふと聞こえる気がする。

「ちょっとえぇか」

祖母が、私を呼ぶ声が。

ばあちゃん。私、仕事頑張るよ。好きな人を大事にするよ。もっともっと、綺麗になるよ。

たまには実家に帰るようにするよ。

強くて、厳しくて、たまに優しくて、ちょっと剽軽な、私のお祖母ちゃん。

私がめげたりだらけたりしていたら、叱ってください。
私が頑張って何かをやり遂げたら、褒めてください。

絶対絶対、忘れないから。ずっと私の支えでいてください。

夏が来る。七〇をこえても自転車で出勤していた祖母だから、胡瓜の馬も乗りこなせるに違いない。

嗚呼、夏が来る。