旅人(6)
住職が地球岬展望台に着いた時、金屏風展望台に大勢の観光客が群れていた。ミニパトが赤色灯を回転したまま駐車している。初老の警官が海上を眺めていた。警官の視線の先には、漁船が三隻遊弋していた。漁船の動きから、海上を捜索しているのは明らかだった。
住職は捜索状況を見ている警官に声を掛けた。
「何か事件でもあったんですか?」
「ええ、漁師から、金屏風展望台から人が滑落したようだ、との通報が入りましてね。それで一応捜索してるんです」
「そうですか。で、ひょっとして何か遺留品はありませんでしたか?」
「遺留品、ですか?」
「はぁ、まぁ」
「今のところは見つかっていません。本格的な捜索はこれからですから。まだ、自殺か事故か分からないんですよ」
警官は困惑の表情を浮かべて、たしなめるように言った。
「そうですか。いやそうですよね」
「どなたか存じませんが、貴方に何か心当たりがあるんですか?」
「私は有珠善光寺の住職ですが、実は、昨日の朝、私が朝の勤行を終えて母屋に戻ろうとした時、お年寄りが境内のゴミを拾ってましてね」
「そうですか」
警官は面倒くさそうに、しかもぶっきら棒に相槌をうって、再び視線を海上に向けた。
住職は話の腰を折られたような気がして言葉を失った。
そろりと海風が吹いて来た。陸風に変わるにはまだ先である。風向きに関しては、善光寺もここと同じ海沿いにあるから肌感覚で凡そ見当がつく。
一台の赤い車が金屏風展望台の駐車場に滑り込んで来た。車体に、室蘭市消防団第四分団と白文字で書かれていた。車の中から、屈強な制服姿の男が三人降りて来た。
「人が落ちたらしいな」
胸に車体の文字と同じく、室蘭市消防団第四分団分団長と刻まれたネームを胸に付けた年配の男が、挨拶も無く警官に話しかけた。余程親しい間柄なのだろう。
「雨が止んだ後にな。航行中の漁師から、人が崖から海に転落したみたいだってな、通報があったんだ」
「酷い雨だったもな。足が滑ったんだべ」
「かも知れんな。昔はよ、良くここで自殺者がいたけど、最近はほとんど聞かないからな。事故だと思うんだけどな」
「ところで滑り落ちた場所は分かるんだろ」
「大体見当はついてるよ」
「現場検証は?」
「一応鑑識が来てからと思ってるんだけどな」
「遅いべ。来るのを待ってたら日がくれるぞ。オイ」
分団長は言って、一緒に来た分団署員を呼んだ。
「あのな、多分あの辺だと思うけど、なっ、あの辺だろ」
一応現場を警官に確認して、
「あの辺を調べてみれや」
分団長は警官に落ちたらしい凡その場所を確認して、署員に指示した。
「ところであんたは観光に来たのかい?目撃者かい?」
警官の傍に立っていた住職に声をかけた。
「いえ、私は善光寺の住職でして、観光でも目撃者でも有りません」
「そうかい」
言って、分団長は遊弋して捜索に当たっている漁船に視線を向けた。漁船の船長が仲間に救援を求めたのだろう。漁船の数は徐々に増えていた。海に関しては、警察より漁師のほうがはるかに優れている。陸にいる警官も彼らに頼り切りのようである。
程なく室蘭署から鑑識班が到着した。鑑識班は手早く黄色いテープで規制線を張り、状況を警官に確認している様子だった。数人の鑑識班員はカメラやメジャーなどを持って、人が滑り落ちたらしい現場を調べ始めた。
人が落ちたらしい現場に警官が呼ばれた。何やら話し合っていたが、程なく警官が戻って来た。
「貴方は善光寺の御住職でしたよね。有珠の」
「そうです。何か」
「間違いないですよね」
「間違い有りません」
「滑落した地点に、位牌と飲み残しのウイスキー、バッグパックが残されていてですね。それと、貴方充ての手紙が残されていました。確認して下さい」
警官はそう言って封書を手渡した。
確かに表書きに(有珠善光寺、御住職様)と認められていた。封書の裏には磯崎とだけ書かれていた。
封書を披いて見た。
(前略
昨日はお忙しい中、愚問にご丁寧にお答えいただきまして、心よりお礼申し上げます。死ぬことは身の気のよだつほど恐ろしくて未だに死にきれず、漂泊の旅を続けて来ましたが、御住職のお話をうかがい、来世のことがはっきり見えて、不安と恐怖心が消えました。私は今日、親兄弟が待つ天上に旅立ちます。あの世とは慈愛に満ちた何の穢れも無い平和な世界、暑くも寒くもない芳香に満ちた世界と知りました。人々は総て旅人だと、御住職は諭してくれました。病に侵され、さらにこれから襲ってくるだろう病に怯え、果ては、寝たきりになり、ベットに縛り付けられたまま生涯を閉じるような惨めな思いはしたく有りません。お教え頂いた通り、いち旅人の私は、次の世界へ向かいます。私の現世における最期の身の処し方は、死期を覚った時、猫や象と同じく人知れずに死ぬことです。ですから、決して私の捜索はしないで下さい。私への最大の供養は死後においても、人に迷惑をかけないことなのです。
最後に、あの世に旅立つ不安は取れましたが、未だ、命を断つ手段が見つからずにいます。命を断つ瞬間の恐怖が未だ残っています。でも、大丈夫です。大量の酒と睡眠薬を飲めば大丈夫です。ですよね。それから、アメリカに居る私の一人娘には、この手紙のコピーを送ってありますので、連絡等のご心配は無用です。
封筒の中に、和紙に包まれた現金十万と、百六十円が入っていた。死を決めた以上、現金は必要が無いと思ったのだろう。現金を包んだ和紙の表にはお布施と墨書されていた。
この現金は、礒崎に残こった全財産だったのだろう。
住職は警官に遺書ともいえる礒崎からの手紙を見せた。鑑識班の班長、そして、室蘭消防署第四分団長が目を通した。
読み終えた後、各々無言で海を見つめた。
「捜索はするなと言われてもな」
「しない訳にはいかんでしょうな」
警官の呟きに第四分団長が答えた。
各々の立場で、解決策を探っていた。だが、結論は一致していた。三日ほど型通りの捜索をして、その後は、死者の希望を叶えてやることだった。つまり何もしない。それが、死者に対する最大の供養だと信じていたのである。
(完)