妖怪道中・華絵巻【脚本】
【その壱・妖怪絵師、狩川雲雀】
夏野「古来より妖とは、人知を超えた奇怪で異形な存在における通称である。妖怪・お化け・物怪など、様々な呼び方こそあれ、人々が示す存在の根源はそこへ繋がる。民間伝承や伝説。口伝から語られるそれらの存在は、現代であれば非論理的の一言で片づけられてしまうものかもしれない。これは、そんな『非論理的』な物を描くことで、非科学を芸術にした男の、物語」
《鳥の囀り。二人分の歩く音》
雲雀「人生様々。男も様々。女だって様々燃え盛りた、」(『人生いろいろ』の節で)
夏野「雲雀先生。何ですか、その訴訟問題一歩手前の節は」
雲雀「黙っていれば解らないモノを突っ込むのは無粋ではないか縦山くん」
夏野「横山です。で、結局なんなんです?いきなり」
雲雀「よく聞いてくれた。これは、オバリヨン避けのまじないなのだ!」
夏野「オバタリアン?」
雲雀「君も随分ギリギリの発言をするな。そうじゃないオバリヨンだ。通称おんぶおばけ。道端で突然旅人の背に覆いかぶさってくる妖怪だ。大方は狐狸の類が人を脅かす為に化けた物なのだが、その正体は謎に包まれている。そして奴らにはご陽気な歌を毛嫌いすると言う噂があったりなかったり―――」
夏野「どっちですか。っていうか、今作りましたよね。絶対その妖怪、今作りましたよね」
雲雀「君は師匠を嘘つきだと思っているのかね」
夏野「先生とは長い付き合いですが、先生がホラを吹かずに一日を終えた日に巡り合った事がありません」
雲雀「それは嘆かわしい!いいかい雪山くん。私程真正直で誠実で実直な人間を信用できないようでは―――」
夏野「横山です。あと、先生が嘘をつくときは大概ご自分の都合の悪い時とお見受けしています」
雲雀「何を言っているのだ、都合の悪いことなんて―――」
夏野「ところで先生。あの立て看板、さっきも見た覚えがあるのですが」
雲雀「…………キノセイダヨ」
夏野「確か今朝、次の村には半刻もすれば着くと仰ってましたね。あれからすっかり日が落ちる時刻になった訳ですが」
雲雀「…は!きっと妖怪草鞋返しの仕業に違いない!枕返しの従姉弟の兄弟の子どもだと噂されており、旅人を迷わせると言う奇怪で迷惑な妖か、げふん!?な、何をする!いきなり師匠の顔面に正拳突きをかますなんて!私の歯がくるみ割り人形みたいに丈夫じゃなかったら折れてましたよ!」
夏野「迷いましたね?迷ったんですね?迷っているんですね?正直に仰ってくれれば次は顔の反対側に肘を決めるだけで許しますから今すぐ教えてください。じゃなきゃ面相が解らなくなるくらい殴ります」
雲雀「君、絵師だろう!?手は仕事道具!生命線!人を殴っちゃいけません!」
夏野「確かにそうですね、それじゃあ…膝蹴りでいいですか?」
雲雀「厳しい!君は私に厳しすぎる!」
夏野「で、どっちですか」
雲雀「人間とは常に人生の岐路に置いては、迷い子なのだよ…って待て待ちなさい、その蹴り上げた足を下ろすんだ。君案外身体柔らかいんだな、そんなに高く脚をあげられるなんてってそれはともかく!ここに蹴っていい玉なんてないからね、出来れば私まだ男でありたいからね。ゴメン迷った迷ってます。これ以上ないって位迷子です」
夏野「初めからそう言えばよいものを。どうするんです?もう日が暮れちゃいますよ?」
雲雀「そこが問題なのだよ翼くん」
夏野「誰ですかそれ。僕の名前は横山夏野です」
雲雀「これはもう先程とは違う道を行くしかない訳だが、周囲に道はない。あるとすれば、このうっそうと生い茂る竹林くらいしかないのだ。しかし日暮れ時に素人が竹林に入って、果たして無事に済むだろうか」
夏野「聞いてないなこのダメ親父。…しかしまぁそうですね。確かに、危ないかも知れません」
雲雀「だろう。だから大人しく」
夏野「はい。野宿の準備ですか?」
雲雀「腹を決めて竹林の奥まで入り込み、新手の妖怪がいないか検証しようと思う!」
《夏野の言葉の最中に歩きだし、何か適当に鼻歌交じり。草を踏む音》
夏野「出たよ妖怪馬鹿。嫌ですよ、こんな旅先の林の中なんて、賊でもいたらどうするんです?ただでさえ僕ら持ち銭も少ないのに…って先生!雲雀先生!ずかずか入っていかないで下さいよもう!ちょっと先生ってば!…っとにあのクソ親父、人の話聞かないんだから!…先生!迂闊にこんな日暮れ時に慣れない林に入りこんだりしたら―」
《走って追いかける夏野。そして、梟の鳴き声》
雲雀「夜になってしまった」
夏野「なってしまった、じゃないですよ。日ぃ暮れかかってたんだからこうなる事は折り紙つきだったでしょうが。アンタ提灯がなかったら死んでましたからね。無計画にも程がありますよ」
雲雀「ふむ…妖怪がいそうな気配なのだが…」
夏野「絶対さっきの野原の方が野営しやすかったのに…こんな竹だらけのところじゃ本当に山賊がでたり獣がでたりしたとき、どうしようも…ん?」
雲雀「どうした?」
夏野「…なんか、生臭い臭いが…こう、魚の腐ったような…海の臭いとは違う…」
雲雀「川が近いかもしれん。どれ、行ってみるか」
夏野「はい。…あ」
雲雀「…家だよ竹山くん」
夏野「横山です。…こんな所に庵があるなんて…妙ですね。これこそ昔話の鬼婆や化け物の住処のような…どうします先生…って、先生!?」
雲雀「(被せ気味に)今晩はー。夜分遅くすみませんがー」
夏野「あ・の・お・や・じ…!ちょっと先生!何無防備に寄っていってるんですか!?」
雲雀「鬼婆が出てきたら署名してもらおう。筆と紙出しておいて」
夏野「何目ぇ輝かてんだよアンタは…」
雲雀「すみませーん」
女「はぁい」
《戸が開く音。美しい、濡れ羽色の髪の女が》
雲雀「ドキッ!」
夏野「口でいった。この人効果音口で言った」
女「…どなた様?」
《雲雀先生、決め声で》
雲雀「わたくし、絵師をやっている狩川と申す者です。実は旅の道中迷ってしまいまして、よろしければ今宵一晩宿をお借りしたく参った次第」
夏野「何と言う変わり身。背筋が当社日三割増しでピンとしている」
女「まぁ…それはそれは。さぞお困りでしょう。どうぞ、狭い所ですが中へお入りください」
雲雀「はっ。それでは失礼して」
《中に上がりながら、ふと夏野が声を潜めつつ》
夏野「…先生。あの―――」
女「何のお構いも出来ませんが。今汁物を温めますね」
雲雀「いえいえお構いなく。泊めて頂けるだけで充分…あ、私芋が好物でして、豆や茸よりも芋多めにお願い致します」
夏野「ちょっと先生!図々しいこと言ってる場合じゃなくて!」
雲雀「何だい、折角夕飯を御馳走してくれると言っているのに…あ、もしかして肉や魚の気分だと?贅沢を言うものじゃないよ、失礼じゃないか」
夏野「アンタに言われたくないわ!そんなことより…何だか妙じゃありません?こんな場所に一人なんて、如何にもって言うか…それに、何だかさっきより生臭い臭いが強くなっている気が…」
雲雀「これ!女性がいるのに臭いの話なんて…は、まさか君、自分の口臭を誤魔化す為に…」
夏野「違います。寧ろ加齢臭がきついのはアンタです。全身から滲み出てますよ」
雲雀「か、加齢臭なんてしないもん!口臭だって全然…(はーっと自分で確認後、咳払い)…ちょっと失礼(懐から薬包を出して開けて飲む音)あー…。ん、これでよし。すみません、何分まだ若い弟子なもので、礼儀を知らず」
夏野「礼儀がどうとか、アンタにだけは言われたくない」
女「お気になさらないで。とても、利発そうなお弟子さんですこと。おいくつですの?」
夏野「…十四になったばかりです」ちょっと警戒残し
女「まぁ、もっとお若いかと思っていたけれど…元服も間近ならば立派な殿方ですわね。失礼致しました。お弟子さんと言うことは、貴方も絵師様なのですか?」
夏野「えぇ…まぁ」
雲雀「ちなみに私はいくつに見えます?なんと!まだ三十なんですよ!」
夏野「そう言ってもう五年経ちましたよ」
雲雀「男はそうと決めたら歳をとらない生き物なのだよ」
女「ふふ、面白い御方達。さ、お食べになって」
夏野「…どうも…」
雲雀「いただきまーす」
《夏野は箸が進まず、雲雀はかちゃかちゃと。火鉢の音とその箸の音が暫し続き》
夏野「…あの…どうして不躾な質問なのですが…どうして女人がこんな山奥に御一人で?ご家族は?」
女「…実を申しますと、ここに勤めを持った夫がいたのですが…先立たれてしまいました。わたくしが引き継ごうにも難しいお仕事で…けれども夫との思い出が捨てられず、ここに残っているのです」
夏野「そう…でしたか」
女「残念ながら子宝には恵まれませんでしたから、残っているものと言えばこの小屋と夫との思い出くらいで。…ですから嬉しいのです。こうして人様が尋ねてきてくださるなんて本当に久々で…。ましてや貴方のようなお若い殿方が来てくださるなんてもう…」
夏野「はぁ…」
《衣擦れの音。女が夏野に近づこうと》
女「本当にお美しいお顔。初め見た時は、お稚児様かと思ってしまいました。それに、色も白いし身体も柔らかそうだし、よい薫りもするし」
夏野「…あ、あの…ち、近い、の、ですが…。せ、先生!先生もなんとか…え?」
雲雀「ぐぅぐぅ」とってつけたようなイビキ
夏野「眠って…ホントに寝てるんだろうな…」
女「よく、お休みですわ。鍋の薬が効いているのでしょう」
夏野「…貴女、一体」
女「ふふふ…綺麗な坊や。きっと、初物なのでしょうね。それにとっても、美味しそう」
夏野(身体が、動かないっ…一体…!この女の眼…金色に、光って…!)
「まさかっ、本当に…!っ」
女「けれど食らい尽くす前に…身体の方を味わわせてもらおうか!」
夏野「ッ…」
雲雀「やっぱり若い方がいいものなんでしょうかねぇ、女性って言うのは」《和風の戦闘BGM が欲しいですね》
女「!貴様…起きて…。何故だ!鍋を食ったはずでは!」
夏野「先生…!」
雲雀「あーあ。折角美人な未亡人キタコレって思ったのに…私はどうしてこう、ハズレくじが多いのか…ね」
《ぐいと女の髪が引っ張られるSE 》
女「っ…なんだ、髪が引かれてっ…糸!?糸が、髪に絡みついて、」
雲雀「だから言ったろ?紙と筆を用意しておきなさいと。この美人に…是非とも署名をしていただかなくてはならないからねぇ。いやぁしかし本当に残念だ。どうせなら私が襲われたかったなぁ…」
夏野「いい加減にしてください、この非常時に…っ!…動けた…」
雲雀「ほら、早く筆と紙。彼女を糸が抑えているうちに」
夏野「はい!」
《がさがさと荷を漁る音》
女「小癪なっ…。貴様一体何をしている!?」
雲雀「女性の御髪を乱雑に扱うのは私の美学に反するのだが、弟子をむざむざあげる訳にもいかないのでね」
女「ただの糸でわたしが身動きを取られぬように、なるわけがっ―――」
雲雀「それは絡新婦の糸で作った特製品だ。どんなものでも一度絡め取ればけして逃がしはしない。そしてそれに絡められ、じわじわと手足に本性が現れ始めている君は…妖だ」
女「っ…変化がとけていく…!?くっ、爪や肌の色が変わって!貴様!一体、何者だぁ!」
雲雀「私かい?私は…狩川雲雀。一介の絵師さ。ただし―――」
夏野「先生!筆を!」
《投げられた筆を受け取り、それをくるりと回す音》
雲雀「妖怪を絵に写し取る、妖怪絵師、だけどね」
女「絵に、写し取る、だと!?そんな筆一本ふるったところでっ…な、か、身体が、吸い込まれ、て」
雲雀「浮世に現世、此岸に彼岸。さぁさ、いらっしゃい。私の、絵の中へ。《女、断末魔をあげ、それが徐々に小さく》
…君の名は…『鬼女』」
《女が消えるまでの音と、筆がさらさらと紙に描く音。これにてBGM 終わり。不意にゴォッと風が吹き》
夏野「うわっ!風がっ…あ…さっきまであった庵が消えた?…代わりに何年も人が使っていないようなあばら家が…」
雲雀「うーむ雨風はギリギリしのげそうだから、まぁ良しとするか」
夏野「…おわった…んですか…?」
雲雀「この通り」
夏野「鬼女…。字の如く、女の鬼であり、山姥、山女とも呼ばれる。老婆である伝承が多いが、若い女の姿で山に来た人間を誑かし、食らう者もいるという…」
雲雀「あーあー。ホントに美人だったなぁ…もうちょっとで一発くらいやれそ―――」
夏野「下品ですよ」
雲雀「だって貴重な体験じゃないか。鬼女と一夜を明かすなんて」
夏野「先生が言うと冗談にならないんでやめてください」
雲雀「冗談な物か。本気だよ」
夏野「彼女…人が化けた幽鬼だったんでしょうか。死別した夫の話とか…きっと騙す為の、口実だったんでしょうけど」
雲雀「どうだろう。しかし初めて会った時、人らしい気配はしていたから、案外嘘ではなかったのかもしれない」
夏野「…先生は、いつから気づいてたんですか?」
雲雀「さぁて、いつからだろうねぇ」
夏野「鍋は?食べたはずじゃ…」
雲雀「だから飲んだのではないか。食べる前に、毒消しを」
夏野「って事は…ほぼ最初から気付いていたと。…ホント、そういう所だけは流石ですね」
雲雀「はっはっは!岡山くん、照れなくてもいいんだ、もっと褒めたまえ!」
《雲雀の笑いがずっと続き》
夏野「横山です。っていうか照れていません。…それにしても…最初から気付いていて入り込むとは。腐っても妖怪絵師って事か…。…いつまでもそうやって、馬鹿笑いしててください。僕はもう寝ます。おやすみなさい」
《笑いの中、ゴロンと夏野が横になる音。まだ暫く笑っていたが返事もなく》
雲雀「はっはっはっは…は…あー…うーん…虚しい」
《梟の声。そこから朝の雀の鳴き声へ変わり、二人が山を下りる足音》
夏野「結局あのあばら家に泊まりましたけど…朝起きて外から見てみたら、思った以上にすごい荒れっぷりでしたね」
雲雀「まぁ、妖怪が使っていたのだからそんなものさ。さぁて、今日こそは次の村にたどり着くぞー!」
夏野「気合を入れるのは結構ですけど、空回りしないでくださいよ?昨日は運よく屋根のある所で寝られましたけど、今日もそう上手くいくとは…。…先生?…先生?あれ?いつの間にかいなくなって―――」
《夏野の台詞の最中に足音が一つ減っていたり》
雲雀「白い肌、そしてこの美貌。若しや貴女の前世は雪女郎…。それ故でしょう、この私が一目で釘付にされたのは」
旅娘「あ…あの…」
雲雀「あぁ私ですか?私は狩川雲雀と申しまして、一介のしがない絵師でございます。ちなみに、妖怪画を中心に描いておりまして、もしよろしければまるで妖のような妖艶さを持つ貴女を描きたく、ぐふ!?」
《夏野の蹴りが雲雀の背中に入った効果音》
夏野「すみません。病気なんです、気にせずどうぞ」
旅娘「は…はぁ」いそいそと歩きだし
雲雀「い…痛いじゃないか…師匠の背中に蹴りなんて入れる弟子あんまりいないよ?死んだらどうす―――」
夏野「一度死んでもう一回カマドウマ辺りからやり直したらどうですか?」
雲雀「虫から?虫なの、せめて犬や猫…いや許されるなら人間からが…。はっ、ならばいっそ美しい女人になるというのも…いやまで新種の妖怪としての転生も捨てがたい…」ぶつぶつ
《雲雀の台詞中ほどから声が小さくなり、夏野、モノローグ》
夏野「狩川雲雀。世にこの人ありと謳われた妖怪画の最高峰にして、退魔の力を操る真の妖怪絵師。何故彼が異形の力を持ち、本物の妖を写し取るのか…その謎については、またいつか。狩川雲雀妖怪道中。第一幕、これにて閉幕」
【その貳・雲雀が来たりて筆を振る】
《ペラペラと冊子をめくる音》
夏野「旅路の目的の中心は、先生が本物の妖怪を絵に写し取る事だが、稀に道中で捕えた妖怪の絵を披露し、その話を聞かせることもある。この日も、泊めていただく事になった屋敷の主に、妖怪画を披露していた」
主人「いやぁ素晴らしい。狩川先生の絵は、本当に躍動感があるものばかりで」
雲雀「それほどでもありません。私の水墨画なんて、京では霞んでしまう地味なものばかりですから」
《二人の笑い声の中、モノローグ》
夏野(ホント…先生の絵はいつ見てもすごいな。本物を写し取っている絵は勿論、普段描く物もまるで動き出しそうなくらい凄い。人間性は難ありだけど、絵師としての腕は確か…ん?今、どこかから視線が…)
《襖の向こうから》
千重「失礼致します」
主人「おぉ、千重か。入りなさい。《開く音がして》娘の千重です。もうすぐ十九になります」
雲雀「ドキューン!」
夏野「先生また効果音が口に出てます」
千重「千重と申します。狩川先生、ようこそおいでくださいました」
雲雀「いやハハハ、何ともお美しい御嬢さんでハハハ。まるで美人画から出てきたようですなハハハ。これだけお美しいとハハハ、引く手数多でいらっしゃるでしょうハハハ」
夏野「どんだけ笑うんですかアンタ」
主人「とんでもない。三年前に妻が他界してから、男手一つで育ててきたからか、とんでもない跳ねっ返りで。いつまでも嫁の貰い手が無くて困っていますよ」
千重「まぁお父様ったら。そうやってすぐ意地悪を仰るのだから」
《親子が笑い。そこへまた襖の向こうから》
安治「旦那様。お部屋の支度が整いました」
主人「おお、そうか。狩川先生、長旅でお疲れでしょう。どうぞご自分の家だと思ってお休みください」
雲雀「いえいえ。拙僧は所詮旅烏。屋根ある場所で休ませていただけるだけでもう」
夏野「アンタいつから僧侶になったんですか」
主人「はっはっは。面白い方だ」
千重「お父様。そんな言い方、先生に失礼だわ。…安治、先生達をご案内してあげて」
安治「はい。こちらです」
《廊下を歩く足音》
雲雀「綺麗だった…実に美しかった。菩薩か、姫神…あぁ若しくは花精なのでは…」
夏野「煩いですよ先生」
雲雀「君は情緒が足りない。目に映る全てを美しいと思って生きた方が、幸せじゃないか。例えばほら見て御覧よ。美しい庭だ。特に、あの松の枝振り。やぁ立派だ。さぞいい職人が整えているに違いない
安治「ありがとうございます」
夏野「え…もしかして、安治さんが?」
安治「はい。本業は庭師でして。十年前に親を亡くした時、路頭に迷うところだった私を、旦那様が使用人としてお屋敷に引き取ってくださったんです。だから、他の用向きも色々としております」
雲雀「若い頃の苦労は買ってでもしろとはいうけれど…それは大変だったねぇ。横田君、君もそうは思わんかね」
夏野「横山です。…けどまぁ、確かにそうですね。すみません、不躾な事を伺ったようで」
安治「とんでもない。珍しい話ではありませんし。寧ろ、寝食の心配もせずにいられるのは、幸運だと思っています。
旦那様は父のお得意様だったのですが、私の庭仕事も、大層気に入ってくださっていて」
夏野「…よいご奉公先なのですね」
安治「はいっ。あと困っている事といえば、よい歳なのに嫁の来手がない事くらいですよ。…さ、こちらです」
《襖の開く音》
夏野「どうも、ありがとうございます」
安治「他に何か、ご入用の物があるようでしたら、すぐにお持ちします」
雲雀「いやぁよいお部屋だ。旅籠なんぞより余程綺麗だし。…ところで、安治君とか言ったかな。君、ここに住みこ
みでいるんだよねぇ?なら…一つ、聞いてもいいかな」
安治「はい、何でしょう?」
雲雀「このお屋敷で、最近妙な事が起こったり、何か気になる事があったりしなかったかい?」
安治「妙な事?」
雲雀「何でもいいんだ。少しいつもと違う事、些細だけれど気にとまった事」
夏野「…先生。何かあったんですか?」
雲雀「念の為だよ。ほら、よく言うだろ?袖振り小僧は多少ムジナって」
夏野「意味が分かりません。もしかして、袖振り合うも他生の縁って言いたいんですか?」
雲雀「うむ。人との縁は全て単なる偶然ではなく、深い因縁で出来ている。それは妖も同じだ。私がここに泊めて頂
く事になったからには、妖との縁がある可能性がある、と思ってね」
夏野「雲雀先生にしては的を射ている…」
安治「そうですね。…あぁ、そういえば、大した事ではないのですが…。実は、ここ数ヵ月、見回りの時に妙な音を
聞く事がありまして」
夏野「音?」
安治「はい。こう、紙をすり合わせるような、くしゃっと丸めるような…その後衣擦れの音も…」
雲雀「それは、どこから?」
安治「お嬢様のお部屋から」
夏野「千重さんの?」
安治「はい。それで、以前気になって、昨夜は随分遅くまで起きていらっしゃったのですねと言ったところ」
千重『昨夜のその時間は、お父様に呼ばれてお部屋にいっていたけれど』
安治「と、怪訝な顔をされてしまいました。だから、私の勘違いかと思ったのです。けれど、それがまた別の日にも
あって。その次に聞こえたのは、お嬢様がご親戚の家にお泊りに行かれた夜でした。それで、ご無礼かと思っ
たのですが、お部屋の中に入ったのです。けれど…」
雲雀「何もなかった」
安治「はい。それ以来、時折起こるのですが…少し気味が悪くて」
雲雀「大した事ないって言った割に充分怪談じゃないか。しかし、音はすれども姿は見えず。貴方はまるで屁の様な」
夏野「下品です。…どうします?先生」
雲雀「妖なら私にも対処仕様があるが、幽霊は専門外だからなぁ。…ところで安治君。…千重さんの事なんだけど」
安治「…お嬢様、でございますか?やはり、何か関係が?」
雲雀「うむ。…千重さんには…懇意にしている殿方はいらっしゃるのかな?」キメ顔キメ声
安治「へ?」
雲雀「いや、あのね、ほら彼女も妙齢の女性だろう。その上ご兄弟もいらっしゃらない。だからその、なんだ。お父上はあぁ言っていたけど、もしかしてその…実は興味がある異性がいるのではないかなぁと」
夏野「先生、それと幽霊となんの関係が」
雲雀「いやだってご婦人の部屋から妙な音だなんて、悪い男が忍び込んでいるのかもしれないじゃないか。だから彼女が騙されていないかなぁと思ってさぁ」
安治「…どう、なのでしょう。けれど…」
雲雀「…けれど?」
安治「千重お嬢様は、とても素敵な方です」
夏野「…安治さん」
安治「お美しくて聡明なだけでなく、使用人にも優しく声をかけてくださいます。私は歳が近いからと、随分仲良くして頂いて。それに、ご自分の事はご自分でなさりたいからと、何でもこなしてしまわれて」
雲雀「ふむふむ素晴らしい。言う事なしじゃないか。…それで?彼女はどういう異性に興味が?」
安治「さぁ、そこまでは」
雲雀「例えばほら、年上で、独身で、その上手に職があるような男性とか―――」
夏野「その推理でいくと犯人はアンタです。…すみません、ちょっと情緒が四半世紀前で止まっている人なもので」
安治「は、はぁ…」
雲雀「え、ちょっと私まだ三十だよ。四半世紀前だと五つなんだけど」
夏野「関係ない話なら必要ないでしょう。安治さんだってお仕事があるんです。…お引き留めして申し訳ありません」
安治「いえ。こちらこそ妙なお話をしてしまって。…何かありましたら、遠慮なくお呼びください」部屋をさり
夏野「まったく。みっともない真似しないでくださいよ。自分の半分の歳のお嬢さんに何考えてるんですか」
雲雀「だから私まだ三十だってば!ホントにもう。やめなさいよ?言霊ってあるんだからね。君がそういう事言うと、私が老け込む原因になるんですから」
夏野「だったら年相応に振る舞ってくださいよ。ホント、綺麗な女性には見境がないんだから…。それとも、もしかして幽霊話が怖かったんですか?」
雲雀「ばばばばば、馬鹿な事言うんじゃない!誰が怖いもんですか。私を誰だと思ってるんだい。稀代の妖怪絵師・狩川雲雀ですよ?それを、幽霊だなんて居もしない物が怖いだなんて、ある訳ないでしょっ」
夏野「あからさまに動揺している癖に。…というか、妖怪絵師なのに幽霊は信じていないんですか?」
雲雀「やれやれ困った弟子だ。幽霊なんて昔から、正体見たり枯れ尾花って言うじゃないですか。霊魂はそうそう簡
単に今生に留まらない。もし殆どの霊魂がこっちに居座っていたら、お彼岸なんて必要なくなっちゃうだろ」
夏野「そんなもんですかねぇ。…なんて、いつまでも馬鹿話していたら夜が明けちゃいますよ。もう休みましょう」
雲雀「うむ。寝不足はお肌に毒だからね。…ところで横村君、君、厠に行きたくはないかい?」
夏野「横山です。いえ別に」
雲雀「行きたいよね?行った方がいい感じだよね?初めてのお屋敷だし、迷ったら大変だ。一緒にいってあげよう」
夏野「やっぱり怖いんだろアンタ」
《ギシギシと廊下が軋む音》
雲雀「いやぁ風情のあるお屋敷だなぁ!こんな夜は歌いたくなっちゃうねぇ!」
夏野「声がでかいです。迷惑だからやめてください」
雲雀「何がいいかなぁ。景気よく、『あの鐘を鳴らすのはお七』とかどうかな」
夏野「大火事になりそうなんで止めてください。…ほら、この先が厠です。僕はここで待ってますから」
雲雀「いやせめてもうちょっと先まで!ほらあと三間くらい!」
夏野「僕を肥溜めに落とすつもりですかアンタ」
雲雀「じゃあ二間九尺!二間八尺!二間七しゃ痛!ちょ、やめなさい!脇腹はダメ!今そこ押したら決壊する!いい
のかい?暴れ龍だよ!」
夏野「さっさと行けっての」
雲雀「弟子が冷たい…。これが狩川雲雀を見た、最後であった…ってなっても知らないんだからね…」すごすご厠へ
《扉の閉まる音》
夏野「ホントに世話の焼ける…ん?…何か聞こえる。これって…(紙の音や衣擦れ、その奥から女の声で『あぁ…』とすすり泣くような)紙の音に、衣擦れ…安治さんの言っていた音だ。それに…何だか女の声の様な物も…」
《厠の方から戸が開いて歩いてくる足音が》
雲雀「いやぁよかった。決壊寸前だったが滞りなく…おやどうしたんだい横島君」
夏野「横山です。…先生、この音…。(声を潜めるが、いつのまにかシンと静まりかえり)…あれ?やんでる…。けど、安治さんが仰っていた衣擦れや紙の音と、女のすすり泣くような声が確かに」
雲雀「女の…ねぇ。なるほど。…謎はすべて解けた。爺様の名にかけてっ」
夏野「止めてください、訴えられます」
雲雀「よし、そうと決まれば」
夏野「はい。皆さんを起こしに行きますか?それとも安治さんにだけお話を?」
雲雀「寝よう」
夏野「え」
雲雀「今夜はもう怪異は起こらないよ。そして明日からももう起こらん」欠伸交じり
夏野「先生、それってどういう…あ、ちょっと先生?え、もう部屋に戻って…人に付き合わせといてあの親父!」
《そしてあっという間に朝。チュンチュン》
主人「狩川先生。何ですかな、こんなに朝早くから、重大なお話というのは。安治に呼ばれて参りましたが…」
雲雀「えぇ。とても大切なお話です。この家の将来にとってのね。さ、こちらへ」
安治「あの、狩川様。一体それはどういう…。あ…ここは…千重お嬢様のお部屋…?」
千重「お父様。それに、安治…」
安治「…おはようございます。…あの、お嬢様のお部屋がこちらだと、ご説明しましたっけ?」
雲雀「説明なんぞ受けなくとも、私は鼻が利くのでね。厠と台所と妖のいる場所は、大体解ります」
主人「妖?娘の部屋に、妖がいると?」
雲雀「えぇ。無論千恵さんにお部屋を拝見する許可は、先程うちの弟子が」
千重「はい、確かに。けど先生、私別段恐ろしい目にあった事なんて…」
雲雀「それは、妖怪祓いをすれば解る事です。…では、開けますよ?」
《襖が開く音。中は片づけられた部屋》
主人「…何も、いないようですが」
雲雀「…そちらの箪笥の、一番右上の段。弟子に調べさせてもよろしいですか?」
千重「え…あ…はい」
夏野「失礼します。(箪笥を開ける音。中をがさごそして)…ん?これは…何か、小さな風呂敷包みのような物が…?」
雲雀「…大当たりだ。千重さん。筆と紙…それから鏡を、ちょっと拝借。…さらさらさら。…これでよし」
《机の方に向かい筆と紙と鏡を手に取って》
千重「え、あの、紙に字を書いた物を鏡になど貼って、一体何を…。…照る…魔…?」
雲雀「一回だけの特別処置です。…ご安心を。全てはこの狩田一が華麗に解き明かして見せましょう。横溝君!」
夏野「横山だっつのに」
雲雀「それをこちらに投げなさい」
夏野「え、あ、はいっ!」
千重「(ほぼ被せて)ッ、やめてっ、それはっ…」
《投げられた包みを掴もうと千重が走って》
雲雀「なぁに壊しやしませんよ。何せ私は…妖怪絵師だ」
《千重が受け止めた瞬間、包みが解けて文箱が》
千重「キャッ!文箱が、光って…あ…!いやぁっ!」
《悲鳴をあげて文箱を落とし》
夏野「…文箱が落ち…た、場所に…小さな、老婆…?何だか、ひどく悲しげな…」
《カサカサ紙の音や、衣擦れが動く度に。そしてすすり泣くような声》
安治「この音は…見回りの時に聞いていた…!」
主人「見回りの時の音?何の事だ」
夏野「先生、この声です。僕が昨夜聞いた女の声も。けど、この声…何だか…」
安治「お嬢様に、似ているような…」
千重「馬鹿な事言うのはやめてっ…。何なんですかそれ!早く祓ってしまって!そんな化け物!」
雲雀「…そんな悲しい事は仰らないでください。これは、貴女でもあるんです。千重さん」
千重「…私…?」
雲雀「けれど仕方ない。これも私の務めなんだろうねぇ。(身構えて筆を振るい)…浮世に現世、此岸に彼岸。さぁさ、いらっしゃい。私の、絵の中へ。…君の名は…『文車妖妃』」
主人「おぉ…妖怪が…絵に…!何という…!狩川先生!これが、貴方の絵の躍動感の原理だったのですね!本物を写し取っているとは…!素晴らしい!退魔師なんて胡散臭い連中とはわけが違うっ!」
夏野(本人は今生の誰よりも胡散臭い存在だと思う…というのは、黙っておこう)
主人「しかし一体何故我が家の…しかも娘の部屋に妖が…。確か先生は、先程これは娘でもあるとか…」
雲雀「…文車妖妃とは、九十九神の一種なのです。九十九というのは長く使われた物から生じる妖の為、大概はあのように、老いた姿が多い。そして彼女は…文箱、若しくは報われなかった恋文の九十九だと言われている」
安治「恋文…」
雲雀「千重さん。貴女、ここに届けられない恋文を入れていたのではありませんか?それが溜まりに溜まって、悲しみが文箱に収まらなくなったせいで…妖が生まれた」
主人「…本当なのか。千重」
千重「…ごめんなさい。お父様…。私…私…安治の事が、好きなの…!」
安治「っ…千重、お嬢様…?」
千重「けれど安治は庭師。反対されるだけならともかく、それが原因で安治が辞めさせられたり、逆に私が早く嫁がされる事になったりしたらと思うと…怖くて、言えなかった…。いいえ、私は、安治に断られるかもしれない事すら怖かった。安治はお父様にとても恩を感じているから、きっと身分違いだと答えてもくれない…。そもそも、こんな想いを持っているのは私だけかもしれない…そう思ったら…想いを伝える勇気もなくて…私…っ」
安治「お嬢様っ…。実は私も…ずっと前からお嬢様の事が…」
千重「…本当?本当なの安治」
安治「お嬢様の仰る通り…私の様な一介の庭師が懸想してよいお相手ではないと思っていました…。けれど…」
千重「安治っ…」
安治「千重お嬢様…っ」
千重「…お父様。ごめんなさい。私、やっぱりこの気持ちを諦められない。どうぞ親不孝な娘だと詰ってください。縁切りしてくださったって構いません。だからどうか、安治にだけは…っ」
主人「待ちなさい。私は何も言っていないじゃないか。…まったく勝手に早とちりしおって。誰が反対だといった?」
千重「え?…それじゃあ」
主人「…安治。お前はこの十年、よくやってくれた。家の内情は勿論、庭も、お前の父の代に見劣りする事無く美しい。…どうだろう。このまま、私の事業の手伝いもやってもらいたいというのは…欲張りすぎだろうか」
安治「…いいえ…。いいえ、いいえ旦那様!是非、お手伝いさせてください!」
主人「…先生、ありがとうございます。おかげで娘に良い婿が…。おや、先生?狩川先生?」
《いつの間にか外。草を踏む音》
夏野「よかったんですか?ご挨拶もせず、出てきてしまって」
雲雀「何言ってんだい。あそこで水を差せるほど、私も無神経じゃありませんよ。しかし…あぁ…千重さんも、私の運命の女性ではなかったか…」
夏野「何言ってるんです。よかったじゃないですか。いたでしょう?運命の妖」
雲雀「うーんまぁ、それはそれというか、これはこれというか…お」
夏野「はい?」
雲雀「何と美しい!あの神々しさ…もしや彼女が私の運命!行くぞ横浜君!」
夏野「だから僕の名前は横山だって…聞けよこの色ボケ親父!」
雲雀「そこの川岸にいらっしゃるお嬢さん!もしかして貴女は、川姫ですか?それともまさか祢々子河童―――」
夏野「美女と新種の妖に目がなく、妖怪絵師の癖に幽霊が怖いという、奇天烈で奇奇怪怪な人ではあるが、確かにこの人以上の妖怪絵師は、この国にはいないのだろう。狩川雲雀妖怪道中。第二幕、これにて閉幕」
【その參・狩川寝ずとも朝日は昇る】
夏野「妖怪を絵に写し取るという雲雀の先生の能力は、とても稀有なものだ。道具も何かしら関わっているのだとは思うけれど、残念ながら僕がやっても妖怪は写し取れない。どれだけ文言を真似ても、出来はしない。だから、確かに狩川雲雀という人は、確かにすごい絵師であり、退魔師なのだとは思う」
雲雀「いや美しい…!絵姿女房と言いまして、美しい女房と片時も離れたくはないが為に嫁の似姿を描かせた男の話を聞いた事がありますが、貴女もまるで絵から飛びでた天女のように美し―――」
夏野「みっともない事は止して下さい先生!ちょっと目を離すとすぐそれなんだから」
雲雀「何言ってんだい村山君。私はね、ただ美しい物を美しいと素直に言っているだけですよ。大体、君だってもう年頃なんだから、そろそろ所帯を持って落ち着きたいとか、思わないのかい?」
夏野「横山です。良い年頃ったって、僕はまだ十四ですよ?流石に少し早いかと…。というか、先生の内弟子として、こうして旅をしていては、落ち着くも何もあったものじゃないでしょう」
雲雀「夢がないなぁ。いいかい、夫婦になるっていうのはいいもんだよ?毎朝は汁物を作る包丁の音で目覚められるし、仕事で疲れて帰れば、お帰りなさいアンタ。ご飯にする?風呂にいく?それともアタシとしっぽ―――」
夏野「年齢制限がかかりそうな発言は止めてください。というか、経験もない癖によくそこまで妄想できますね」
雲雀「グサッ!あーダメだグサッときましたよ今のは」
夏野「アンタほんとに擬音言うの好きだな」
雲雀「あのねぇ、君は師匠に対してちょっと口が悪すぎるっ。私は師匠だよ?もっと敬って、持ち上げて、慈しんで!」
夏野「最後のはなんです。馬鹿な事言わなきゃ済む話でしょうが」
雲雀「世知辛い!これだから最近の子は、サトリ世代だのゆとり世代だのセトリ世代って言われるんだよ」
夏野「だから何なんですか、その最後によくわかんない物持ってくる芸風は。…何て言ってたら、もうすっかり薄暗くなってきた。今夜の宿をそろそろ探さないと」
雲雀「日が長くなる季節とは言え、まだまだ春とは言い切れないからねぇ」
夏野「夜までに次の村につけますかね。もし無理なら今夜は野営…あ」
雲雀「どうかしたかい?片山君」
夏野「横山です。いえ、あそこに灯りが…地図にはこんなところに家はないようなのですが…」
雲雀「おぉ本当だ。もしかしたら最近出来たばかりなのかもしれないよ?その地図は少し古いから」
夏野「そうだったんですか。まぁ確かに、地図なんてそう頻繁に書き換えられる物ではありませんからね」
雲雀「うんうん、一度の人生、時の流れに身を任せと言うからね。そうと決まれば、今夜泊めて頂けるか聞いてみよう」
《歩きだし、建物の側へ》
夏野「あ、はい。…ところで先生。古いって、いつごろの物なんですか?江戸を出る何年か前とか?」
雲雀「ん?えーと、確かその地図は…私の師匠の…おじいさんのおじいさんのそのまたのおじいさんのおじいさんが、知り合いのご隠居様から貰った物だって聞いてるけど」
夏野「それのどこが少し古いなんですか。大昔の地図にも程があるでしょう」
雲雀「細かい事は気にしないの。そんなに神経質だとね、将来禿げるよ」
夏野「先生の額は去年より一寸は広がっていますね」
雲雀「ななな何言ってるんだい、私のは別に禿げてる訳じゃなくて、これは世俗をちょっとずつ離れている、所謂最近流行りのちょっとずつ出家であって…。…え、嘘、いやそんなまさか。流石に一寸は…え…え?」
夏野「先生、着きましたよ。何生え際なんか撫でてるんですか。…にしても、思ったより大きなお屋敷だな」
雲雀「これはきっと、美味しいご飯にホカホカの風呂、あったかい布団が出て来るに違いない。仕上げに美女がお酌をしてくれれば言う事なし!」
夏野「よくもまぁそんな煩悩塗れな発言をしておいて出家に片脚を突っ込んでいるような発言が出来ますね」
雲雀「どうもすみませーん。どなたかおられませんかー」
蜜「はぁい、どなたさまでしょう」
雲雀「来た来た来た来た、錦絵美少女きたー!」
夏野「煩い色ボケジジイ!…すみません、失礼致しました。突然で申し訳ないのですが、実は旅の者なのですが、今宵一晩、宿をお借りしたく参りました」
蜜「まぁ。お困りでしょう。どうぞ奥へ」
夏野(…花の香…?どこから…)
《場面が変わり、襖の音》
蜜「どうぞ、こちらのお部屋でお待ちください」
夏野「どうもありがとうございます。しかしあの、よろしいのですか?こちらのご当主様になんの確認も無しに…」
蜜「ご安心ください。ここには私達姉妹しかおりませぬ」
雲雀「お姉さんがいらっしゃる!素晴らしい!」
蜜「はい」
雲雀「お姉様は、貴女に似ていらっしゃいますか?というか…美人ですか?」
夏野「ちょっといい加減に落ち着いたらどうです。いい歳して若い御嬢さんを見るとすぐ鼻の下を伸ばして」
雲雀「君はどうしても私を年寄りにしたいみたいだけどね、何度も言うけど私は三十代ですからね!若人ですよ!」
蜜「ふふっ。面白い方達。では、御挨拶もかねて、姉を呼んで参りますね」
《襖が閉まる音がし》
雲雀「いやぁいいねぇ…妹さん…お蜜さんとか言ったかな。あの子の面相から察するに、姉君も相当の美女だぞこれは」
夏野「アンタ一辺ホントに出家したらどうです。…それより先生。さっきから、花が…」
雲雀「え、鼻?んもう、何だかんだ言って子どもなんだから。鼻の一つもかめないなんて。はい、チーン」
夏野「黄ばんだ懐紙を人の顔に近づけないでください。そうじゃなくて、何か匂いませんかって」
雲雀「え、臭い?私の懐から出したこの懐紙が臭いと言うのかい?まったく失敬だな君は…(一応臭ってみる)…いやけど確かにこの間厠の帰りにこれで手を拭いたような…」
夏野「ボケと業ばっかり重ねてないで、真面目に聞いて下さい」
雲雀「私はいつだって真面目ですよ。お、この紙は綺麗そうだぞ。んじゃあこれと…はい、私の予備の筆」
夏野「筆?筆なら僕も自分のを持ってますけど…」
雲雀「いやぁ君も随分絵が上達したから、道具を変えてみるのもいいだろうと思ってね」
夏野「はぁ…。では、有難く」
雲雀「いいかい?師匠からの大切な品って言うのはね、肌身離さず、お守り代わりのように持っとくもんです。そうしたら、少しは日頃の私への扱いも丁重になる筈なんだから」
夏野「丁重してほしかったら常日頃の言動と行動をもう少し気遣ってください。…えーと、何を言おうとしていたんだ
っけ。…あ、そうだ!先生実は、花の香りが―――」
蜜「失礼致します。姉を連れて参りました」
《襖が開き、美女が二人。雲雀、喜びの笑いがちょっとだけ》
葉「ようこそ、おいで下さいました。旅の御方。私は、この屋形の主、葉と申します。長旅でさぞお疲れでしょう。村までは存外遠いですから、うちに泊まっていっていただくのが正解ですわ」
夏野「そう、ですか。それは良かった。…あの、先程お蜜さんから、お二人で暮らしていると聞いたのですが…それにしては随分広いお屋敷ですね」
葉「父が残してくれたものなんです。何でも安寧の頃はよい貴族の家柄だったのだそうですが…すっかり落魄れてしまって。残ったのはこの屋敷だけ。世継ぎも産まれず、私達には当てもなくて」
雲雀「その行く当てに、立候補してもよろしいですか?」
夏野「出家は如何したんです」
蜜「ね?面白い方達でしょう?」
葉「えぇ、本当に。さぁお蜜、お夕食の支度をしてきてちょうだい。久々のお客様に、盛大な御持て成しを」
雲雀「とんでもない。我々に過ぎた持て成しなど不要。米と野菜、魚にお酒の一つもあれば…」
夏野「何ですかその贅の限りを尽くした要望は。…ご心配なく。屋根のある場所で眠れるだけで、充分ですので」
葉「そう仰らずに。このお屋敷、少し村から離れているでしょう?ですから妹も私も、最近とんと人とお話していなくて、寂しかったのです。ですから、心ばかりの御持て成しをさせてくださいませ」
雲雀「との事だ。折角のお申し出だ。たっぷり甘えようじゃないか!」
《雲雀の高笑いの中、夏野の台詞》
夏野「っとに…この色ボケ親父は…」
《時間経過。酒を注ぐ音》
葉「まぁ、狩川様は絵師様だったのですか。通りで端正なお顔立ち。さぞ、御高名な方なのでしょうね」
雲雀「いやいやいや私なんぞ、まだまだ青二才でして。そんなに端正ですか?」
葉「えぇ、とても。お酒の飲みっぷりも威勢がよくて。流石、江戸っ子」
雲雀「いやいやいや私なんぞ、嫁の来手もないしがない道楽者でして。そんなに威勢がいいですか?」
《葉と雲雀が盛り上がる中、障子が開いて閉じられ。夏野、廊下へ》
夏野「ホントに、調子に乗りやすいんだからあの人は。付き合ってられない。…お守り代わりの紙と筆も一応持ったし
…。少し風に当たって来るか」
《廊下を歩いていき。夜風の音》
夏野「綺麗な空だな…。今日は星が明るいや。…けど、やっぱり花の香りが…。一体どこから…ん?人の、話し声?」
蜜「お願いです、帰ってください」
夏野「廊下の向こう。勝手口か。あそこにいるのはお蜜さん…と、男の人…?」
森若「どうしてそんなこと言うんだ。前はあんなに優しくしてくれたのに」
蜜「姉様が…もう森若さんには会ってはならないって言ったのよ」
森若「だから何でだ?俺が貧乏士族の四男坊だからか?地位も金も、家柄もないから」
蜜「そんな事を言ってるんじゃないの!…これは、私の問題なんです。森若さんのせいじゃありません」
森若「お蜜…。…どうして」
夏野(…どうしよう。なんか、とんでもない場面に出くわしてしまったんじゃ…)
森若「お蜜っ」
蜜「キャッ!」
《ほぼ同時に》
夏野(え、悲鳴?あ…。男の人…森若さん、だっけ?…お蜜さんを、抱き寄せて…)
蜜「…駄目です」
森若「誰がなんて言ったって、俺はお前がいいんだよ。お蜜。お前が手に入るんだったら、何だってする」
蜜「…森若さん…」
森若「例えお前が、俺をもう嫌っていると言ったって、諦めてなんかやるもんか…」
蜜「嫌ってなんか…!嫌ってなんか、あるわけないでしょう?私は…私は森若さんが好きだから…っ」
森若「だったら!…村を出よう。何処か遠くで、所帯を持つんだ。明け方、もう一度荷物を纏めたらくるよ」
蜜「…それは駄目なの。出来ないの」
森若「それでも、俺は連れに来るよ。俺をまだ好いていてくれると言うのなら…初めて出会った屋敷の側の大杉の下に」
《森若走り出し》
蜜「森若さんっ…!…嗚呼…どうしましょう…っ」
《さめざめと嘆く蜜の声を聞きながら部屋へ戻る足音に》
夏野(…駆け落ちか…あの様子だと余程、愛し合っていらっしゃったのだろうな。けど、原因はお蜜さんの方にあるっていうのは…一体どういう…)
葉「あら、夏野さん。お帰りなさいませ」
《部屋に戻ると高いイビキが》
夏野「あ、はい。どうも。…あれ、うちの先生、寝てしまったんですね。すみません、お相手をさせてしまって」
葉「いえいえ。先生、お疲れだったみたいで。ウトウトなさっていたから、とりあえず布団だけ敷いてしまいました。
夏野さんも、眠られます?それとも、お風呂は如何かしら」
夏野「そうですね…。では、お言葉に甘えて、軽く。折角敷いて頂いたお布団を汚しても嫌なので」
葉「まぁ。では、ご案内いたしますね。手拭なども、後でお持ちしますね」
《水音。その後、足音がして身体を拭き》
夏野(いいお湯だったなぁ…。あ。筆と紙、着物に入れっぱなしだった。まぁいいか。戻ろう。…えぇと部屋は―――)
《悲鳴と同時に大きな音が。それと同時に蜜の短い悲鳴》
夏野「あの悲鳴は…蜜さん!?何かあったのかな…」
《急いで声の方へ走っていき》
蜜「申し訳ございません!」
夏野(いた!…あ…一緒にいるのはお葉さん…。姉妹喧嘩か…?)
葉「この半端者が。あの男には会うてはならぬと、再三言い含めたばかりではないか」
蜜「会うてはおりません、あの男が尋ねて参ったのです!騒がれぬようにと帰す為に―――」
葉「言い訳は良い。…そもそも、お前があれに初めから情などかけねば、このような事にはならなかったのだ」
夏野(…あの男って、きっと森若さんの事だよな…。けど、何だか様子がおかしい…)
蜜「…本当に、申し訳ございません」
葉「…。温情をかけるのは次が最後だ」
蜜「っ…それは、どういう…」
葉「言葉通りだ。…次あの男が来たら今度こそ…仕留めろ」
《その言葉に夏野も息を呑み》
蜜「それはっ…あの男はもうここには参りませぬ!ですからっ…」
葉「であればそれでよい。だが次に会うた時には容赦はするな。…いいな」
蜜「……はい」
夏野(仕留める…容赦はするなって…一体…。…っ!)
《うっかり音を鳴らしてしまい》
蜜「っ、誰です!」
夏野(しまった…!逃げ、っ!?)
《走って逃げ出そうとした瞬間、何かが足に絡まって》
蜜「…夏野さん」
夏野「あ…あの…」
蜜「聞いていたのですね」
夏野「…これは…木の、蔓…?蜜さん、お葉さん。貴方達は一体…」
葉「おやまぁ。それは残念。もう一人の男に比べて年若く美しい子故、喰らうのはもっと蕩かせてからと、思っていたのだが…」
夏野「喰らう…?って、まさか…」
蜜「…可哀想な子。好奇心は猫も殺すと言うでしょう。大人しくしていれば、何日かは夢を見られたと言うのに」
夏野「…植物…美しい女に化け人を誑かし、生気を吸い取る…。まさか、貴女達は…」
葉「あら。私達が何かお分かりですか?お若い絵師様。随分と、博識でいらっしゃるのね。それは重畳―――」
雲雀「いやぁまぁ師匠がいいですからねぇ」
蜜「っ…狩川様も…いつの間に…。眠っていらしたと、先程伺いましたのに…」
夏野「先生!」
雲雀「ずるい!ずるいぞ君!弟子の癖にこんな夜更けに、師匠の私を差し置いて美女と乳繰りあってるなんて!」
夏野「暢気な事言ってないで、何とかしてくださいよ!」
雲雀「何とかって?」
葉「もうよい。ばれた所で逃がさねばよい話。久方ぶりの馳走…まずはこの小僧から…」
《抑えられた夏野に葉が腕を伸ばそうと》
雲雀「だって君…御守り、持ってるんでしょう?」
《パンッと音が響いて、葉の腕が弾かれ。蜜の悲鳴も被せ》
葉「っ…何だ、これは…。退魔の、力…」
夏野「御守り…あ…あの時の、筆と、紙…?って、今の衝撃で蔓が緩んだっ…」
雲雀「さぁ、筆を出して。今日は文字通り、手ほどきをしてあげよう」
夏野「先生、いつのまに後ろに…。あ…はい!」
葉「己…貴様ら一体…ただの絵師ではないな…?陰陽師か…」
雲雀「君はいつも私の手元ばかり見ているけど、それじゃあいつまでたっても上達しない。…いいかい。絵を描くのに理屈なんかいらない。ただひたすら、それを描きたい、残したいと思いなさい」
夏野(先生の手が、筆を持った僕の手を、とって…これは、まるでいつもの…。それを、僕も、一緒に…?)
葉「えぇい煩わしい…。これだから人というのは…。じっくりと時間をかけて料理してやろうと思ったが、もうよい。
この場でまとめて喰ろうてくれる…っ」
雲雀「悪いけど。私のとこにこんなに長く居着いた弟子はこの子が初めてなんだ。そう簡単には…やれないよ」
蜜「退魔符…ではない…。真っ白な紙…一体、何を…」
雲雀「浮世に現世、此岸に彼岸。さぁさ、いらっしゃい。私の、絵の中へ。…君の名は…『木霊』」
葉「っ、な…身体が、吸い込まれ、て…く、ぅ…ァあぁぁあああァアーーーッ!」
夏野「っ…。…は…息が…。…なんだ、この衝撃…」
雲雀「どうだい?初体験を迎えた気分は」
夏野「…嫌な言い方、しないでください…。でも…すごかった、です…」
雲雀「月並みだなぁ…。良ははあげられないねぇ、精々可かな」
夏野「何の講義だ何の。…けど、今消えたのは葉さんで…蜜さんは…?あ…」
蜜「…消え、た…。主様が…絵に、写し取られて…」
夏野「…これで、森若さんの所に行けるんじゃないですか?」
蜜「っ…。どうして、森若さんの事まで…。…いえ。今はもう、詮無い事ですね。だって、無理なんです。例え主様が…私を生みだした本体であるあの方がおらずとも…。いいえ、だからこそ…私はもう、長くはない」
夏野「え…?」
蜜「…。私達木霊は、地に根付く物でございます。どれほど人を誑かせようとも、どれほど強い幻術を持とうとも…本体の根付いた土地からは、離れられない」
夏野「だったら…。だったら、ここに森若さんを呼ぶとか。もう、邪魔をする相手はいないのだし…」
蜜「いいえ。私は、まともな木霊ではない。主様が、人の女を孕ませて産ませた子。…私は、半妖なのです」
夏野「…半、妖…」
蜜「…狩川様。お願いがございます。私の身は、今まで主様の御力で持っていた物。もうすぐ果ててしまうでしょう。であればせめて…せめてあの方が…。…人が、美しいと仰ってくださったこの姿で、残してはくださいませんか」
夏野「…蜜さ―――」
雲雀「それはいい。妖はいつも大急ぎで写しているからね。たまには協力的に写されてくれるとありがたい」
夏野「先生!?何言ってるんですか!蜜さんは妖かもしれないけれど半分だし、とても優しくて、それに―――」
雲雀「描いて欲しいと頼まれたら描くのが、私の信条でね。…君も絵師なら…解るだろう?」
夏野「っ…。それは…」
雲雀「…。浮世に現世、此岸に彼岸。さぁさ、いらっしゃい。私の、絵の中へ。…君の名は…」
《暫しの間。早朝の湿った空気の中、二人が歩く足音》
夏野「木霊…植物が転じて、意思や感情を持った妖…。古椿精や、柳女、タンコロリン等が類似としてあげられる…。また、見る者によって姿形が変わり、それらの多くは人を誑かす為美麗で妖艶になるとされている…」
雲雀「眠い…眠いなぁ…。もうちょっと休みたかったけど…二人が居なくなった途端屋敷は消えちゃったもんなぁ…。あれも幻だったんだろうねェ」
夏野「…あ」
雲雀「ん?美女?布団?御馳走?」
夏野「…森若さん。大杉って…あれだったんだ…。…待ってるんだ。もう、こない人を…。ん?あれ?先生?雲雀先生、どこに…あ、いつの間に!大杉の所まで…あの人、何する気だ!?」
雲雀「もし、そこの」
森若「はい?私、ですか?」
雲雀「えぇ。いや実はね、私達ね、旅をしながら絵描いておりまして。それで、先程ほら、村の外れの、峠の真ん中に
あるお屋敷から、出て来たんですよ」
森若「え…あの、お屋敷からですか?」
雲雀「いやね、場所迄は伺ってないのですが、どうも遠縁の方が患ったらしく、今朝方お二人で大急ぎで出て行かれて」
森若「遠方に…ですか」
雲雀「でね、この杉の下にいる方に、これを渡してほしいと頼まれまして」
森若「…私に?この紙は一体…あ。…これは…蜜…?」
雲雀「次、いつ屋敷に戻れるか解らない。だから、この絵を自分だと思って持っていて欲しい。そうすれば、幾千里離れていようと、心は一緒に居られるから、と」
森若「…蜜…。これは、貴方が、描いてくださったんですね」
夏野「…森若、さん…」
雲雀「お間違えないみたいだ。じゃあ確かに届けましたよ。絵姿だからって、風に飛ばして手放しちまわないように。そいつは、一点物ですから」
森若「はい。…はい…。…ありがとう、ございます…」
雲雀「じゃあ、私はこれで。…ほら、何してるんだい。いくよ」
夏野「あ…はいっ。《二人が歩く足音》…先生。あの…」
雲雀「にしても、木霊だったかぁ。ある意味稀ではあったんだけど…そうかぁ…」
夏野「…どういう意味ですか?」
雲雀「だって言ってたろ?蜜さんは人間を孕ませてーって。華妖や植物の妖怪には、雌雄がないのかもしれん。多少の
女性的男性的な違いはあるみたいだけど…という事はだよ鳩山君!」
夏野「横山です。敵に回すと厄介そうな縛りでわざと間違えるの止めてください」
雲雀「木霊は純粋な女性ではない!私は、女性が好きなんだ!それでは鯛が、じゃない恋が、出来ないではないかぁ!」
《何かぶつぶつ言いながら歩いていく雲雀の後ろで、一つ溜息をつきつつ》
夏野「世捨人を気取っている癖に、酒も色事も、煩悩のどれ一つも我慢が出来ない。なのに、いざとなるとちゃんと一人の絵師で、大人の顔をする。それが、僕の師匠。いい加減な人だけど、初めて一緒に妖怪を写し取った日、僕は改めて、この人みたいな絵師になりたいと、そう、思った。狩川雲雀妖怪道中。第三幕、これにて閉幕」
【幕間・雅楽と政五郎】
雅楽「先生。狩川先生ったら」
雲雀「はいはいどなた…って。あれ君は」
雅楽「久方ぶり。元気してたかい」
雲雀「酒を飲むともっと元気になりますよ」
政「おいなんでぇ雅楽。この冴えないオッサンがなんだってんだ」
雅楽「政さんのがよっぽど冴えないよ三枚目」
政「あんだと」
雲雀「楽さん、そちらの方は?」
雅楽「あぁすみません。この人ね、役者なんです。今ちょっとあたしが入れ込んでる」
政「嫌な言い方するねお前」
雲雀「ほぉ。するってぇとあれですかい」
雅楽「えぇまぁ」
《二人でニヤニヤ》
政「気色の悪ぃ…。おい雅楽よぉ。一体全体なんだってんだ、こんな自分に。オレぁオメェがどうしても来てほしいっつーから―――」
雅楽「煩ぇなぁ。ちょっと黙ってなってば野暮天」
政「誰が野暮だ誰が」
雲雀「まぁほら。立ち話もなんだし、どうぞどうぞ」
《二人中へ》
政「へぇ…なんでぇ雅楽。奴さん、絵師様かい。にしてもなんだぁ不気味な化けモンばっかり」
雅楽「それみぃんな、本物なんだよ」
政「へぇこれがねぇ…。て、へ?」
雲雀「ここいらのはみんな取りつくしちゃったのか、最近めっきりだけどね」
政「そんな蝉か鮎みてぇに。いや、そんな事より!」
雅楽「政五郎さん。この人ね、妖怪絵師なんだよ」
政「妖怪…絵師?」
雅楽「そ。妖怪を、絵に写し取っちまうの。すげぇんだぜ。坊さんでも何でもないのにさ」
雲雀「いやぁ照れますなぁ。楽さんったら」
政「妖怪を写し取るなんて…お前さん、馬鹿なこと言っちゃいけねぇよ。そんなもんいるわけ…」
雅楽「訳ないなんて、言えるのかい?お前さん」
雲雀「…何かあったんで?」
雅楽「えぇまぁ。…ねぇ、政五郎」
政「…お前まさか」
雅楽「困ってるんだってさぁ。この人。どうやら今度の小屋に、出るらしいって」
雲雀「出るってぇと、まさか」
雅楽「そう」
雲雀「カマドウマが」
政「あぁもう細くて長くて気味が悪いったら…って違ぇ!」
雅楽「幽霊だよ。幽霊。箱に」
雲雀「ほう足無しが。そりゃあお困りでしょう」
政「…まぁなぁ」
雲雀「実は私もね」
政「え、そうなのかい?」
雲雀「こないだ蕎麦たぐりにいったら、御足がなくって困っちゃって」
政「おい楽よ!ホントに大丈夫なんだろうなこのオッサン!」
雅楽「そうですよ雲雀先生。先生に御足がないのはいつもでしょうが」
雲雀「よく解ってらっしゃる」
《二人笑う》
政「あのなぁ…」
雅楽「あぁごめんごめん。大丈夫だって。この先生、ふざけてみえるけれどこれでも立派な絵師様だ」
政「いやしかし」
雲雀「あぁ面白かった。雅楽さんはホント飽きないや。さて、じゃあ参りましょうか」
政「え、まいるって…」
雲雀「決まってますよ。その妖怪を…退治しに」